「人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」(太宰治『右大臣実朝』)

以前は太宰の作品から受ける陰鬱な香りは太宰自身から発せられるものだと、そのまま受け止めてしまい、足が遠のいた時期があった。ただ、年を重ねて、理解できたことがある。それは人は暗さの中でしか明かりを確認することができないのだ。そして太宰は暗さの中に一縷の・一握の美をさっと散りばめる。その鮮やかさが深く深く心に刻まれるのだ。人間失格のラストで堕ちていく主人公に対する「私たちの知っている葉ちゃんは……神様みたいないい子でした」という言葉もその例だ。その言葉は主人公大庭葉蔵には花火のようなものだ。決して救うことはない。だからこそ美しく見えるのだ。

表題に挙げた言葉も太宰を強く表現している。太宰は「太宰」であろうと生き続けたのだ。そしてそれを抱えたまま死んだ。それが彼の最大の道化だ。
「それで沢山。その一が尊いのだ。その一だけの為に僕たちは頑張って生きていなければならないのだ。そうしてそれが立派にプラスの生活だ。死ぬなんて馬鹿だ。死ぬなんて馬鹿だ」(太宰治『葉』)

「死ねば一番いいのだ。いや、僕だけじゃない。少なくとも社会の進歩にマイナスの働きをなしている奴等は全部、死ねばいいのだ。」これは『葉』の登場人物である青井という共産主義の青年の発言である。この口調から思い出すのは、村上春樹の『風の歌を聴け』の中で鼠が言った「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」である。佐藤幹夫氏が著者の中で鼠=太宰と述べていることが色濃く理解できる。太宰自身も共産主義でありながら、自らの出生がブルジョワであることで苦悩した。最初の引用はそんな太宰(作中では小早川)が太宰自身(青井)に投げかける言葉である。

太宰の作品の中で自殺を否定的に描写しているものは珍しい。太宰にとって人生は十のうち、九は嘘や欺瞞に満ち溢れた生きづらいものだったのだろう。だが、残りの一つに彼はわずかな光―人間に対する愛―を見い出したのだ。他者、特にそれは弱者の愛だった。彼はナルシストだから、決してそんなことは言わないだろうが。ああいう作品だからこそわかるのだ。星は漆黒の夜空があるから見えるように。
「それから最初の書き出しへ返るのだ。さて、われながら不手際である。だいいち僕は、このような時間のからくりを好かない。好かないけれど試みた。ここを過ぎて悲しみの市。僕は、このふだん口馴れた地獄の門の詠嘆を、栄えある書き出しの一行にまつりあげたかったからである。ほかに理由はない。もしこの一行のために、僕の小説が失敗してしまったとて、僕は心弱くそれを抹殺する気はない。見得の切りついでにもう一言。あの一行を消すことは、僕のきょうまでの生活を消すことだ」(太宰治『道化の華』)

この『道化の華』は作者であり、大庭葉蔵―『人間失格』と同じ名前だが―が江ノ島で入水未遂することから始まる。相手の女性―園―は命を落とすが、葉蔵は助かってしまった。女性を死なせてしまったこと、そして絶縁状態の実家から仕送りをもらったことが彼を苦しめる。

「小説を書くことはコンフェレス(告白)だ」とある作家が述べたように、太宰にとって書くことは生にすがる唯一の方法であったのだろう。書くことでしか自分の生をまっとうできなかったのだ。だから売れる・売れないは彼には二義的な問題で書けないことは死活問題なのだ。だから『人間失格』『道化の華』とある意味似た作品が複数あるのだろう。

太宰は職業作家ではないことは、『道化の華』の「僕」の発言からわかる。書けないこと、つまり生を謳歌できないことに苦悩していた。そこまで自分の生を剥き出しに描いた作家は少ない。だからこそ我々は100年経っても彼の魂に共感を得るのだろう。
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