皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
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~ 道 ~


平成十四年十二月号
 
    母言わる 我れ一人の 子にあらず
     数多の子故 身を大切にせよ  弘
 
                  
 
心を開く
 
 
心を開く
☆ 「心行」・・・この心行には偉大な力が秘められております。私たちの心がいらいらする時、或いは苦しみの中にある時、心を鎮めて読んで頂きますと、心に安らぎを頂くことが出来ます。また親しい方がお亡くなりになったときに、心から「よく聞いて下さい。そして自分の心に目覚めて下さい。」とお伝えしてから読ませて頂きますと、亡くなったお方さえ救われて頂けますね。
 憑依現象という目に見えない世界のものが、私たちの心や体中に災いを起こしてきた時も、「心行」を心から読ませて頂きますと、憑依霊が救われて楽にしてもらえます。そういう不思議な力が秘められておりますので、皆様も、もし親しいお方、縁或るお方が亡くなられた時は心から読んであげて頂いたら決行かと思います。亡くなった方でさえ救われて頂くのですから、私たち肉体を持った者が、本当にその意味を理解して、「このように生きなければいけない、このように生活しなくては」と、日々の生活に実践しました時は、必ず救われます。
 
 自分という者を反省して、過去の幼いときから今日までを振り返ってみますと、愚かにも多くの過ちを犯し罪を作っており、そのつみのふかさというものが、嫌というほど浮かび上がってきます。たくさんの過ちを作っておくと、あの世に帰ったときは間違いなしに地獄に行くのかと思いまして作った歌です。
愚かにも悪行重ね罪つくりやがて帰らん地獄なる国
反省させていただきますと、「このままでは地獄へ行かなくてはいけないなあ」と言うことがよく分かります。その過ちを正して、少しでも今までに犯した罪の償いとして良き行いを積み重ねますと、
   日々に神のみ胸に抱かれて光の国に住めるうれしさ このような心境を頂くことができます。
 また、日々の生活で、見るもの触れるものに「ああ有難いなあ、ああ結構だなあ」と言って喜んでおりますと、今度は喜びごとがよろこんでくれます。そして喜びの仲間を連れて喜びに来てくれます。
 このように人生といいますものは、正しい道を知らなかったために、数々の過ちを犯してしまいます。その過ちはどこから来るのかというと、それは「怒り愚痴、足るところを知らない欲望」から来ます。
 この法は、その怒り、愚痴、貧欲を少しでも出さないように、怒り、愚痴、貧欲を少しでも離すように毎日の生活で努力することによって、その苦しみから解脱することが出来るという教えですね。ですから、「心の三毒」とも解いていただきました。心の三つの毒は、怒りと愚痴と貧欲です。
    お釈迦様がある時、お弟子から「仏陀、人間はなぜこのように苦しむのでしょう。その苦しみの原因はどこにあるのでしょうか。」と、質問されたのですね。その時、お釈迦様は「人の苦しみは怒りと愚痴と貧欲によって生じる。この怒りと愚痴と貧欲を離した時に苦しみはなくなるであろう。」とお説き下さいました。
   
この怒り、愚痴、貧欲についてもう少し分析してみますと、これから派生してくるもに
謗り、妬み、人を悪く思ったり言ったりする悪口、恨み、憎しみ、まだこない未来を
煩う取り越し苦労、過去の苦しみをずっと持ち越していつまでも忘れないで居る思い、
不安、恐怖、嘘、盗みなど、今ここにいろいろな心の苦しみの原因を数え上げましたが、もっとも中心となる原因はどこにあるかというと、怒りと愚痴と貧欲です。この三つからいろいろな心の苦しみの原因が湧いてきます。これを出来るだけ自分の心に入れないようにすることですね。話を聞いて「なるほどそうか、ああそれはいいことだ」と、こちらの耳から入れて、あちらに抜けますと、もう何にもなりません。最初はすぐに忘れてしまいましても、だんだん自分の心から失わないように努力して、出来るだけ心の中にしまって常に持続することが、法の実践に繋がって行きます。
 (心行は昭和五十一年に亡くなられた高橋信次先生が、生前に天上の世界から素晴らしい正しい法をお受けになり、私たち一般の凡夫でも分かるように言霊として表し、書き残していただいたものです。)
                
 
☆ 「心行」の本文より∞「われいま見聞きし 正法に帰依することを得たり」
私たちは今、目で見せてもらい或いは耳で聞かせてもらい、正しい御教えを見、聞 くことをして「この正しい教えに帰依することを得たり」です。「帰依」とは「南無(ナーモ)」です。
 南無阿弥陀仏・南無妙法蓮華経など、みな南無が付いておりますけど、この南無というのは字に書きますと、南が無いと書きますが、これはインドの言葉では「ナーモ」と言うのです。そのナーモというのが帰依するという意味で、「私はあなた様の教えに従います。あなた様の教えを素直に、日々の生活において実践致します」というのがナーモ、つまり帰依するということです。南が無いと書くのは、ナーモの当て字です。ですから、百年前ほど前に日本で生まれたT教などでも「南無天理王の尊」と言って拝んでいますね。あれは天理王の尊に私は帰依しますと言って唱えるわけです。南無大師遍照金剛、これは真言宗ですが、これも頭に「南無」が付いています。その教えを学ばしていただき、我が目で見せて頂き、我が耳で確かめて聞かせて頂き、そしてその教えを実践致しますというのが帰依することです。
 
 私達も正法、この正しい教えを聞かせて頂き、見せて頂き、そして実践いたしますというのが、正法に帰依することを得たりです。よく、この「南無」を付けて拝みますが、南無妙法蓮華経もそうですね。蓮華、つまり蓮の花にたとえてお説き頂いた教えが法蓮華経で、その教えに私は帰依しますというのが南無妙法蓮華経です。南無阿弥陀仏は、阿弥陀如来様に私は帰依しますということ。
 南無大師遍照金剛の意味は、「大師の位は弘法が取る」といいまして、いろいろな高僧と言われる方々が大師の位をもっておられますが、空海上人、つまり弘法大師があまりにも有名でしたから、大師と言えばお大師様、弘法大師様の代名詞になっているのですね。 そのお大師様の遍照、うまり遍とは隅々までと言う意味で、隅々まで照らすこと。金剛と言えばダイヤモンドの光のことで、お大師様はあまねく隅々まで、あのダイヤモンドの光のように照らして下さる。そのお大師様の教えに私は帰依しますというのが、真言宗の南無大師遍照金剛です。
 南無阿弥陀仏は、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ、一生懸命念仏し、ただ一念、念仏申さば」といって、その念仏宗にはありますけれども、これは「ナーモーアーミーダーボ、ナーモーアーミーダーボー」と唱えられたものです。アーミーの教えによって仏陀、つまり悟られたお方に私は帰依します。教えに従います。というのが南無阿弥陀仏ですね。 アーミーの教えによってお悟りになったのは、お釈迦様だったのです。そのお方の教えに従い実践します。というのが南無阿弥陀仏です。ですから、いくら「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」とお詣りして唱えても、行いが出来ていなければ何もなりません。
 久米田のお大師様のお堂に、おばあちゃん方7,8人遊びに来ているのですね。そこで屯(たむろ)して、人の悪口、お嫁さんの悪口の言い合いをしています。そこのトイレに行かせてもらいますと、なんとその汚いこと、もう男便所の下はおしっこでベタベタですし、女便所に入りますと、そこらにうんちがあちこち盛り上げてあります。お詣りに来てそんなところで屯しているのだったら、ちょっとお便所の掃除をしたら良さそうなものですね。実践がないのです。
 それであまり汚いので一週間に一度、私達がバケツとホースと床ずりなど一式もって掃除をしに行ったのです。私の姉と、姉の義弟のお嫁さんなどは、その山盛りのうんちを新聞紙に包んで捨て、そのあと、水できれいに洗って掃除をしていたのですね。ところが今度行きましたら、またいっぱい山盛りに汚れているのです。一年くらい毎週日曜日に掃除に通いましたが、これは叶わないと思いまして、ちょっと嫌味の歌を作って、ベニヤ板に書きまして、それを便所の入り口の所に打ち付けたのです。
 
     御仏の慈悲はここにも満ちあふれ汚れは仏の心悲しき
 
 さあ、それ以後は全くうそのように汚れなくなりました。この僅かな短い歌の言葉によって汚れないのです。一度見に行って下さい。今も板が貼ってあります。それ以後、お便所は全く汚れておりません。その後、岸和田のある婦人会の方達が日を決めて掃除に行ってくれているそうです。それまでは、便所の掃除ということの気付かなかったのですね。お寺詣りをしましても、皆さんがお寺で拝む場所だけが仏様のおられる場所とは違うのです。お便所の中にも仏様の慈悲は満ち溢れています。お便所は汚いところだから仏様はおられない、と思うからうんちで汚してしまうのですね。そして横へ横へ盛り上げて、ちゃんと穴があいているのに、その横にうんちの山がいっぱいできているのです。いくらお寺にお詣りしましても、その行いがなかったら、百日、千日、仏様の前に座っても何もなりません。それよりも便所が汚れていたら、自分も使わせていただくのですから、掃除をして清めてこそ実践です。
 私の母は、「いかにもお前のマジナイはよう効くなあ」と言って褒めてくれました。先に掲げたたった一つの短い言葉で効いたのです。それからもう十年近くになると思いますが、今でもそのお大師様のトイレは綺麗です。法に帰依するならば、そのように行うことです。
 これが、「われいま見聞し、正法に帰依する事を得たり」です。正法からはずれた想念、行為、言葉をもって正法を語っておりましても、これは正しくありません。正見、正思、正語、そして正しい行いこそがいちばん大事かと思います。
 
  長尾 弘先生著「心行の解説」講演集上より
 



引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



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