人間の自我意識の誕生に迫る本書を読み解くシリーズです。

本日は右脳・左脳の話になります。

 

 

紹介文から。

人類の意識は今からわずか3000年前に芽生えたもの、意識誕生以前の人間は右脳に囁かれる神々の声に従う<二分心> (Bicameral Mind)の持ち主で、彼らこそが世界各地の古代文明を創造した。やがて<二分心>は崩壊、人間は文字と意識を得た代わりに神々は沈黙した、と。

 

前回までのシリーズ。

 

 

 

今回は第5章「二つの部分から成る脳」

ジェインズは自身の「二分心」の理論を、脳機能から証明しようとします。

 

まず、最初でぶっとびました。

 

脳の言語野について話を進めてゆく前提として、

 

この章に限らず本書の最後まで、右利きの人のみを想定して話を進めていく。体の右半分を支配するのは大脳の左半球であり、右利きの人の言語野はここに存在する。

 

 

ということは、左利きの人の言語野は右脳に存在するのか?!と思いググる。

 

 

脳外の先生がおっしゃるには、

 

では少数派の左利きの言語機能はどうかというと、70%は左脳にありますが、右脳に持つ人は15%、左右両方に言語機能を持つ人も15%もいます。

 

とある。

左利きの人は全体の10%だと言われているので、1000人いれば、100人は左利きで、そのうち15人は右脳に言語野があり、さらに15人は両脳に言語野があると。

 

左利きはなぜ存在するのか、で調べたら更に面白い記事が。

 

 

大きな石から均質な石器をつくるには、複雑な作業を組み合わせ、ある1つの形をつくり上げていくプロセスが必要になる。「これは、単語をもとに文章をつくるのとある種似ている。石器をつくるなかで、言語や論理と結びつく右手が利き腕として発達したのではないかと私は考えています」

 

「『物を作る』という人間ならではの進化の過程で、右手が優位になった」ということですね。

 

利き耳もあるようで、言語野が左右脳のどちらにあるかで、おそらく利き耳も違うのかと思います。

 

 

右利きの人は、左耳から幻聴を聞くということだろうと思います。

 

 

深掘りはこれくらいにして、話を戻します。

言語野は左半球の「補足運動野」「ブローカ野」「ウェルニッケ野」の異なる三箇所から成る。

 

 

補足運動野:発話に関与

ブローカ野:発話、語彙、抑揚、文法に関与

ウェルニッケ野:語彙、構文、意味、話の理解に関与

 

言語は人類の文明・文化に不可欠だが、なぜ言語に関する機能は左脳にしかないのだろうか?

しかし、左半球を脳幹につなぐ視床に損傷を受けた場合は、言語機能は右半球に移動する。

(発話に関する機能は左半球だけの機能のようです。)

つまり特定の条件下では、右半球も言語野として機能する。

では右半球では、左脳の言語野に当たる部分は何を処理しているのか?

右脳のウェルニッケ野にあたる部分を切除しても、精神機能に与える障害は非常に少ない。

右脳のこの分野には機能はないのだろうか?

 

ジェインズは、右脳のウェルニッケ野にあたる分野は、神々の声(意思。神経系における命令)を聞いていたのではないかと推論します。

 

なぜなら、

 

1. 両方の半球が言語を理解できる

 

2. 右半球に神々の声に似た機能の名残がある

これを証明するのに、ジェインズはワイルダー・ペンフィールドとファノール・ペローが行なった、ウェルニッケ野に刺激を与えた実験を例に出します。

右脳のウェルニッケ野に相当する部分に、電流で刺激を与え、その反応を観察した実験です。

結果を要約すると、被験者ははっきりとした幻聴や幻覚を体験したのです。

例えば、怒鳴られたり、名前を呼ばれたり、誰かが自分に命令する声を聞いたり、といったような体験です。

実験者の二人は、これを記憶のフラッシュバックと結論づけたのですが、多くの被験者は記憶のフラッシュバックであることを否定している。
そして何よりも重要なのは、被験者が体験した内容が、受動的で働きかけを受けるだけの体験であり、「他者性」があるということ。

この受動的な「他者性」は、「二分心」の声の働きかけと同じである。

 

3. 二つの大脳半球はそれぞれが独立して機能することができる

古代の「二分心」は、それぞれの大脳半球の二元性を現していたのではないか?とジェインズは仮定します。

古代人は、脳の二つの半球を、別個の主体とみなしていたのではないか?

この仮定を証明するためにジェインズは、脳の二つの半球を連結している繊維を切断する、「交連切断術」の手術を受けた患者の例を挙げます。

 

 

右目・右半身は左脳に連結し、左目・左半身は右脳に連結している状態です。

まるで陰陽太極図だわ、と思う。

量子もこの構造です。

このもつれ構造に、創造の秘密があるのでしょうね。

 

 

 

 

切断術を受けた患者は、本を開いても右目で捉えたものは読むことができるが、左目に写っている文字を右脳は解釈できないので、空白に見える。

右半球と左半球が切断された結果、一人の頭の中に、二人存在しているような状況になり、それぞれの脳が捉えたことを、お互い理解できなく成るのです。

本書の例をまとめるのは難儀なので、上の記事から例を引用します。

患者は「パン」という言葉が右半球に投射されたとき、この言葉を声に出して言えなくても、パンの絵を指し示すことができるのだ。「このような事実を見て、右半球は、脳内の運動系にアクセスして発話させることはできなくても、読み取る能力はあるとわかるのです」とIvryは話す。

(中略)

左半球だけに刺激を送った場合、W.J.は悩むようすを見せなかった。ボタンを押して、自分が何を見たかを研究者に伝えた。しかし右半球に刺激を送った場合、W.J. は何も見えないと言いながらも、左手はボタンを押していたのである。「左脳と右脳は、お互いが何をしているのかわかっていなかったのです」とGazzanigaは言う。これは、左右の脳半球が誰も予想していなかったほど機能をきっちり分担していることを明らかにした。まさに、通説を打ち破る発見だった1

 

4. 二つの大脳半球の認識機能の違いは、人間と神との違いを反映している

「二分心」が正しいとすれば、人間に必要な機能は左半球にあり、神々の側に必要な機能は右半球にあると考えられる。
神々の機能とは、新しい状況下でどう行動するかを考え、指示すること。
左半球の言語・分析領域に指示をすること。つまり「お告げ」を与えること。
(神々とか神という言葉が適切でない気がします。「インスピレーション・意思」の方が、日本人の感覚にはしっくりくるのではと。ジェインズの言う「神」は、当たり前ですが一神教的な匂いがしますね。)
 
1−4を見てきて、古代ギリシャから現代までのごく短期間の間に、人類の脳の機能は大きく変化し、右脳からの訓戒的声は聞こえなくなり、二分心は失われ、その代わりに意識を発達させた。
最近の脳損傷に関する研究が示す通り、脳は損傷しても驚異的な回復力があり、高等哺乳類の脳は可変性を備えている。
この章の結論として、
ここで論じてきた例はみな、不変ではないことを示しており、脳の組織の機能は絶対的なものではなく、発達のプログラムが異なれば、組織構造も異なったものになりうることを示唆している。
 
つまり、我々の意識も脳も、まだまだ変化・進化できるということです!
本日のまとめは以上となります。
「神のお告げ」を聞く人を理解するのに、本日の内容は必須ですね。
 
左利き・右利きで言語野が違う、というのが一番の衝撃でしたわ。
終わってみれば、結構な長文。。。
最後まで読んでいただき、お疲れ様でした&ありがとうございましたm(__)m