最近春っぽい気温にはなってきたけど相変わらず気温差すごいですね。
風邪引きそう。
あと花粉が相変わらず強いです。早く春終わらないかな。
ブログってびっくりするぐらい書くこと極端にないよね。
僕は個人的なブログもしているんだけれど、それだって毎日書くことはとても大変です。
でも、何かを遺しておく、ということに関してはとても最適なコンテンツだと僕は思います。
SNSにしろ、音楽にしろ、写真にしろ、絵にしろ。
表現をすることは、作品を遺すこと、すなわち自分を遺すことにつながるのだと思う。
承認欲求は誰にでもあって、それは拭いきれない人間の本性でもある。本質と呼ぶべきだろうか?
僕が何を遺していきたいのかは、僕もまだよくわからない。
でも、音楽に触れて、いろんな活動をはじめて、それに対して楽しさもきちんと見つけられている。
誰かが見てくれているという喜びも感じる。
とても、幸せなことだと思う。
最近、映画をよく見ました。
前はよく見ていたんですが、何かと理由をつけて、言い訳をして観なかった時期が増え、だいぶ離れていました。
久しぶりに、1日に3本観ました。目は不思議と疲れなかったけど、すごく楽しかった。
人が作ったものって、素晴らしい力を秘めているんだな、と改めて感じました。
一番面白かったのは
オール・ユー・ニード・イズ・キルという映画。
日本のライトノベルが原作の、ハリウッド実写化映画。
ものすごく面白いです。殺されるたびに時間をループし、同じ場所から「リセット」される主人公。
久しぶりにすごくいいな、という映画に触れました。
洋画はほとんど好きだけど、終始楽しすぎてどきどきしっ放し!というのはあまりないので、ただ観てよかったの一言でした。
心に訴えかけるような作品は、
鑑定士と顔のない依頼人、という映画。
事細かくいうとネタバレになるので言いませんが、とにかくラストの衝撃と淡いながらもがっしり爪痕を残していく感じ。
きらいじゃないです。
一番、人に何かを伝える手段として適切で分かりやすく明確なのは、
漫画やアニメ。だと僕は思います。
これは字面だと理解し難い箇所も絵が補ってくれます。
例えばバトルシーンとかは、すごく分かりやすいですよね。
体の動きとか、技の迫力とか、キャラクターたちの表情、アニメなら声の抑揚も伝わるわけですから、訴えかけてくるものは多いですよね。
小説と違い、絵や映像が施され世界観を忠実に再現できる技術があるので、記憶には残りやすい。
例えば名場面、とかはよく取り上げられますが、結構読んでいたり観ている人は「ああココね!」とすぐ記憶を呼び起こすことができると思います。
記憶に残りやすく、かつ何かを訴えるにはとても適切だと思います。
次に、ゲーム。
これは映像もキャラクターの表情、声もあれば世界観を補足するための説明、用語解説などがあります。
かつ、自分でストーリーを進めていくので主人公に感情移入しやすく、その中で培われていく仲間との友情、世界との決裂、自身の成長。
同じく時を共にする仲間たちだからこそ、その言葉一つ一つに重みを感じたり、場面場面に事細かいストーリーが埋め込まれているので、ゲームで得るものは、決して他では得られない素敵なものを生むと僕は感じます。
ただし、アニメなどとは違い自分で進めていくので、やる気と気合いとその作品に対する愛情がないと続けていけない、というのがあります。
ファンタジーとかを嫌煙する人は割と多くて、ストーリーが複雑で覚えきれないのと、話がややこしい上に長く、矛盾が多いしサブクエストだのキャラクター同士の何気ないチャット会話などがちょっと。。という人もいるので、本当に作品に興味がないと、どれだけいい作品でもそれを知ることのできないという欠点があります。
三つ目は、小説。
文字だし、分かりやすく解説があって、理解するまで何度も読み返せる。伏線もページを戻って回収できる。そこが強みでもありますよね。
ただ、残念ながら文字の羅列は記憶に残りにくい。
それとキャラクターの名前が覚えにくい。特に外国のものだと、誰が誰だかよく分からなくなっているのにまた新しい人!という場合があります。
情報が文字でしか得られないので、誰が誰なのかわからない、という欠点。
また大事なセリフがあれど、よほど何度も読み返していないと覚えていないことが多いです。
共通した本の話をする時、なかなか場面が思い返せないことも多い気がします。
4つめに、映画やテレビドラマ。
まず、制限が多いです。時間制限。
そして特にこれは洋画に多いですが、字幕の限界。
時間に限りがある中でどれだけ映像と演技を駆使して物語を通して伝えたいことを明確に打ち出せるか。それにかかっていると思います。
僕は洋画が大好きマンなのでよく見るのですが、そんな時間制限の中でもきっちりと起承転結で纏め、最後は「よかった!」と言える最高の作品たちにたくさん出逢いました。
邦画は世間で騒がれるアイドルやタレントを起用することが多いですが、洋画はいちいちキャスティングをし、そのためのオーディションを行うので、それぞれのキャラクターに当てはまる人物が演じることでようやく「登場人物」として成り立っています。
その人たちそれぞれがそれぞれのキャラクターを演じ、表情や声音、視線や仕草などで様々な場面を色濃く美しく魅せます。
記憶には残りやすいどころか、名作なものはずっと胸の奥に消えない爪痕を残していきます。
しばらく僕はいい作品を観た後、その世界観に影響されて呆然としてしまうのですが、その虚しさや拭いきれない高揚に、いつも圧倒されます。
ここまで伝えられるのか、と。
最後に、絵や写真。僕らの音楽も、ここになります。
これに至っては、一つでしか伝えることができません。
絵は記録であり記憶でもあり、想像の産物の中で人に何かを伝えるもので、写真はその瞬間を切り取ったもので人に何かを伝え、音楽は演奏し歌い奏で、歌詞と曲で何かを人に伝えるものです。
これに関しては、難しいです。
訴えかけてくるものは訴えかけてくるし、絵や写真はまず展示にいかないと出逢うことはできません。
今はSNSが普及し、どちらも身近なものになりましたが、それでも、本当に興味のある人にしか伝えることができません。僕はそう感じます。
音楽も広く言えば、どこでも音楽が流れているし、音楽を買えるし、持ち歩ける。果ては自分でも歌えちゃったり、コピーバンドとかでも演奏できちゃうわけで。
ただどれしも、一つのことで、余計なことを一切述べず伝えられるもので、伝えられる手段で、制限された世界の中でも、うまくそれを構築し、伝えています。
だからこそ、想いは一点に集中し、自分の内側にある最も自分に近しい心を投影できるとても、とても「自分を表現する」ことにおいて非常に適しているものだと言えます。
長々と書きましたが、
これら全てには共通点があります。
それは、「伝えること」。
己の中にあるものを伝えること、世界の情勢を伝えるもの、世界への反抗、メタファー、世界は違えど身近にある大切なことを伝えるため。。
作品に込める、また打ち出す理由は人それぞれ違うでしょうが、それはどれも「表現」と言えると僕は思います。
今、それには枠組みがあります。
小説が好きな人は小説だけ。
漫画が好きな人は漫画だけ。
アニメが好きな人はアニメだけ。
(ここ3つは本に分類されるため、統合してこの3つが好きな人は沢山いますが。)
映画が好きな人は映画を。
写真が好きな人は写真を。
音楽が好きな人は音楽を。
こんなにも人の「伝えたいこと」は溢れているのに、どれも、一つの括り訳になってしまって、結局その枠組みの中でしか、伝えられないようになってしまっているような気がします。
もちろん、ひとつのことに没頭するのも、好きになることも重要だと思います。
だけど、それだけだって決めつけるのも、もったいないなあと僕は思います。
これだけ世界は広いのに、自分の視野が狭いせいで、そばにある素敵なものに気づかないままだなんて、なんだか勿体無く感じませんか?
僕は感じます。
だから、興味のあること、まだ知らないこと、その全てに関心を持ち少しでもそれに関わるために自分で足を踏み入れています。
僕は自分のことをとてもつまらない人間だと思っていて、そのつまらない人間で終わりたくないから、とことん世界を見つめます。
音楽でも、こういうブログっていう小さい場所でも、そこに人が関わるのなら、それは「表現」になると思うのです。
音楽では、音楽でしか伝えられないことがあり、僕らはそれを伝えていきたいですし、音楽を知らなかった人にも知ってもらえるような音楽でいたいなと思います。
何が言いたいのかわからなくなってきたけど、兎にも角にも、伝えることをやめなければ、誰かにはきっと届く気がして、そんな気を持っていないと、やってらんないのです。
遺したいから、伝え続けます。
音楽。
僕はまだ駆け出しでヒヨッコなんですが、それでも一緒にやろうと言ってくれた人がいるので、負けないように。
耳を傾けてください。
僕らの音楽に。
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Seaff et Cetera Melty Plaza / Vocal
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