セールスの会社に入って2週間目の火曜日。僕がここまででとれた契約は未だに0件だ。以前この会社のノルマの説明でもあったように、入社1週間目に期待される契約の件数は0~1件であるため、1週目が終わったばかりのこの段階では一応ノルマ違反にはならない。だが、まだ契約を1件も取っていないことに変わりはないため、このような0が続いてばかりのセールスパーソンには追加サポートが入る事になる。

ターフを歩き回っていると、トニーから僕の現在地を知らせるように指示が来た。言われた通りにすると早速トニーは車で僕のいる所まで駆けつけた。「今からしばらく私と一緒にターフを回るからね。私の手本をよく見てて」とトニー。何軒か家を回るとそこそこ話を聞いてくれそうな住人に出くわし、僕の前でセールストークを披露するトニー。やはりチームリーダーになるだけあって、彼女のセールストークはお手本そのものだった。この時、僕は会社で午前に行われるセールス研修で中くらいのザンギエフがいつも70%、20%、10%の話をしていたのを思い出した。セールストークで大事なのは、70%が表情も含むボディラングエッジ、20%が声のトーン、10%が実際に話している内容だ、というのだ。

つまりほとんどの人はセールストークの内容なんかよく聞いていないんだから、それ以外の部分で感情的に引き込めという事なのだ。トニーのセールストークはそのセオリーに照らし合わせるとまさに正攻法。150cmもあるかないかの小さな体を大きく使って絶えず様々なパターンのジェスチャーをトークに混ぜ込む。声の抑揚のつけ方も僕のものとは明らかに違う。客に仕事用のiPadに生年月日などの個人情報を入力させる時も、「あら、誕生日もうすぐじゃない。何か予定はあるの?特に何もなくても最低限ケーキは食べなきゃだめよ!^^」等と、相手を笑顔にさせるための会話を絶やさない。さすがはプロだ。

何軒か回ると、トニーは今度は交代でトークをしようと言ってきた。トニーがセールストークをしたら、次の家では僕がセールストークをし、その次の家ではまたトニーの番で、これを繰り返す。こうする事で、トニーはボスとして部下にお手本も見せられるし部下のセールストークも観察できる。そしてしばらくの間留守の家ばかりだったり、住人が出てきても「そんなもん興味ないね」と一蹴され続け、 久しぶりに僕の番の時にまともに話を聞いてくれる人に出会った。

僕:「Hi, how are you? 僕たちは○○っていうチャリティ組織なんだけど、僕たちの事聞いたことあるかい?」

住人:「いやー、ないね。」

僕:「ハッハッハ、大丈夫。近所の人たちもみんな同じ事言ってるよ。僕たちは主にアジアやアフリカ、中南米の発展途上国の子供たちの手助けをする活動をしてるんだ。今までこれらの地域のどこかの国に行った事ある?」

住人:「いやー、ないね。」

僕:「ハッハッハ、いつかそのうち、かな?宝くじが当たったりしたら行けるかもね!」

住人:「あぁ、そうだね」

僕:「そうなったらグレートだね^^ところで僕たちがやっているのは、ただ発展途上国に行って水や食料を供給するだけじゃない。水や食料って一度供給がストップするとその内底を突いちゃうからね。そういう一時的なもので終わってしまう支援じゃなくて、僕たちは10年から15年の長期的なスパンで現地に滞在して、現地の人たちが自分たちで持続可能な社会基盤を築けるように手助けするんだ。だから僕たちが役割を終えて現地を後にしたら、もう彼らは自分たちだけでやっていけるから先進国のサポートはいらなくなるってわけ。クールでしょ?で、どうやってそれを実現させるかなんだけど、△△△って組織は聞いたことあるよね?」

住人:「ああ、名前は聞いたことあるね」

僕:「基本的にはあれと一緒だよ。だけど、僕たちがユニークなのは、△△△のように1人の子供やその家族だけをスポンサーするんじゃないって事。僕たちの組織でなら、子供1人をスポンサーする事でその子が所属するコミュニティ全体にサポートが行き渡るようになってるんだ。場合によるけど、コミュニティ内の人の数は500~10,000人。これだけの人を救えるってすごいよね?そのためにかかる費用は1日たった1ドル60セント。オーストラリアではこんな金額ではほとんど何もできないけど、発展途上国ではこれがものすごいインパクトになるんだ。僕たちが今やっているのは、こういった活動をもっと活発にしていくためにみんなの基本情報から始めている所なんだ。ところで、君のファーストネームは?」

住人:「マークだけど」

トニー:「マーク!覚えやすくていい名前ね!たまに移民とかで長い名前や発音しにくい名前の人が出てくる事もあるから、マークみたいな名前だと簡単で助かるわ^^」

マーク「ハハハ、そうだね」

iPadへの個人情報入力の段階になると、すかさずトニーが僕のフォローに入った。マークは僕のセールストークの間でも話を途中で遮ったりしてこない、いわゆるイージーな客であるとトニーの目には映ったようで、何が何でもこいつは逃がさないという気迫が彼女から伝わってきた。その後もトニーは絶えずマークがセールスの話を断れないように細心の注意を払いながら睨みを利かせ、あれよあれよという間にマークのクレジットカードの番号の入力も彼自身のサインも済ませてしまい、気がついたら彼は僕の仕事用iPadに僕の名前で登録されていた。そしてその後トニーは「リハッシュ」の部分を僕にバトンタッチした。

リハッシュとは、契約が決まった後にお客さんの気が変わってすぐに契約をキャンセルをされないように念を押す事である。このリハッシュというのもセールス研修の時に一応教えられていたのだが、その時のトニーの教え方はこんな感じだった。

トニー:「あんたたち、いい?これからどうやって契約が決まった後の念押しをするか、手本を見せてあげるわ。ショーン、あんた客の役をやりなさい」

僕:「はい。」

ここでトニーの表情と声はカメラが回っている時の人気アイドルグループの女の子のようになる。

トニー:「今回は発展途上国支援のためのチャイルドスポンサーに登録してくれてありがとぉ♪♪やっぱりこういう支援ってぇ、長く続けてこそ効果があると思うのねぇ☆☆だからぁ、登録した日から少なくとも12か月は支援を続けてくれるぅ?(^3^)?」

僕:「はい、大丈夫ですよ」

トニー:「ホントぉ?嬉しい!!!ありがとぉ~♥♥♥」

そういってトニーは満面の笑みで僕にギューっと抱きついてきた。数秒間抱きしめられたと思いきやトニーはパッと手を放し、くるっと僕に背を向けてみんなの方を向きなおし、ドスの効いた声に戻ってこう言った。

トニー:「どうよ?これでこいつはもう逃げられないわ」

以上がトニーが研修中に見せてくれたお手本なのだが、言うまでもなくこれを僕がそのまま真似したら間違いなく警察に通報されてしまうので、もっと普通の念押しをする事にした。ちなみに、トニー自身も、実践ではこのようなアイドル風リハッシュは封印しており、何故実践では実際に使わないようなトークを研修のお手本として見せたのか疑問であった。

そしてマークの目の前で僕が覚えたてのぎこちないリハッシュをしている最中も、トニーはマークの気が変わって逃げられないように睨みを利かし続けており、無事に一丁上がりである。

トニー:「おめでとう、ショーン!彼があなたの最初のチャイルドスポンサーよ。これであなたもうちのセールスチームのファミリーとして正式に仲間入りね!」

僕:「マジっすか?でも途中かなりトニーに助けてもらってたし、自分で契約取ったって実感はあんまりしないし…」

トニー:「何言ってんの!私はあなたのトークの内容に間違いがないという事をマークに念押ししてただけよ。今まで他の新入りでもっと手助けしてもらってやっと初セールをあげた子もいたんだから、もっと自信持たなきゃダメ!」

このセールス会社では、セールスチームのメンバー全員の携帯にリーダーが頻繁に「チームテキスト」というものを送る。例えば、

「さぁもう6時過ぎ!みんな仕事から帰ってきてるから留守の家も少なくなってるはずだし、暗くなってるから明かりがついてるかどうかで人がいるか留守かの区別もつけやすくなるから仕事もしやすくなる!勝負はこれからよ!」

みたいな感じで、その時間帯や状況に合わせて応援メッセージが逐一セールスメンバーの携帯に数分刻みで送られてくるのだが、誰かが契約を取るとそれも即ボスであるトニーから他のメンバーに知らされる事になっている。

従って、当然この日の仕事が終わってVanに戻ると、みんな僕の初セールの事は既に知っており、「イエーイ、ショーン!ヒャッハーー!」と超歓迎ムードになっていた。そしてこの会社では、新入社員の初セールは翌日の午前研修でも他の社員全員の前で発表される事になっており、次の日の研修では中くらいのザンギエフが

「見ろ!昨日はショーンが初セールをあげたぞ!我がファミリーの正式な仲間入りを果たした新入社員に盛大な拍手を!!!

と皆に促し、僕は拍手喝采を浴びた

いくら頑張っていても結果が出せない者はハードに働いているとは見なされない。Results speak more than anything elseとはトニーがよく言ったものだ。だが逆に、今回の僕のケースのように本人が大した事をしていなくても、重視されるのはあくまで「僕の名前でチャイルドスポンサーがついた」という結果であり、その「結果」をもとに評価がなされるため、火曜日の僕の仕事ぶりは実に肯定的に捉えられた。内容ではなく結果で見られる文化は、時に日本より厳しく、時に日本よりタナボタでもある。

また、この週から僕以外にも外国人が何人か新入社員として入ってきた。それぞれイタリア人、インド人、エジプト人の3人だったが、この3人は数日後には辞めるかクビになるかでみんな消えていた。うーむ、タナボタだったとはいえ、一応俺って頑張れてる方なのかねぇ?