皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

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~ 道 ~

 
平成十四年七月号
 
 父母に 大恩受けし 我なるに
    報い切れなき 我が身悲しき    弘
 
 
 
心を開く
 
☆ 神とは
 
 神とは無限の生命意識、唯一無二、無限者、愛、宇宙大創造主である。
・神は始めなく終わりなく無限であり給う。
 神の中には時空なく、宇宙無限に偏在し給い、宇宙すべてに神のおわしまさぬ所はない。
・神は分け隔てもなく、距離なく時間なく、無欠であり完全調和そのものである。
・神は全宇宙唯一無二の生命意識であり、神の御属性は一切が無限であり給い、
大生命なる宇宙は無限大生命一柱の神のご自身であり、二柱の生命二柱の神はなく、生命の宇宙には死のあることなし、また停止というものもない
・神の中には善悪なく、健康、不健康もなく、分離なく自他もなし。
 過ぎ去りし過去もなく、未だ来ぬ未来もなし。久遠の今から今の中に生き生き端々しく、凛々とした唯一の生きる実在こそ神ご自身である。
 過去、現在、未来永劫に神ご自身のみが実在されているのである。
・我実在なり、我生命なりと悟るべし。
 内なる偏在者が外なるものとなり、外なるものが内なるものとなることを知ることが完全な悟りである。
 
 
「心行」の解説上より
 
 
☆ 内なる心は神理を知る
 
 ここに来て、寒い戸外で一晩待っていただいた方とか、始めてお会いしたのに、涙が止まらなくなるという方などがよくあります。年配の方もそうです。若い方もそうです。
 ある奥さんですが、環境が厳しくて、おじいちゃん、おばあちゃん、そして気難しいご主人という家庭で、結構なお宅だけに重荷が大きかったのですね。
どんなことがあっても、泣いてはいられないと必死に生きてこられたという方とご縁があって、訪ねて見えました。
 すると、ここに入ってこられるなり、泣けて泣けてどうにもならなかったそうです。
まだ私の顔は見ていないのにです。ただ座られただけで、もう泣けてきて、「先生、恥ずかしいです」と言って、泣いていられるのですね。「私は涙のない人間かと思っていました」と言われますが、それは耐えて耐え抜いて生きてこられたからです。それがこの場所に入ってこられると、突然安らぎに包まれたのですね。
「恥ずかしいです」と言って、泣いていられますので、お話しさせてもらいました。
「いや恥ずかしくありません。それは法雨です」と。先ほど、皆さんが流された涙も、お互いの心の中にちゃんと自覚しているからこそ、こみ上げてくるのです。
それを教えてくれる人がいなかったのです。
 ですから、私たちは、尊い使命を頂いているのだと自覚してもらって、一人でも多くの方に幸せになっていただくように頑張っていかなくてはなりません。
使命を持っているからこそ、こうして集えるのです。
 私のテープを初めて聞いて、泣きながら聞いて下さる方が多いですね。なぜ、私の話を涙を流して聞いていただけるのかというと、それは内なる心を知っているからです。
皆さんと何ら変わらない、皆さんよりなお至らない未熟な私ですが、そんな私のとりとめのない話で、同じことを何度も話していると思いますが、神理は一つだということです。神理は変わってはならないから、同じことをしゃべるより他ないですね。
高橋信次先生のテープも、何回も聞いてみますと、みな同じことをおっしゃっています。
ですから、話は一回で良いのですね。
それを、「どのテープがよい、四国での話のテープはよい」と言ったりしています。
初めての所へ行きますと、安心して同じことをしゃべっております。
 
 
  ☆曇りない幼子には神の光が見える
 
 今日お見えになっているAさんが、今負ぶっていられるのが生後10ヶ月の赤ちゃんです。
「神よどうぞこの新しい赤ちゃんに光をお与え下さい。祝福をお与え下さい」と、祈っておりますと、誰も教えていないのに、ちゃんと正座なさって合掌されたのですね。
何とも清らかな赤ちゃんのお姿です。その写真がここにありますから、あとで見せてもらって下さい。本当に仏様ですね。
 こういう幼い子は、神の光を見ることができるのです。それは心に曇りがないからです。
 今おいでいただいているY先生のお孫さんも、幼い頃に、「ああ光ってる、光ってる。お母ちゃん見えないの?」と、言っていました。お母さんには見えないのですけど、幼い魂は神の光をちゃんと見ておられるのです。
窓も天井も畳もみんな光っていたのですね。家でおじいちゃんがどんな色だったかと、金や銀の入った色紙を買ってこられて、その光と同じのがあるかと尋ねられたら、金色の紙をさして、「この色だ」と言ったのですね。
おじいちゃんは理科の先生で科学者です。
 だから、暗示を与えてはいけないので、この中にその色があるかというように尋ねたら、「これだ」と指したそうです。
金色に光り輝いているのですね。すばらしい一つの現象です。
 
 
☆ 迷わず己を確立する
 
 このAさんのお父さんは、私と共に学んだ仲間だったのです。そのころ、私は高橋信次先生ご生存当時の会の名もない一会員でした。
私が今この様に法をお伝えさせていただいていることは、まったくご存じなかったそうです。「長尾さんは、一緒に学んでいた仲間だから、そんなに偉いことはない」とおっしゃっていたのですね。
不思議なことに、やはり九州で神理を説いていられる先生の事務局長さんから、Aさんに電話があったそうで、「あなたは岸和田の長尾先生の所へ行って学びなさい」ということで、私のほうへ電話をくれたのです。
その間、十年です。迷うておれば、十年たっても百年たっても、迷います。私は幸い迷うことなしに、自己の心を確立させてもらいました。
そして、誰を頼ることもなしに自らを頼りとし、法を頼りとして生きていくべきであると思い、高橋信次先生がお亡くなりになって以来、誰方にも頼ったことはありません。
どこへも行きませんでした。
 
 
☆ 法に背いて法を説いても駄目
 
 一番悲しいことは、高橋信次先生が地獄に落ちられたと言ったり、極端な場合は、先生を悪魔呼ばわりしている方があることです。しかも、自らは正法を説いていると思っています。
そのような方は、昔から言いますように、人を阿呆だというのは、言うその人が阿呆なのであり、人を悪魔という人は、その人が悪魔なのです。
人が地獄に落ちているかどうかの真偽もわからないで、もし人の前でそういうことをおっしゃいますと、その方は必ず地獄へ行きます。これは避けられません。
「霊的に、私が地獄を見てきたら、先生がいた」と言う方がいますが、そんな話は当てになりません。何人の証明者がいるでしょうか。その方ただお一人の自分の感じです。
他に証明者のいないことを信じてはならないと聞きましたね。又、「私は先生の弟子だ」と言いましても、「私は先生のただ一人の弟子である」と、人に高言を吐きましても、人の悪口をいっぱい言っておりますと、それは弟子とは違います。
先生はおっしゃいました。「自らを正当化するために、他を避難してはならない」と。
 
 この教えに背き、法に背いて法を説いても駄目です。自らを正すことですね。
まず自分を正して、自分が法を実践させてもらい、そして、その結果を皆さんに報告してこそ、法は広がっていきます。
 自分が苦しんでいながら、人様にどんないい話をしても、それは駄目です。先生は、まず自分が幸せになれとおっしゃいますね。
先生の声が、ちゃんと意識の中にも聞こえてきます。先生の思いになって先生が一番喜んで下さる行為をしたとき、先生の意識はちゃんと伝わります。
背いている者にどうして伝わるはずがあるでしょうか。伝わるわけがありません。
「私の悪口ばっかり言っている。私が地獄に落ちたと言っている」と、先生は笑っていられます。
 そんなことはないはずです。そして、地獄に落ちていられるなら、自分がお救いさせてもらったらいいのです。
ところが困ったことに、「私が先生を天上界に上げてやった」と、何人もの人が言うのです。先生が何人いられるのかわかりませんが、これはとんでもない間違いだと思います。
 それよりも自分が地獄に落ちないように、しっかりすることですね。
 
                      長尾弘 著「愚か者の独り言(3)」より
 
                          
引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



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