授業でのレポートで、いろんな意見を聞きたいから載せます。

日本語もまだまだですから、どうぞよろしくお願いします。

 

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「イージーライダー」

1969年

監督:デニス・ホッパー

脚本:デニス・ホッパーピーター・フォンダテリー・サザーン

製作:ピーター・フォンダ

出演者:ピーター・フォンダデニス・ホッパージャック・ニコルソン

 

 主演であるピーター・フォンダはあるインタービューで「Easy Rider」はどういう意味ですかと聞かれたら、そう答えたんだ「アメリカの南部でeasy riderとは妻が水商売で稼ぐお金で生活している男たちのことだ。女を取り持つ人じゃなくて、風俗嬢と同棲している人たちだ。彼らは他の人を乗りながら(すねをかじる?)、自由な生活し続けているヒモ男だ。いい?これはアメリカによくあることだよ。自由は俺たちの言い訳になっちゃって、俺たちを自由に生きさせる。」この映画とほぼ同じ時期にウッドストック・フェスティバルという音楽祭も開かれた。「ロックを中心とした大規模な野外コンサート。約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートになると同時に、1960年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベントとして語り継がれている。」(ref.ウィキペディア)二つの映画を見ても、「自由」とは何かまだはっきりいえない。夢、自由、愛、言い訳として一番いい言葉になってしまった感がする。「Easy Rider」の主人公である二人は、コカインの密輸で大金を得てから、カリフォルニアからマルディグラを目指して旅に出る。自由を追う道はまず犯罪することなんて皮肉じゃないの?コカインのせいで、誰かが自由を失うかもしれないけど、彼らは「自由のため」をいいながら、他人の自由を奪うことを簡単にやってしまった。結局、「自由」を体現する彼らは赤の他人に殺されたーー「自由」を奪われた。自由は追ったらつかめることだか?必ずしもそうとはいえないと思う。自由は追う必要がなくて、常に持てるものだと思う。何をしてから、自由がもらえることではなく、何をしても、自由さえあれば、自分に力を与えて、恐れるものがなくなることだ。映画の主人公のように、人を不自由にさせることを基づいて自由がなかなかできない。中国で「物極必反」という四字熟語がある。日本語に訳すると、「物事は極点に達すると必ず逆の方向へ転化する」という意味だ。いわゆる、「自由すぎる」と「不自由」になってしまう恐れがある。あの時期に主人公が死んだというパターンが一応あるけど、二人に「自由すぎる」、いわゆる、勝手な他人に殺されたシーンは多分監督と脚本家である二人が自由を言い訳として生活している人たちへの批判もあると思う。

 と同時に、「夢、自由、愛」を実現するために、ウッドストック・フェスティバルでマリファナを吸って、音楽を聴きながら、セックスをしている人たちもたくさんいた。彼らの行動は今平和な生活を送ってきた私にとって理解しにくい。多元宇宙は複数の宇宙の存在を仮定したんですが、私たちは同じ世界にいるというより、同じ宇宙にいったほうが正確な感がする。同じ宇宙にいても、違う信念を持てる人たちがいるから、多様な世界があるわけだ。しかし、私は自分の信念を持てるから、所謂「自由」をとなえる世界に踏み出すことはしない。自分が選んだから、「自由だ」とは言える。こんな世界にいかないと「自由」になれない論調は「自由」を追ったばかりに過ぎない。自由に拘ることは不自由である。自由のカタチって何か?人々の自分自身にあるわけだ。