ショッピングセンターでのセールスの仕事をクビになってから3日後の9月19日の金曜日。この日僕はメルボルンのトラム8番のルートであるトゥーラックロードを歩いていた。キッチンハンドの仕事探しのレジュメ配りをするためだ。この道は元々スウェーデン教会への行き方を調べていた時に見つけたもので、最初からこの道を仕事探しに利用しようと考えていたわけではなかった。だが何回かスウェーデン教会に通ううちに、レストランやカフェが結構たくさん見えたので、レジュメ配りのターゲットとしてもいいかもと思うようになったのだった。
今回も全ての店を完全に無差別に当たるとまではいかず、いくつか選り好みして入っていかなかった店があったものの、以前のチャペルストリートの時と比べると順調なペースで多くの店にレジュメを配る事ができた。トゥーラックロードはセイントキルダロード上のドメインインターチェンジの少し南辺りからずっと東へ走る道なのだが、そのトゥーラックロードの始まりからスウェーデン教会までの道のり上にある店はほぼ全て制覇した。
今回のレジュメ配りは手応えのある感じの店が1つあった。それはパン屋さんで、最初に僕がレジュメ配りに入った時から店員の対応は凄くフレンドリーだった。そして僕に「Availabilityは?(←「働ける曜日と時間帯は?」という意味。履歴書配りをしているとよく聞かれる)」と聞いてきたので、「いつでも働けますよ!」と答えると、「それじゃあ週末だけ入ってもらう事になりそうね、それでもいい?」と言われたので、すかさずOK。念のため労働条件を聞いてみると、時給は20ドルで入れるシフトは週末のみ、たぶん労働時間は週20時間ぐらいになるのではないかという事だった。「たぶん月曜日あたりには電話する事になると思うから。連絡待っててね^^」と言われ、ルンルン気分になりながらそのままレジュメ配りを続行した。今回は「後で電話する」の一言に油断せずにそのまま続けたのだが、この判断は正解だった。実際このパン屋さんは「土日に働ける子が入って嬉しいわ~!」とか言ってたのに結局最後まで連絡は来なかったのだ。
アパートに戻ってしばらく時間が経つと、電話が鳴った。あれ、月曜日に電話するって言ってたのに、急に今週末人手が必要になったのかな?と思い電話に出てみると、電話の主は先程好感触だったパン屋ではなく、全然期待していなかったカフェからだった。声の主は、そのカフェでシェフのチーフをしているサイモンという男。
サイモン:「君ってさ、今どの辺にいる?」
僕:「今はもうアパートに戻ってます。クイーンズロードの辺りです」
サイモン:「今日の夕方6時に来てもらってもいいかな?」
僕:「はい、行きます!ちょっと今からだと6時までに間に合うかはわからないですけど、できるだけ急いで行ってみます。それでも大丈夫ですか?」
サイモン:「OK!それじゃ待ってるよ!」
思ってもみなかった店からオファーが来た。これは即行ってみるしかない。そしていざ到着してみると、早速サイモンが僕に「じゃああっちのスタッフルームに入って。着替えたらキッチンに来るんだ」と指示を出した。あれ?今日は面接だけなんじゃなかったの?いきなり勤務開始っすか?いやいや、むしろ自分にとっては好都合だから文句はないんだけどさ。
この日僕が与えられたのは皿洗いの仕事だった。シンクのすぐ隣に大きな食器洗い機があり、それに次々と食器を入れて食器を洗っていく。トレイは3つあり、2つはお皿用でもう1つはスプーンやナイフやフォーク用。洗うものによって食器洗い機に入れるトレイを使い分け、機械の中で食器が洗われているうちにもう1つのトレイに食器を設置し、今中で洗われている食器の分が終わったらその洗い終わった食器のトレイを素早く横へスライドさせ、まだ洗われていない食器でいっぱいのトレイをすぐさま食器洗い機内に入れ、洗浄スタート。マシン内で食器が洗われている間に洗い終わった食器を食器の種類毎に重ねて整理して、空になったトレイにまた未洗浄の食器を設置し、マシン内の食器が洗い終わったらすぐに間髪入れずに入れられるようにする。こうして2つのトレイを循環させ続け、マシンが何も食器を洗わずに止まっているだけの時間がなるべく短くなるようにするのだ。
働き始めてしばらくすると、トイレに行きたくなってきた。サイモンに「ちょっとトイレにいってきてもいいですか」と聞くと、「何ぃ~トイレ?仕事中にそんなのダメに決まってんだろ!」と返された。マジかよ~?次にトイレに行けるのはいつになるのやらと思ったら、すかさずサイモンは「なんちゃって~!冗談冗談^^気にせず行ってきていいよ!」と続けた。なんだ~きさくでいい人じゃないか。ちょっと安心した。
流石に金曜日だけあって、時間帯が遅くなってくると回転が早くなり、皿が次から次へと運ばれてくるようになった。ものすごいペースだ。改めて飲食系の業界で働く事の大変さを実感し、何とかこの日の勤務は夜の11時台には終わった。そして勤務が終わり帰る直前になって、ここでようやくサイモンが詳しい勤務条件の話をし始めた。
サイモン:「給料は時給15ドルで毎週火曜日に現金手渡し。君には月~金の週5日夕方5時から最後まで入ってもらいたい。その日の終わる時間にもよるけど、大体週30時間ぐらいの勤務になると思う。この条件でいいかな?」
銀行振り込みではなく現金手渡しということは、政府に税金をちゃんと納めていない違法経営のカフェですな。でも自分の手取りは時給15ドルあるし、週30時間働けば毎週450ドルの収入が確保できる。職場の人も良い人そうだし、アパートから徒歩でも通える距離の勤務場所で、総合的に見てもかなり条件が良いぞ。僕は二つ返事で「もちろん!」と言い、正式に月曜日から週5日シフトに入る事が決まった。
晴れて好条件の職場を確保する事ができたわけだが、このカフェがあるトゥーラックロード、そもそも自分のスウェーデン語の勉強の一環が目当てでスウェーデン人コミュニティを探していたらスウェーデン教会が見つかって、そこへ行くために一番都合のいい道だったから使うようになった道だ。つまり、もしスウェーデン人コミュニティ探しをしていなかったらたぶんこんな道はレジュメ配りのターゲットにしていなかったはずだし、そうなれば今回採用が決まったこのカフェに巡りあう事もなかっただろう。
世の中狙ってもいない時にうまい話が来たりする。望外の果実とはまさにこの事だ。