前回の記事に続き、今日もオカンが語る涅槃について書いてみたいと思います。

前回の記事。

 

 

今回は「粒子おばさん」こと水谷フサエさんのこちらの本から紹介いたします。

 

 

 

フサエさんは旦那さんを早くに亡くし、バブル崩壊直後の1990年代にコンビニ経営を始め、店長となります。

皆さんご存知のように、フランチャイズのコンビニ経営は大変な激務です。

ですので、フサエさんも毎日過労状態でした。

 

その過労状態で最初の体験が始まります。

寝ている時に半覚醒状態で、自分が三層で存在していることを体感する。

自分の肉体と、その上にある自分と思われる白い雲(霊体・幽体のことなのでは)、そしてそれを上からただ観察している意識。

 

この体験をしてから彼女は本屋に行き、瞑想の本を買います。

OSHOの本を手にして、思考や欲望や感情をただ観察する瞑想を始めます。

 

昔の精神世界に詳しい人ならOSHOはおなじみですね。

私も精神世界に入ったのは、OSHOと「The New Earth」で有名なエックハルト・トールの本が最初のきっかけでした。

うまくリンクが貼れないのですが、OSHOに関してはこちら↓がおすすめです。

https://www.osho.com/ja/highlights-of-oshos-world/who-osho

 

もう売ってしまったけど、かつて本棚にあった3冊。

 

 

 

 

 

 

 

話を戻します。

彼女はOSHOの瞑想法を元に、寝る前に行う瞑想を「屍の瞑想」と名付け、毎晩実践するようになります。

 

我々は3つ目を持っていて、一つは外側の世界を視る視覚、二つ目は視覚以外の五感、そして「第三の目」として自分の内側を見る「内なる目」。

第三の目である内なる目で自分の内側を見ることにより、フサエさんは外側のごちゃごちゃに左右されなくなり、頭の中が整理されてゆきます。

この「自分の内側を見る」は、体の声に耳を傾けるネドじゅんさんも全く同じですよね。

 

瞑想で内側に集中することで、感情や思考を沈められるようになった彼女は、更に不思議な体験をすることになります。

瞑想中に喜びの波に包まれるようになったのです。

思考が消え、幸せと喜びの海のような空間に浮いて、意識はただそれを眺めている。

フサエさんによると、屍になった肉体はコンピュータのハードにあたり、白い雲のように浮いている自分は情報体(心・感情・思考を含む肉体以外の情報)。

そして見ているだけの意識こそが「本当のわたし」であると。

 

更に瞑想を続け、彼女は睡眠時間がどんどん短くなってゆきます。

ベットには横たわっているが、瞑想状態にある時間が長くなってゆく。

一度呼吸が止まりそうになったことがあり、無理して呼吸したら、宇宙の呼吸に共振同期したらしく、その日からロングブレスな腹式呼吸に変わり、体の細胞の声が聞こえるようになった。

 

そしてその時は訪れます。

いつものように瞑想をしていたら、いつもの感覚とは違っていて、細胞一つ一つが泡になり徐々に消えてゆき、身体が至福の中に消えていった。

それは宙ぶらりんで至福の中に浮かんでいる感じで、自分が一粒の意識の種である感覚を得る。

次元を飛び越え、粉々になって砕け散って、粒子となって浮いているのを感じた。

そこで「わたしは粒子だった」と感得したのです。

 

日常でも彼女は自分と自分以外の人との境界線が曖昧になり、溶け合うのを何度か感じることになる。

この段階になると、もはやワンネスが日常なので、善悪、正邪の二元論を超越するようです。

 

ざっと彼女の涅槃体験をまとめました。

前回のネドじゅんさんとの共通点は、「自分の内側に集中する」です。

古今東西の聖者が体験してきたように、日常生活でも毎日自分の内側の感覚に集中していれば、いつかはこのような覚醒体験を皆ができるのではないでしょうか?

しかし、多くの人は早急に結果を出すことだけを求めて、途中でやめてしまうので、覚醒体験に至れないのではないかと思いました。

ネドじゅんさんのメソッドは、既に多くの人に効果を出していますので、自分に合うメソッドを毎日コツコツと続けてみてはどうでしょうか?

 

私も体の声を聞くことを日常で続けていますが、肩こりや五十肩の痛みを感じますwww

体は動かすためにあるので、座りっぱなしは良くないですね。

「運動しろ」ってことで。

今日も道場に行くわ。

 

 

本日はこれにて。

本日も訪問してくださり、ありがとうございました。