「あらいけない!お清めの塩忘れちゃた!」
母がお通夜から自宅に帰り、喪服から家着に着替えているときに
お清めの塩で身を清めるのを忘れていたらしく、
急いで外に出て塩をかけていた。
葬儀から帰り、身を清める為に
「お清めの塩」を体にさっと一振り。
そうする事で厄を清め、家に持ち込まないようにするのだ。
ということは、母は自分を清める前に家の中に入ってしまったのだから
今、家のどこかに厄が存在していることになる。
もし厄がふとしたきっかけでオレの元に宿ってしまい、
何か良からぬ事がオレの身に起きてしまってはとんだ迷惑である。
そう考えると落ち着かなくなり、いても立ってもいられなくなって
家中に、塩をさっと一振り。ついでに御神酒をグイッとイッキ。
体の内から綺麗さっぱり清めたことだし、これで一安心。
というのは大ウソで、厄なんて事はどうでもよいのだ。
そもそも、「お清めの塩」って葬儀から帰った後に使うパターンと、
葬儀に行く前に汚れた身を清める為に使う、2パターンがあり、地方によって様々である。
また、
根本的に「故人」を“けがれ”や“厄”とみなすことは失礼な行為ということで塩自体使わないと言う所もあるんだって。
まあどれも、それぞれの地方の風習によるもので、結局は自分の考え方次第でしょ。?
だから家に入る前にお清めすることを忘れた母に、
「そんくらいやんなくても大丈夫よー」とオレが言ったところで
「ダメダメ!!ちゃんとお塩やんないと!!」と母のほうが落ち着かない様子である。
オレは無宗教だしこういった類のものはあまり好きではないのだ。
かといって嫌いでもないよ。
ちゃんとお葬式は出るし、ご飯の前には「いただきます」と感謝の意を表す。
今年も初詣に行ってきちんと「二礼・二拍手・一礼」して、
ちゃーんと自分の健康と、スケベな願い事をしてきたのだ。
しかし「お清めの塩」とまでいくと、どーでもいいかな。
先日、テレビでは「今年一番の福男」なんてのが朝のニュースでやってたけど、あれもオレにとっちゃあ、どうでもいい。
「“福”って競い合って取り合うもの?」な~んて考えてしまうが、
それがその地の昔から伝わる文化であり、伝統として今まで続き、
マスコミが注目し、人々を幸せにしているんだから必要とされているんだろうね。
まあ宗教についてとやかく言うことはやめよう。
オレは都合の良いものしか信じないし、取り入れなーい。
ここは日本であり、信仰の自由があるのだ。
強いて言うならば「自分教」といったところかな。
だからお通夜の後は砂糖にしようか、七味にしようか迷っているのである。
そんなことしたら“バチ”が当たりそうだが、
オレは自分教という事でお許し願いたい。わははははは