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最近、色々な人とお話したりする機会があり、本当にいろんなことを考えさせられます。
生きるとか死ぬとか、個人とかに対してどうとらえて、それを考えるか、なんてお話。
宗教じみているのかもしれませんが、特に宗教がどうのこうのというより、
自分自身がどうとらえて、どうそれに向き合うかが大切なのではないかと思います。
まずは生死感について。
人は死んだら、どうなるのか?
1)何もなくなる
2)意識は残る
なんて二択に考えたりしますが、実はまだ違った切り口の答えがあるのかもしれません。
何もなくなるとしたら、この世にこうして生きていることの意味は何なのでしょうか。
考えても答えが見えてきません。
意識が残ったり、あの世といわれる世界があるという考えに軸足を置いたほうが、
今生きている意味、人生ですべきことを考える場合、より明確になるのではないでしょうか。
意外と短い人生において、目標や意味を失ってしまっている人が
多すぎる世の中だと思います。
僕の持論では、産業革命以降の人間生活の効率化、便利さを追い求めるがゆえに
たくさん失うものがあって、その中に、人生の意味や目標も含まれてしまっているのではないかと思ったりします。
現在、都市部に生きている人間と、農村部や山間部に生きている人間、どちらが生き生きと生活しているでしょうか。
明らかに後者なのではないでしょうか。
決して便利でもないし、生活するうえでの色々な苦労も多そう。
それなのに、田舎暮らしのほうが「幸福度」が多いように見受けられます。
その辺に何かヒントがあるのではないかとおもう昨今です。
つづく
生きるとか死ぬとか、個人とかに対してどうとらえて、それを考えるか、なんてお話。
宗教じみているのかもしれませんが、特に宗教がどうのこうのというより、
自分自身がどうとらえて、どうそれに向き合うかが大切なのではないかと思います。
まずは生死感について。
人は死んだら、どうなるのか?
1)何もなくなる
2)意識は残る
なんて二択に考えたりしますが、実はまだ違った切り口の答えがあるのかもしれません。
何もなくなるとしたら、この世にこうして生きていることの意味は何なのでしょうか。
考えても答えが見えてきません。
意識が残ったり、あの世といわれる世界があるという考えに軸足を置いたほうが、
今生きている意味、人生ですべきことを考える場合、より明確になるのではないでしょうか。
意外と短い人生において、目標や意味を失ってしまっている人が
多すぎる世の中だと思います。
僕の持論では、産業革命以降の人間生活の効率化、便利さを追い求めるがゆえに
たくさん失うものがあって、その中に、人生の意味や目標も含まれてしまっているのではないかと思ったりします。
現在、都市部に生きている人間と、農村部や山間部に生きている人間、どちらが生き生きと生活しているでしょうか。
明らかに後者なのではないでしょうか。
決して便利でもないし、生活するうえでの色々な苦労も多そう。
それなのに、田舎暮らしのほうが「幸福度」が多いように見受けられます。
その辺に何かヒントがあるのではないかとおもう昨今です。
つづく