闇の中より光を見出す。
人は闇と向かい合ってのみ光を見つけることができる。
つまり、
闇と光は表裏一体。
愛と苦しみは表裏一体。
光闇、善悪、太陽月、男女、男性性 女性性、作用反作用、プラスマイナス 、勝ち負けetc...
地球で体験するありとあらゆるものはコインの表裏のようにセットになっていてどちらかだけを体験することはできない。
苦しんでいるときは必ず解放の糸口があるといこと。
成長のチャンスだということ。
探求する者は「真実」や「真理」を悟ろうとする、また「自己」や「愛」を探求する。
そうすると、
真実を探求すれば「幻想」を体験し、真理を探求すれば「虚偽」を体験し、
自己を探求すれば、「分離した自己」を体験し、愛を探求すれば、「あらゆる苦しみ」を体験します。
ですが、【闇】も【光】もどちらも必要なプロセスなわけです。
なぜならこの世界は
表裏一体であり、プラスとマイナス、いいことがあれば、悪いことがある。
と言うようなニ極的な世界だから。
これが「地球の法則」でありこの星で生きるためには避けられない事なんですね。
イエスもブッダも「この世は苦である」「人生は苦なり」と言っています。
みなさん安心してくださりまし
この世は苦しみの世界なんです。
誰しもが通る道ということ、あなたの苦しみは間違いありません。
だから「生きること自体」苦しもうが、喜ぼうが、喜怒哀楽している今にこそ、意味があるんです。
体験が「道」でありプロセスであり瞬間瞬間ゴールしている。
生きているだけで丸儲けとはこのこと。
「真実は幻想を越えたところ」
「愛は苦しみを超えたところ」
言わば【視点】の持ちようにあります。
例えば、自分の時間を作るために仕事を休んで罪悪感を感じたとき、
休んだからと言って気持ちが楽になったかと言えばそうでもないなぁ
↓から
じっくりと考えなさい。
しかし、行動する時が来たなら、
考えるのをやめて、
進め。
(ナポレオン・ボナパルト)
止まることさえしなければ、
どんなにゆっくりでも
進めばよい。
(孔子)
という視点を持つと捉え方が変わりませんか?
この世界は自分の視点でもあります。