変化が生じるとき、
移動の衝動に駆られる種もある。
渡り鳥がそうだ。
遙か彼方の場所に惹かれ、
風の匂いを追い
星を頼りに動く。
古代からの教えに従い、
仲間同士身を寄せ合い
共に飛ぶのだ。
それによって来るべき
過酷な季節を生き抜くことができる。
『高校時代に読んでいた
BIDANはなんの意味もなかった』
暖かい陽気に、
散りつつある桜の花。
仲間のYッシーのところにも、ついに『春』が来たらしく、
イッコ年上の彼女ができて
それはもうノロけていて、
ウザくて、やかましくて、羨ましいのである。
しかし
オレのところにはまだまだ、春が来ることはなさそうだ。
だが、いずれ来るべき『春』に向けて
備えはしっかりとしておこうと思う。
というのもここ最近、オレの中では
第一回「紳士ブーム」が来ていて
今後出会うであろう“女子”と接する時の紳士的な行動を
きちんと身に付けておこうというわけだ。
例えば、よく聞くベターな例を挙げれば
『女子と道を歩く時は車道側を歩く』
なーーんて
いかにも基本的な行動がオレには全っーーーーたく
出来ない。
んなこと気にしてるほうが、“ミエミエ”で気持ちわりーじゃん
と、女子がどこを歩こうが気にせずに歩いていたが
やっぱり
一緒に歩く時に、
さりげなーく彼女の安全を気遣う行動を
意識せず自然と出来るようにならなくては
お気に入りの女子を満足させるエスコートはできないのだ。
それに
「今度ご飯行こうよ」
と誘っておいて
「何食べたい?」と女子に聞くのは
もっての外の論外であるらしいし、
デート中に他の女子をチラチラよそ見するのはカスなのだ。
ん~~~~、過去の数々の失敗の原因はこれか。
はははは
高校時代に読んでいたファッション雑誌、
某「BIDAN」の恋愛ページは
オレにとって女子と付き合うための教科書であり
毎月欠かさず読んでは、知識だけは身に付けたはずだったのに。
「女子の話を聞くときは“ウンウン”と頷く」
「髪型(メイク)変えた?と少しの変化にも気づいてあげる」
「軽いボディいタッチでさりげなくアピール!」
なーんて、オレには無理であった。
結局、
実際に実行することなく
高校3年間が過ぎ、
某「BIDAN」は破り捨てられ
知識も忘れ
大学では、
“気の利かない、デリカシーのない、つまらない”
人間になってしまったのだ。
話は戻り
そもそもなぜ今になって「紳士的な行動」を
気にするようになったかといえば
前回のタイ仕入れの数日、
女子とデートする機会があったからであり
ようは正直なところ、オレも男である。
女子からは「頼られたい」し、「好かれたい」わけで
それは日本でもタイでも韓国でも、ベトナムでもどこでも、
国は違えど、男性の女性に対する接し方は
やはり“紳士的”である事が、
好意を寄せてもらえると再認識させられたのだ。
相手は現地のタイガールとはいえ
異性と遊ぶ事が久しぶりだったためか
それはそれは楽しく
ここ最近では結構新鮮な気分であった。
ただ、年下であるのに、“オトナ”な彼女と接することで
食事にしても、遊びにしても
自分の幼稚さがあまりにも浮き彫りになってしまうことが多々あった。
オレ
「ご飯行きたい!」
相手
「辛い料理だめでしょ?」
オレ
「ダメ!」
相手
「ディスコ行きたいでしょ?」
オレ
「行きたい!」
相手
「ウチ泊まりくる?」
オレ
「行く!」
タクシーを拾うのだって相手だし
道を歩けばオレは“後ろ”である。
こんなんでは、いずれ嫌われてしまうのは
百も承知である。
これではタイでも日本でも、
“さすがにマズイぞーー”といことで
紳士的な頼れる人間になろうと決めたのだ。
いや、彼女が“オトナ”だったんじゃない
オレが“ガキ”すぎたのだ。
日本ではなくタイで
「レディーファースト」がいかに重要なのか
考えさせられるとは。
ガキのままでは、いつになっても
オレのところには「春」は来ないのだ。
やはりいつだってなんだって変化は必要であった。
今一度、「BIDAN」を読み直し、一段階進化したいところである。

「悔やんだって後の祭り」