「人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」(太宰治『右大臣実朝』)
以前は太宰の作品から受ける陰鬱な香りは太宰自身から発せられるものだと、そのまま受け止めてしまい、足が遠のいた時期があった。ただ、年を重ねて、理解できたことがある。それは人は暗さの中でしか明かりを確認することができないのだ。そして太宰は暗さの中に一縷の・一握の美をさっと散りばめる。その鮮やかさが深く深く心に刻まれるのだ。人間失格のラストで堕ちていく主人公に対する「私たちの知っている葉ちゃんは……神様みたいないい子でした」という言葉もその例だ。その言葉は主人公大庭葉蔵には花火のようなものだ。決して救うことはない。だからこそ美しく見えるのだ。
表題に挙げた言葉も太宰を強く表現している。太宰は「太宰」であろうと生き続けたのだ。そしてそれを抱えたまま死んだ。それが彼の最大の道化だ。
以前は太宰の作品から受ける陰鬱な香りは太宰自身から発せられるものだと、そのまま受け止めてしまい、足が遠のいた時期があった。ただ、年を重ねて、理解できたことがある。それは人は暗さの中でしか明かりを確認することができないのだ。そして太宰は暗さの中に一縷の・一握の美をさっと散りばめる。その鮮やかさが深く深く心に刻まれるのだ。人間失格のラストで堕ちていく主人公に対する「私たちの知っている葉ちゃんは……神様みたいないい子でした」という言葉もその例だ。その言葉は主人公大庭葉蔵には花火のようなものだ。決して救うことはない。だからこそ美しく見えるのだ。
表題に挙げた言葉も太宰を強く表現している。太宰は「太宰」であろうと生き続けたのだ。そしてそれを抱えたまま死んだ。それが彼の最大の道化だ。
