まさに非現実的な映画だ。けれど、妙に浮足立った映画の出来になっていないのは、主人公2人だけに限らず、脇役である友人たちの持ち合わせる一かけらずつの「悲哀」。それが寄り添いあいながら奏でる旋律が素晴らしい味わいをこの映画に与えているように思える。映画「ノッティングヒルの恋人」といえば例の「青いドア」である。この青いドアは見事に、現実と非現実的な空間の境界線としてのシンボルの役割を一貫して果たしていた。ただの「オシャレ感」だけにとどまらず、こういった重要な演出上の意味を見せてくるところに、この映画の素晴らしさが隠されているようにも思う。「ノッティングヒルの恋人」という映画を最初に鑑賞した時には、正直なところ全くピンと来なかった。けれど先日、ひょんなことでもう一度観てみたところ、驚くほど染み入ってくる名作だということに今更気づいてしまい、むしろ得をしたような気になった。今後も歳を重ねるごとにこういった嬉しい再会が増えるのが楽しみでもある。