バタバタしていて、サンウルブズの試合の録画予約を忘れてしまって大ショック
夜11:30からの再放送を録画して明日観るので、まだ試合結果を見ていません。試合を観るまでは結果を知ることのよう、他の方のブログには訪問しません。ツイッターも見ません。ラグビー関連のインターネットにも触れません。
というわけで、今日の試合については明日書くことにして、今日は昨日見たテレビ番組について書きます。
日テレ系で夜9:00から放送された『人生が二度あれば』
一昨日、妹が『大野倫が出るよ』とラインで教えてくれたので、楽しみにしていました。
大野倫さん。1991年、夏の甲子園で沖縄水産のエースとして活躍しました。私の人生最高のスーパースター、スーパーアイドルです
番組は、中田英寿選手の引退、
掛布雅之選手の引退、
若ノ花のNFL挑戦など、様々なアスリートの競技人生の岐路についてのドキュメンタリー番組で、もし人生が二度あったら同じ選択をしますか?というのがテーマでした。
やっぱり同じ選択をする人もいれば、他の選択をしているかもと答える人もいました。
かりゆし58の『嗚呼、人生が二度あったら』の曲もとってもマッチしていました
その特集されたアスリートの一人が大野倫さんでした。
大野さんは、高校時代将来有望な投手でしたが、右肘の骨折をおして甲子園のマウンドで投げ続け、投手生命を断たれました。
この夏の大阪桐蔭との決勝のハイライトは、大げさでなく100回以上観ています当時の新聞や雑誌の切り抜きは今でも大切に保管してあります
大学4年の秋、外野手としてドラフト5位で巨人に指名されたドラフト会議のビデオもあります。プロに入ってから二軍の試合も何度も観ました
サインもいただきました
でも、番組ではご両親のインタビューや小さい頃の写真も紹介されて、超貴重でした
43歳になった大野さん、今も素敵です
高校時代を振り返って、ただの青春ドキュメントではなく、戦争と沖縄と高校野球の強い繋がり、因縁のようなものを感じました。
そして、「もし人生が二度あったら、甲子園のマウンドで投げ続けますか?」という質問に、言葉に詰まってすぐには答えられない大野さん。20年以上たった今でも迷うくらい辛い選択なんですね少し間をおいて、「投げます」と。でも、沖縄県民だったから強い気持ちで投げられたけど、本土の高校の選手だったら投げる気力はなかったと思うと答えていました。
この大野さんの肘の怪我がきっかけで、1993年から高校野球の全国大会前に出場校の投手に肩・肘の検査が義務付けられました。
先週沖縄に行ったとき、時間があれば憧れの沖縄水産のグラウンドも見てみたくて、住所も調べてありましたが、スケジュールがぎっちりで行けませんでした。
大野さんが現在うるま東ボーイズの監督をしていることも知っていたので、時間があればうるま東ボーイズの練習も観てみたかったのですが、もっと滞在時間が長ければ・・・。
まぁ、スーパースターにはなかなか会えない方がいいんです個人的な好きなことより2人の時間が大切でした
大野さんが息子さん2人とキャッチボールしている映像もあって、2人とも「野球選手になりたい」と言っていました。楽しみです応援しています
この番組、続編もあると思います。