醍醐寺で大元帥大法の拝観をした後日、その大元となった秋篠寺も訪れないと片手落ちと思い参拝してまいりました。

こちらの記事の続きとなります。

 

 

 

まずは奈良の秋篠寺から。

 

 

苔が綺麗なお寺。

 

大元帥明王のお堂。

 

大元帥明王。公開は毎年6月6日のみ。

 

大元帥法要で必要なお水は全てこのお寺の香水閣から持ってくる。

こちらも公開は6月6日のみ。

 

 

 

近くに怨霊を祀る御霊神社があるのが意味深。

御霊神社に関してはこちら。

 

 

 

ちなみに秋篠宮の宮家の名前「秋篠」は奈良の地名が由来です。

大元帥明王の立ち位置を理解して、当然その名を名乗られているはず。

だとしたらこちらの記事も興味深い。

孝明天皇の血筋は秋篠宮家で復活していた??

 

 

そうなのよね、秋篠宮は泉涌寺を守る会の会長なのよ。

泉涌寺の御座所を拝観すると、その写真が見れます。

天武天皇だけ泉涌寺に祀られていないってのも興味深い。

 

 

最近は大本教について再勉強してるのですが、大本教というと、明治維新で王朝が変わってしまったことを避けて通れなくてですね。

孝明天皇といえば、最近読んだ本でも孝明天皇が出てきて。
孝明天皇は暗殺されていると思いますが、その手法がエグくてですね。。。

瀕死の孝明天皇の描写が怖い。。。

こちらの書、ホワイトハットを持ち上げていたりして???の部分も多く見受けられるのですが、とりあえず読んでみました。

 

 

 

こんな亡くなり方をさせたのなら、そりゃ別格で祀らないと祟り神になるわけで。

 

 

秋篠寺は大和西大寺が最寄駅なのですが、バスを降りてふと横断歩道を見てギョッとしました。

そういえばここ、安倍さんが暗殺された場所だった。。。

今年の夏何十回とテレビで見たあの場所。

 

 

花束や石碑などはなく、事件の痕跡は微塵もありませんでした。

2回目のバズーカ砲の直前に、安倍さんの右のシャツの襟が一瞬揺れるのですが、あの瞬間ビルの上から打たれてると思います。

奈良県立医科大の担当医が発表した銃痕と角度が一致してます。

角度的に考えれば、南都銀行の屋上から打たれたのかな?

次の観光地に移動中に、奈良県立医科大も電車から発見して。

間違いなく最寄りの大病院でした。

 

奈良に国際金融資本が移動してくると言われていますが、この大和西大寺の駅の構内も新調されていて、トイレも綺麗で立派になってました。

地ビールが飲めたりして、ご飯が結構充実してました。

大和西大寺、国会図書館辺りが再開発されだしたら、移転の合図かと。

 

 

今回の旅で乗り換えも含めて何故か4回も訪れてしまった橿原神宮。

旅の最後は神武天皇陵で、ごちゃごちゃになってしまった日本の國體についてイワレビコに文句をたれてきました(笑)。

イワレビコも自分の存在を支配層に都合よく利用されているのは嫌だと思うのですが。。。

 

天皇陵は整備され始めたのは江戸時代から。

 

途中で出会ったカマキリ。

 

明治以降に本格整備されたのだと思いますが、立派でした。

 

畝傍山も登ってきました。

 

畝傍山は死火山。

出口王仁三郎によれば、大和三山は「世界の口(畝傍山)と耳(耳成山)と鼻(天香山)」

天香山は「呼吸、顔の正中にあり、魂の緒。地球はこの山により命を保つ。スサノオの山」

 

 

藤原京は天香山を抑えた配置になってますね。

その成果なのか、藤原氏が徐々に日本の中枢になって、今となっては世界を裏から操っている構図でしょうか。

 

大和全体が見渡せる畝傍山頂上。

奈良に都を構えるなら大和三山付近が攻防を考えても何かと良さそうなのですが、封印されてしまっているので全然栄えてないですね。

その封印が国際金融資本により無理やり解かれてしまうのでしょうか?

香具山が世界の中心と分かれば、彼らは絶対欲しい筈です。

 

最後は橿原神宮に、この旅で何度目かの参拝。

 

3月に同じ写真撮りましたが、10月も同じ写真を撮ってみました(笑)。

寅年も残りわずか。

 

西日本は⚪︎落や新興宗教や893とか闇社会が多いですが、これから近畿地方は特に荒れそうですね。

大難が小難になることを祈りつつ、橿原神宮を後にしました。