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ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく

ビコールの魚屋のブログです。行きがかり上フィリピンに住むことになった時の所持金は、僅か7000ペソ。
その後、山あり谷ありを経て18年後の今もなんとか生きてます。


最近このブログを通して、友達づきあいをさせていただくようになった方が何人かいる。
実際にお会いした方もいれば、メールやスカイプだけの、昔でいえば文通友達のような方もいる。もちろんそのどちらの方にも言えることは、心に通じ合うものがなければ友達関係などは成り立たぬということだ。
今日は、その中でもお会いしたことのない二人の方について少し話そうと思う。

群馬県に住むJunさんは、僕より二つ下の47歳。
以前は造船関係のお仕事につかれており、現在は独立なさってある会社の経営に携わっている。
彼の夢は、奥様の故郷であるミンダナオのディゴスという町に移住して暮らすことだ。そのために数年前から準備を進めており、10ヘクタールの田んぼを確保した段階で、ニューライフに挑むことを心に決めて努力をしている最中だ。

彼の話は、僕の興味をそそるものばかりだ。
これからフィリピンでやろうとしている農業や造船ついての展望や、その他にもフィリピン在住の日本人とのトラブルの経験、沖縄の各島々を船で回ったときの様子など、話は尽きることがない。







特に素人の分際で90フィートのFRP(俗に言うファイバーグラス)のバンカボートを建造してしまった僕にとって、造船のプロである彼の話は目から鱗が落ちるものばかりである。もう少し彼と早く知りあっていれば僕の船も、もっとましな物になっていたのではないかと思うと少し残念だ。
それでもボートの制作やメインテナンスに関して色々アドバイスしていただいていることで、それをヒントに将来はトリマランスタイルのバンカをFRPで造るのが、今の僕の夢になりつつある。
そんなJunさんと先日スカイプで話していて、全財産をフィリピンに投入せんとばかりに意気込む彼の姿に少し不安を感じ、僕なりの意見を話そうという気になった。
ところが結果から言うと、それを言わずのままその日のスカイプセッションは終わることになる。
それはなにも、決して言いそびれた訳でも言い忘れた訳でもない。
彼の口から劇的に明かしてみせた覚悟を聞いて、思わず言おうとしていた言葉を飲み込んでしまったというのが真相だ。

物事を人の成功や失敗から学んだりすることがあるが、成功と失敗の原因が、実は一つの根っこを持つ諸刃の剣であることに気付いたりすることがある。
例えばイチローは一年365日バッティングセンターに通いながら、激しいトレーニングをして一流の野球選手になった。
ただ万人もの野球少年がそれを倣ってイチローと同じ行動をとったとしても、彼のような選手になれる可能性は、それこそ万分の一にも満たぬことであろう。
それだけではない。中にはそのせいで人生を棒に振るようなことになる人も出てくるかもしれないのだ。
さてどうしたものだろう。
かたや野球に打ち込んだせいで世の中に打って出ることができた人間と一方では社会の片隅に追いやられることになった人間。同じ努力をした人間の中から二通りの人間が生まれることになる。
この当たり前のことから何を学ぶべきか。
僕には、確立しかないように思える。
個人の才能や環境を考えて、将来達成しようとしていることの実現性を計り、その度合いによって、それぞれが人生の危機管理を講じていくことが必要だ。
具体的に言えばこの場合、野球選手になれないことを想定して、きちんと勉強するなり手に職を付けたりと、そのような行為をした方が良いということである。
これが一般的な人生の選択だと僕は思っている。
そしてこのことを僕はJunさんに最初伝えたかったのだ。
だが、本当にこれは正しいことなのだろうか。

フィリピン関係でもよく言われることがある。
“自分だけは特別だと思うな”
ある意味では真理だと思うし、そうでないとも思う
だだJunさんはこう言っていた。
「仮に金も土地も全部女房に取られてしまったら、それはそれで仕方がない。もしそんなことで怒ったら、私も金だけの人間だったことになる」

夢を追うのか追わないのか、冒険を取るのか安全をとるのか、もちろん二者択一ばかりではない。人生にはいろんな選択がある。
そしてその選択の結果、満足のいくものになるのかそうでないのかは誰にも分からないことなのだ。そうなると結果にばかり言及することに何の意味があるというのだろう。
後悔先に立たずとは良く言ったものだ。それは現在の幸せと将来の幸せが、必ずしももリンクしていないことから起こる現象だ。
仮に後悔することになったとしても、それは自分達に何か落ち度があったせいばかりとは限らないし、その場合過去を否定する必要もない。
肝心なのは、覚悟や美意識だとJunさんは言っているのだ。
ステレオタイプの小手先の手練手管は彼には似合わない。
しかし
それでも奈落の底に落ちたとしたら、それを臆面にも見せず虚勢を張るのも、あえて流行りの言葉を使えばサムライということになるのではないか。
なぜかそんな潔い気持ちにさせてくれたJunさんの話であった。

大胆さと繊細さを持ち合わせるJunさんならきっとやるに違いない。
今僕が心の底から応援している方の一人である。

                     つづく