読み進めていくと、相良監督の魅力にどんどんはまっていきます大好きが大大大好きになります
第7章は相良監督が早稲田大学の学生だったころのお話。
大学に入学したときは、ラグビー部に入るつもりはなかったそうです。旅人になりたかった
高校のラグビー部監督のすすめで早大ラグビー部に入部してみるものの、新人練習が嫌になって1日無断欠席。また高校の監督の助言で新人練習に戻るのですが、早大学院の竹内監督がいなかったら、“相良監督”は誕生していませんでした
早稲田大学ラグビー部にについて他のいろんな書籍や記事を読むと、清宮克幸さんの素晴らしい人柄がわかるのですが、相良監督の文章からも清宮さんへの憧れと尊敬が伝わってきます
目標達成のために何をすればいいか的確で、強気で、正義感があって、器が大きくて、人を大切にする方だと思います。
大学時代のお話だと、これ、今の学生が読んでも大丈夫と心配になってしまうところもありました
2年生からラグビー部寮に入って、門限23時のところ、24時をまわったら裏口から出て近所のスナックへ。しかも2代前の監督だった後藤禎数さんと・・・やりますね
そういうところも好きです
もちろん、やるときはやる、遊ぶときは遊ぶ、日々の練習で手を抜いたことはなかったそうです
面白いのが、相良さんは高校でも大学でも監督に「キャプテンをやれ」と言われて断っていることしかもどちらも「自分より〇○の方が適任です」と別の候補をあげて。
高校では免れましたが、大学では受け入れてもらえずキャプテン就任。
2年生からレギュラーとして出場して、2年生では大学日本一、『荒ぶる』を歌って、3年生では準優勝、4年生では準決勝敗退、『荒ぶる』は歌えませんでした。
キャプテンとして日本一になれなかった反省が、今に活きていると思います
相良さんはご自身の大学4年間を「いろいろな人、先輩は同期、後輩に会えた。象徴の『荒ぶる』に向かって努力することはできた。そういう思いを持ってやっている人間はチームのグレードにかかわらずリスペクトできる。いま、ダイバーシティが叫ばれているが、そういう個性を持った人間がいっぱいいる集団の中に30年も前にいられた。なかなかいられる場所じゃない。」とおっしゃっています。
私も生まれ変わったら、早稲田大学ラグビー部員になりたいです
第8章では、キャプテンについて。
相良さんは高校は副キャプテン、大学と社会人でキャプテンを経験されています。三菱重工に進まれた理由も、尊敬する清宮さんへの想いがあってのこと。清宮さんてスゴイと思ってしまいます
相良さんが仕事現場でコミュニケーションの大切さを学んだそうです。顔を見て直接話して理解を深め合う。
大学でキャプテンをした経験を活かして製造部の仕事をして、さらに仕事で学んだコミュニケーション力を監督に役立てています
相良さんが早稲田大学の監督に就任されて1年目の佐藤真吾さんも、2年目の齋藤直人選手も、キャプテンになってからの成長ぶりがわかって、すごく感動しましたお二人とも本当にカッコイイです
第8章の締めに、その代のキャプテンの苗字の後に「組」をつけた表現が好きになれない。」とありました。
早稲田大学ラグビー部では、監督も務められた中竹竜二さんがキャプテンをされていたとき、中竹さんのご実家が建設系の会社だったので「中竹組」と呼んだのが、たぶん始まりで、以来「○○組」とその代を呼ぶようになっていました。
私も以前の『スクラムトライ』では、はじめの頃は「権丈組」とか「豊田組」と書いていたました。でも、ブログを書き始めて何年目かでラグビー部OBの方とお話する機会があって、その方が「○○組」というのが嫌いとおっしゃっていたので、私の文章を読んで嫌な思いをする人がいるのは嫌だなと思って、『スクラムトライ』の途中から今の『スクラムトライ2』でも、私は「○○組」という表現は使っていません。
相良監督は、「チームはキャプテンを中心にした4年生だけのものではない。3年生も2年生も1年生もいる。その年を構成した全部員のためのチームだと思っている」とおっしゃっています
明日はいよいよ、丸尾崇真キャプテンの初陣です
どんな早稲田ラグビーが観られるのか、とってもワクワクしています