生命の謎。それを解明したいという探求心。
しかしそんな大きな問題の答えを、人間が導き出すことが
出来るのだろうか。
彼らは、僕たちの中にいる。
闇の中、光の中、あらゆる場所に。
本人たちは気づいていないのか。
「フィッシュオアチキン?」
「お魚のご飯と、チキンパスタどちらになさいますか?」
と聞かれ、迷わず「チキン」と答えたオレが“チキン”であった
お魚のご飯とチキンパスタと言われれば、美味しそうなのはもちろん
チキンパスタであろう。
そう、お魚のご飯に対するオレのイメージは、
ご飯の上にあんかけをまとった白身魚がのっかっているようなものだろうと自己解釈をし、
「それならチキンパスタだな」ということで客室乗務員に「チキン」と伝えたのである。
だが、隣の隣の席の日本人のおじさんは「フィッシュ」の方を選んでいたので、
お魚のご飯とはいかがなものかと、どうも気になり覗いて見ると
隣の隣の席のおじさんが食べていたものは
確かにお魚のご飯であったのだが
しかし“それ”は僕の予想を大きく覆した「お魚のご飯」であった。
なんと白いご飯の上に乗っているのは、茶色く輝いたウナギである。
「くっそーー」
まさか「お魚のご飯」が「うな重」だったとは。
中国の航空会社、某「チャイナエアライン」は今まで何度も利用しているが、
どうも機内食のメニュウは、毎度オレの“予想”を裏切るのだ。
だがそれも、オレの楽しみの一つであり、
毎回、予想と違うものが出てくる“ドキドキ”感がたまらないのである。
それはまさに究極の選択である。
もし「フィッシュオアチキン」の二択が今後の人生を大きく変えるものだとしたら。
あの時オレがフィッシュを選んでいたら、今のオレとは違う全く別な者なのかもしれない。
答えはどこにあるのだろうか