今日もお疲れ様でした、自分。
仕事を終え、電車に揺られながら思う。
今夜こそはヘルシーなご飯にしよう
野菜、たんぱく質、無添加、低カロリー……ああ、なんて模範的な自分
その思いは、駅から家へ歩きはじめて3分で崩れ去る
あの看板が……あののぼりが……そう、「家系ラーメン」の誘惑である
🍜味はパンチ、香りは殺傷力
まずスープ。この豚骨醤油の重厚感。
ひと口すすると舌が「おいおい、これこそが食事ってもんだろ?」と悦ぶ。
脂がキラキラしているのではなく、もはや主役として舞台中央に立っている
麺はモチモチ、ズルズルと吸い込まれ、脳内幸福物質がドバドバ湧き出す
ほうれん草の青々しさは「一応、栄養ありますよ」という免罪符
そして家系に救われるという錯覚と真理
ひと口、またひと口、そして……スープ完飲。
塩分?気にしない。
カロリー?生きるには必要。
その瞬間、ぼくはすべてを赦し、赦されたのだ。
家系ラーメンとは、
「頑張りすぎなくていいよ」と優しく語りかけてくれる、味の形をしたセラピストなのではないか。いや、そうだと思いたい。
まとめ:人生は家系、つまり濃いめ多め硬め
今夜の一杯は、ただの夕食ではなく自分への表彰式
スープの奥底に、自分を肯定してくれる何かがいた。きっとそれは脂の妖精だ
栄養士には怒られるかもしれない。でも今日だけは許してほしい。
だってこのラーメン、美味しさの中にちょっとだけ、生きる勇気があったんだ。
