2009年度、このシーズンが私のこれまでのラグビーファン人生で一番ラグビーにどっぷり浸っていた一年だったと思います。本当に狂っていました
2009年4月5日(日)
長岡市陸上競技場で長岡ラグビーフェスティバルが開催されました
たしか新潟県ラグビー協会のホームページで開催を知って、その後詳細はどこを探しても見つからなくて、結局協会の掲示板に書き込みをして、教えていただきました。
当日、スタンドにはたくさんラグビーファンがいるんだろうなぁと思って競技場へ行くと・・・
スタンドは解放されていませんでした
“ただのファン”はたぶん私一人で、あとは協会の方などのラグビー関係者とこの日試合をする高校生の保護者の方でした。
スタッフの方にどこで見学できるか聞いてみると「こちらへ」と丁寧に案内された席は来賓の方も座っているテント
肩身の狭い思いでフェスティバルを観ました
この日、初めて長岡市陸上競技場にラグビー用のゴールが建てられました
きっかけは、2004年10月23日の中越地震。
当時キリンの社員として長岡市内にお勤めだった方に、神戸製鋼コベルコスティーラーズの主務の方から「何かできることはないか」と電話があったそうです。実はこのお二人、明治大学ラグビー部の同期で、その代の主将は当時・神戸製鋼CTB元木由記雄選手(現在・京都産業大学ラグビー部GM)。
お二人のやりとりがきっかけとなり、翌年春、神戸製鋼vsクボタの『震災復興チャリティーマッチ』が新潟市ビッグスワンで行われました
その後も両チームの選手が県内でラグビースクールや高校で指導してくださったり、トップリーグの試合を開催してくださったり、交流はずっと続いています。
そして、神戸製鋼コベルコスティーラーズ、クボタスピアーズ、キリン、ソニー生命がチャリティーTシャツを作成して、その売り上げで長岡市陸上競技場にゴールを作られたのです
本当にありがとうございます
このフェスティバルのゲストは、
神戸製鋼FB濱島悠輔選手とSO菊池和氣選手
早明出身
お二人は、子供たちと楽しそうにお話したり、ラグビースクールの子供たちvs指導者の試合では指導者チームに参加したり、高校生同士の試合ではボールボーイがいないことに気づいて自らボールボーイをしていました。すごい気遣いONE FOR ALL
さすがにすぐに協会の方が気づいて、あいている高校生がボールボーイを替わっていましたが。
サインをお願いすると、菊池選手は「サインないんですよ~」と、漢字で『和氣』と書いてその横に『10』と書いてくださいました。
この日、当時のラグビー協会(故)橋本会長と再会できて嬉しかったです。橋本会長は当時新潟大学の教授でラグビー部監督もされていました。私が専門学生だった頃、新潟大学からの講師として週に1回1年間橋本会長の授業がありました。そのことをお話すると、「覚えてるよ」と。とっても嬉しかったです
さらに当時のブログ「スクラムトライ」を見てくださっていた高校ラグビー部の保護者の方や、社会人チームの選手の方から「ユミさんですか?」と声をかけていただき、嬉しかったです
4月19日(日)
新潟市鳥屋野(とやの)球技場で、高校ラグビーの春季地区大会予選を観に行きました
新潟工業高校 48 - 0 長岡高校
(前・後半各20分)
長岡高校ラグビー部の選手が何人か整骨院に来てくれていたので、長岡高校の保護者の方々の中にこっそり混じって応援しました。
新潟工業はラグビースクールで小さい頃からラグビーをしていて体も大きい選手ばかり。一方長岡高校はほとんどの選手が高校からラグビーを始めていて、体が細いです。それでも、長岡の選手の良いタックルや点差がついても諦めずにボールを奪いにいく姿、トライを狙う姿に感動しました
ちなみにPR稲垣啓太選手は、この春新潟工業を卒業して関東学院大学へ進学しています。
つづく