ルイジアナのスワンプ・ブルース界のスーパースターと言っていい、ハーピストでありシンガーであるスリム・ハーポ。沼地が多く、湿気が高いルイジアナの土地柄からなのか特有のユルさと湿り気が特徴と言われています。

 私がスリム・ハーポを知ったのはブルースの沼に迷い込んで割と直ぐに認識しました。なぜか。それはハーポの与えた影響はブルース界のみならずロック界にも及んでいました。特にイギリスのロック界で顕著であり、特にローリング・ストーンズへの影響は大きく「I'm A King Bee」「Shake Your Hip」の2曲をカバーしており、その他にもヤードバーズ、ニール・ヤングなどもカバーしています。

 聴いてもらえば理解できると思いますが、最初にハーポを聞いた時は、シカゴ・ブルースを追っかけている時で、その延長で聴いていたのですが、最初は「ちょっとテイストが違うな」「スワンプ・ブルースって、ちょっと不思議」みたいな感覚でした。しかし結局は最後まで聞き終えてしまい、気が付けばずっぽりとハーポの世界にハマってしまい、今に至るという事です。今でもそうですけど、ゆったりとしたゆる~いムードながらずっぽりと首まで沼地に浸かってしまいました。

 そうそう、ハーポという名前は、エクセロ・レーベルからデビューする時に「ハーモニカ・スリム」という名義にするつもりだったそうですが、この時、既に同名のアーティストがいるという事で、ならば名前を逆にして「スリム・ハーポ」にしたそうです。芸名のつけ方も一種のユルさが感じられます。またハーピストとして認知されていると思いますが、ギタリストとしても名を挙げており、実際にギブソン社がハーポのシグネチャー・モデルを発売しています。

 残念ながら1970年に46歳で急死してしまいます。ライトニン・スリムとともに初のヨーロッパ・ツアーを行う矢先だったようです。もう少し長く活動していればハーポの評価は、今よりもっと高い評価を得ていたのではないかと思います。

 

 左はハーポと言えばこれと言われているエクセロから1961年リリースの「Rainin' My Heart」。57年にシングル・デビューしていますので、これはアルバムとしてのテビュー盤かもしれませんが、いずれにせよ「これがスリム・ハーポだ」という1枚です。これにはストーンズが取り上げた2曲が含まれています。聴いてもらえばわかると思いますが、何とも言えないゆる~いビートと少し鼻にかかったボーカルにハマってしまいます。

 右は同じく66年にリリースされたセカンドとなると思う「Baby Scratch My Back」。R&Bチャート1位に輝いたタイトル曲とストーンズだけでなく、ウエスト・ロードも取り上げた「Shake Your Hips」が収録されています。

 

 左は68年リリースの「Tip On In」。「Baby Scratch My Back」以降、ハーポの十八番というか得意の路線である8ビートに軽快に乗っていくスタイルを楽しむことが出来ます。忘れずに聴いてほしい1枚です。

 右は多分69年のベスト盤。写真の物はAceレコードから出されています。代表曲を1回で聴くには良いでしょう。

 

 

 基本的にエクセロ一筋であったハーポは22枚、44曲を残しています。これはそのエクセロ録音を録音順でなくレコード番号順に全曲並べた2枚組。ブルースもソウルもファンクも全てのハーポを楽しめて聴く事が出来ます。

 

 スリム・ハーポの作品がどれだけ手に入れられるかはわかりませんが、やはりハーポは“ミスター・ルイジアナ・ブルース”です。機会があれば、是非是非聴いてください。

 

 

 何も知らずに聞くと「女性では」と思ってしまうようなハイ・トーンなボーカルと軽快なブギサウンドで知られるJ・B・ルノアー。1950年代から60年代にシカゴ・ブルース・シーンで活躍していました。40年代にはニュー・オリンズでサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡやエルモア・ジェイムスと共演していたそうです。シカゴではJ.O.Bで初録音し、その後チェスで録音をはじめ、その後チェッカーやパロットなどのレーベルで録音しています。その傍らナイト・クラブではメンフィス・ミニーやマディとも共演し当時のコミュニティーで知られた存在でありました。

 ルノアーの作品は軽快で軽やかなブギ調の曲を得意としていましたが、詩の内容としては人権問題、反戦、男女問題といった、その当時の社会的問題を詩に綴るという非常にメッセージ性の高いアプローチをブルースに取り入れていました。

 特に54年にリリースされた「アイゼンハワー・ブルース」は大統領を誹謗したとして圧力をかけられ発禁に追い込まれてしまいました(その後、歌詞とタイトルを変えて「タックス・ペイイング・ブルース」として再発)。

 しかしルノアーはそんな圧力に決して屈することなく、朝鮮戦争やベトナム戦争、人権・人種問題を取り上げ、反骨の精神があふれるパワフルな楽曲を録音し続けました。ただ、アメリカでは誰も発売したがらなかったため、ヨーロッパで歌い、録音をしたようです。

 ただ残念なことに67年4月にイリノイ州で交通事故に遭い、その3週間後に内出血と心臓発作で亡くなりました。事故の際、病院で充分な治療を受けられなかった事が死亡の原因だと今でも言われています。

 

 

 ルノアーと言えばこの「ナチュラル・マン」。非常にピッチが高いのため、世間では女性だとか、男性としても少年なのではないかと思われていることに対して、「俺は普通の男だ」と歌っている曲から始まるチェスでの最初の作品。他に「アイゼンハワー・ブルース」「コリア・ブルース」「アイム・イン・コリア」といったメッセージ性の強い曲の他、ルノアーらしいブギ調の軽快な曲も収録されています。

 このジャケットを見てください。真っ黒な背景の中のルノアーの表情を。いろいろな思いがあるのではと想像させてくれます。当然、CDよりLPの方が迫力100倍です。

 

 

 

 左はルノアーの初期にあたる51~53年のJOBと60年のヴィー・ジェイ録音などをまとめたもの。溢れる才能の鬼才シンガーでギタリストでありソングライターと言われていること理解できる個性的な作品が収録されています。

 

 右は2003年に突然発売された63年のサニーランドスリムとのライブ盤。サニーランドノのピアノをベースに、シカゴのニーナズ・ラウンジという小さなクラブにテレコを持ち込んで録音したもの。リラックスした様子が伺え、違ったルノアーを聴くことが出来ます。

 

 

 

 左は60年代にCBSからリリースされた全曲アコースティック・ギターによる、弾き語りのスロー・ブルースのもの。これも凄くいいです。ルノアーが才能あふれていたことが理解できます。

 右は50~60年代に出されたシングルをコンプリートした2枚組。よりルノアーを知ることが出来ます。

 

 ルノアーの作品はまだまだ手に入れやすいと思いますので、興味のある人は、是非、手に入れて特異なブルース・マンのメッセージを聴いて欲しいと思います。

 

 チャーリー・クリスチャンはジャズ・ギタリストであり、“モダン・ジャズ・ギターの開祖”としてジャズ史に必ず登場しています。チャーリーがジャズ界に登場したことによって、ジャズにおけるギターの在り方を180度変えてしまったと声高に言われており、その証拠に、ジム・ホールやウェス・モンゴメリーと言ったジャズ・ギター界の巨匠らが口を揃えて賛辞を送り、そのフレーズをコピーしたと証言しています。そして今の私たちがあるのは、チャリーのお陰だし、その功績は計り知れないとも言っています。

 

 その功績とは何かと言いますとチャーリーが登場する前のジャズ界では、ギターはコード弾きによる伴奏が主であり、アドリブやソロを弾くメロディ楽器として使われることは無かったとは言えないがかなり少なかったようであります。

 

 じゃー、何でブルースの沼に入り込んでいった私が、ジャズ・ギタリストのチャーリーの事を語っているのか。それはファンであるT-BONEを聞き調べるうちにチャーリーを知ることになり、何と二人は幼馴染であり、チャーリーがT-BONEをギターの世界に誘い、共に学んだようです。きっと「俺はジャズの世界に行くから、T-BONEはブルースの世界に行ってお互いに頑張ろう」みたいな会話があったのかもしれないですね。

 そもそもジャズとブルースは兄弟のようなものであり、チャーリーとT-BONEだけでなく、ピアニストのアート・テイタムとジャンプ・ブルースとタイニー・グライムスの共演があったりしますから、それは納得の事実です。実際、タイニー・グライムスもチャーリーとの接点があったようですから。

 それからジャズ・ギタリストとして活動を始めたチャーリーは、その才能を開花させ、ロスで

ベニー・グトマンとライオネル・ハンプトンも参加するセッションで伝説の25コーラスに渡る圧巻のソロでベニー・グットマン楽団に加入し、デイジー・ガレスピーやベン・ウェブスター、セロニア・モンクらとのセッションでエレキ・ギターを炸裂させていたようです。そして数々の交流を通して、モダン・ジャズの礎となるビバップを作り上げたと言われています。

 ただ残念ながら1942年活動期間2年弱で、25歳と言う若さで肺結核によって夭折しています。ジャズ界で若くして夭折した著名なミュージシャンはおりますが、チャリーはその中でも際立っており、残念で仕方ありません。

 

 

    実はチャリー・クリスチャンは25歳という若さで亡くなっているため、残念ながら、彼名義のスタジオ録音はありません。私もこの3枚しか持っていません。

 まずは右下はソニーから発売された「ザ・ジーニアス・オブ・エレクトリック・ギター」という4枚組。ベニー・グットマン楽団として録音されたもの。過去に発売された曲やその別テイクなと、存在を知られているものについて全て収録されています。すい星の如く現れて、創造的なエネルギーの満ちた音が数々収録されています。

 上のCDはチャーリーの歴史的名盤と言われている「After Hours」と曲目は同じだが、タイトルは「Jazz Immortal」。デイジー・ガレスピーのトランペットなどもし聴くことができます。

 左下はこれもベニー・グットマン楽団でのコンボ時代のライブ盤。収録内容はなかなか良いです。

 

 チャリーのプレイは今聴いても、私には新鮮に聴こえます。でも1930~40年代の録音なんですよね。

 

 

 これはチャーリー・クリスチャンのことを一番評価している方が作った本。実は私はチャリーの存在を知ってから随分なるのですが、あまりにも情報が少なく、いろいろなところで紹介したいと思っていても出来なかったのが正直なところでした。

 しかし、この本の事を知り、すぐに購入して目を通して、チャーリー・クリスチャンの事をここまで詳細に記している事にビックリしました。トリビュート演奏を収録したCDも付属されており、商品説明にはジャズ・ファンやジャズを志すギタリストにさって必携の永久保存版ですとなっています。

 

 調べれば調べるほど、チャーリー・クリスチャンは魅力的であり、その功績も奥深いものがある事がわかりました。現在はどれだけ作品を手に入れることが出来るかはわかりませんが、興味があれば、ぜひ聴いてみてください。

 

 

 

 

 

 ウエスト・コースト・ブルースの中でもベイ・エリア・スタイルのブルースの代表格と言われているジミー・マクラクリン。ローウェル・フルソンの代表曲で、ウエスト・ロード・ブルース・バンドのヴァージョンでも有名な「トランプ」の共作者で、シンガーでありピアニストです。

 私もマクラクリンを知ったのは社会人になってからで、少し遅めでした。それからいろいろ調べたのですが、キャリアはとても長く、界隈ではファンキーなプレイ・スタイルで知られていたそうです。そして驚いたのは、子分のギタリストとしていたのが、Tボーン・ウォーカーだったそうです。

 ローウェル・フルソンが実力や重要度から比べて過小評価されていたように、マクラクリンはフルソン以上に評価されておらず、その証拠に日本盤の発売はまともにされておりませんでした。

 1曲でも聞いてもらえばわかると思いますが、故郷のオークランドのクラブで叩き上げのテイストを失うことなく、マクラクリン節と言われる個性的で独特の節回しも当然ですが、独特のファンキーさとロックな感覚が最大の魅力と言われています。

 

 

 左はPヴァインからの「Jumpin' Bay Area 1948-1955」。マクラクリンは45年が初録音と言われていますので、初期のこの頃は典型的なベイ・エリア・ブルース・スタイルと言われています。48~50年の録音はゴツゴツとしてジワっと効いてくるのに対し、54~55年はよりタフな味わいで、相棒のギタリストである、ラファィエット・トーマスのギターの暴れっぷりから、ベイ・エリア・ブルースの極め付きと言われています。

 右は右のPヴァイン盤を補足するものとして、モダン時代初期にスポットを当てたエイスの輸入盤。こちらは女性コーラスを入れたりとファンキーな要素を増し、ボーカルもよりラフになり、ユニークさも加わり、この時代にマクラクリンの個性に磨きがかかったとそうです。

 

 

 マクラクリンは日本盤が少なく、この2枚は輸入盤。左は「BLUES BLASTIN' vol.2」というモダン時代の未発表曲等を含めたエース盤。それ以上詳しいことは私の英語力では時間がかかりそうなので省きますが、内容はこれも満足度の高い作品です。

 そして右は丁寧な編集で、私の大好きなベア・ファミリーが手掛けている「ROCKSシリーズ」。多分、時代ごとに、レーベルごとに整理されており、ライナーノーツも英語ですが丁寧に作られています。

 

 お馴染みクラッシックからの編集版。これは1948-1951年ですが1945‐1948年があり、この2枚でマクラクリンのチェス、マーキュリー、インペリアル等の録音をまとめたもので、マクラクリンのダンス・ナンバーやコーラスを配したモダンなもの、そして本来のファンキー・ブルースまで聴くことが出来ます。私も早く1945-1951年盤を手に入れなければ。

 

 

 ジミー・マクラクリンの作品は、日本でのリリースが順調では無かったとはいえ、実は今でも比較的手に入れやすいと思います。世間での評価は高くないですが、ぜひ多くの方に聞いていただき、少しでも評価いただきたいと思います。

 

 

 

 まず最初に、小出斉氏に続いて、日暮泰文氏が逝去された。「BLUES&SOUL誌」の前身の雑誌を立ち上げ、何よりPヴァイン・レコードを創業された方である。私が視界不良のブルースの沼にはまり込んでいく中で、情報として、文書として、知識として圧倒的な量を提供してもらいました。さすがに「ザ・ブルース誌」を買うことはできませんでしたが、1978年9月号の「BLACK MUSIC REVEW」から現在の「BLUES&SOUL誌」まで毎号買い続け、保管し続けていますし、何よりPヴァイン・レコードによって、どれだけ手軽に身近にブルースを手に入れることが、今日においても可能になっているか、改めて身に染みて感じています。本当にありがとうございました、と言いたいです。

 

 ブルースを知識として日暮氏の著書。左は「ロバート・ジョンソンを読む」という2011年のロバ・ジョンの生誕100年を迎えた時の作品。初版限定で全20曲のCD付きというもの。読むのに時間はかかりましたが、とても理解しやすい内容です。

 右は2020年の「ブルース百歌一望」。100曲の作品をその曲の意味や背景について日暮氏の長年にわたる研究から書き下ろされたもの。正直、ブルースの歌詞はわかりにくいし、スラングも多いように思っており、なかなか歌詞の意味を理解するのは難しいと日々感じている中ですが、この作品はそういった意味では「へ~」と思わせてくれる作品です。

 

 これから新たに手に入れた日本のブルースです。

  

 まずは右側はリリースされると聞いて「ホントに~」と思わず叫び、速攻で手に入れた、ブレイクダウンの1978年の長崎大学でのライブ。大学1年生の時、初めてブレイクダウンのライブを観た時の衝撃が鮮明に残っているうえに、今だに1980年の1stライブ盤を聞いている私としては、とてつもない衝撃でした。それも1978年となれば1stライブ盤より古い録音ということです。解説を妹尾みえさんが担当されているうえ、写真もあり、ファンにはたまらない一枚ですが、妹尾さんも雑誌に書いておられましたが、若い世代の人にぜひ聞いてもらいたいライブ盤です。

 そして左はブレイクダウンよりもさらに驚いた服田洋一郎の2枚組ソロアルバム。1990年福岡直方での一夜限りのブルース・ショウで、1部がAcoustic Side、2部がElectric Sidesと味わいの違う構成になっています。こちらも妹尾みえさんが解説しております。当たり前ですが、私の説明なんかより遥かにわかりやすいですし、情報量も豊富です。

 

 こちらは、ソー・バッドレビューのボーカリストであった砂川正和の2枚組ソロ・ライブ盤。実はブルースにはまり込む入り口段階ではR&Bをかなり聴いていて、ソー・バットレビューは結構好きでレコードやCDも持っているのですが、ここでソロ・ライブがリリースされるとは夢にも思っていませんでした。内容は当然、若かりし頃のソウル魂溢れる内容です。

 左は7インチシングル盤。珍しいと思い買ってしまいました。「A CHNGE IS GONNA COME」と「SOMETHING YOU GOT」のカップリングです。この収録だけで買いでした。

 

 左はホトケのブルース・ザ・ブッチャーの10作目となる「FEEL LIKE GOING HOME」。ホトケ自身が「BLUES&SOUL誌」に「一回はマディと向き合ったアルバムを作っておきたかった」と。当たり前ですが聴きどころ山盛りの素晴らしいアルバムです。

 そして右は急逝された小出斉氏の初ソロ・アルバム。皆さん、ぜひ手に取って聞いてください。

 

 そして3シリーズからなる「TOKYO BLUES YESTERDAY」。1970‐1980年代

に東京を舞台に活動したブルースマンの48曲からなる作品。私を含めどうも日本のブルースは関西だよね、という思いが強いのではと思いますが、どっこい東京を中心とする関東でもしっかりと熱いブルースが存在していたことがわかります。そう言えば以前に紹介した「Gott Move On Up」に繋がっていくのではと思います。

 

 ここにきて、日本のブルースの作品がリリースされてきています。ブルース・ファンとしては少し嬉しい気分になります。興味のある方はぜひ聞いて見てください。