2ヶ月以上温めてきたネタをやっと書けます。
今回の記事は、書くのが本当に大変だった。。。
田中さんの著作を読んだだけでは腑に落ちず、書き始められませんでした。
京都と秦氏の考察は素晴らしかったんですけどね。。。
以下、田中英道さんの著書。
その他も「天孫降臨とは何であったのか」「日本の起源は日高見国にあった」も読んだのですが、腑に落ちなかった。
ただ、こちらはニニギ、オオヤマツミ神、コノハナサクヤヒメ、イワナガヒメについて知るには良い本でした。
なぜナガスネヒコが気になったのか。
それは原田代表(原田武夫国際情報戦略研究所)の音声レポートで、強烈に釣られたからです。
「卑弥呼はなぜ日本書紀や古事記に出てこないのか」も次のテーマですが、
「神武の前には三輪一体はナガスネヒコが治めていた」。
んっ?!ナガスネヒコ??
初めて聞いた。誰それ??
強烈に引っ張られすぎて、まだ頰の内側に釣り針刺さってます(笑)。
今回、お勉強の成果を発表するにあたり、昨年の記事がある意味間違っていたことをお詫びいたします。
結論からいうと、アマテルとニギハヤヒは別人である、ということです。
ですが、瀬織津姫、ククリヒメが隠されてしまった神であることには、変わりがありません。
そして物部氏の遠祖が隠されてしまったことにも変更なしです。
ニギハヤヒというか、アマテルの正式名称は、「先代旧事本紀」から引用すると、
「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」。
これがニギハヤヒとアマテルが同一人物のネタ元となってます。
何でこんなに名前が長いのか???
まず、古事記、日本書紀から。
ニギハヤヒとナガスネヒコについて。
綺麗に諸々の書の要点がまとまってます。
神武東征した時に、すでに近畿地方から東にはニギハヤヒが国を築いていて、奈良の三輪一体を治めていたのがニギハヤヒの部下のナガスネヒコ。
ナガスネヒコは自分の妹をニギハヤヒに嫁がせていて、ニギハヤヒは天孫であることを知っている、二人はそんな関係です。
Wikiから引用します。
「『古事記』では特に討伐の場面もなく主君の邇芸速日命が神武天皇に服属したとするが、『日本書紀』では自己の正統性を主張するため互いに神璽を示し合ったが、それでも長髄彦が戦い続けたため饒速日命(にぎはやひのみこと)の手によって殺されたとされる。」
アマテルの奥さんは瀬織津姫。
日本書紀のニギハヤヒの奥さんは、ナガスネヒコの妹の三炊屋媛(みかしきやひめ)。
アマテル=ニギハヤヒであり、三炊屋媛=瀬織津姫だったら、夫婦関係は相当やばかったと思いませんか?
アマテルと日本書紀のニギハヤヒとには、タイムラグがあるように感じるのです。
ちなみに「アマテル」は役職名でもあったようです。
しかし最初のアマテルは存在したわけで。
アマテルを女神にしたのは女性天皇(持統天皇)の正当性を認めさせるため、という説があることにも触れています。
歌舞伎の市川團十郎みたいなもので、何人もの人が同じ名前を襲名していたと考えると、辻褄が合わないのも仕方なしです。
日本書紀を調べて感じたのは、
夫婦関係:
天照(アマテル)and 瀬織津姫
饒速日(ニギハヤヒ)and 三炊屋媛
相関図:
天照 ≠ (not equal) 饒速日
瀬織津姫 ≠(not equal) 三炊屋媛
この天皇という称号も曲者で、天武天皇のときから「てんおう(天皇)」を名乗り始めた。
しかし、天武の血筋も桓武の時に途絶えているようですし。。。
明治時代に今の「てんのう」という、呼び方に変わった。
明治政府が関わっていると、色々臭いますね。
ちなみに、その明治政府が決めた建国年のいい加減さをwww
聖徳太子をキーに考えてるのが、やっぱり闇な気がします。
ニギハヤヒを初代天皇としているのは「先代旧事本紀」ですが、この本は物部氏によって書かれたという説があります。
物部が書いたという説があるだけあって、ニギハヤヒについて一番詳細に書いてあります。
ニギハヤヒがナガスネヒコの妹の三炊屋媛を娶ったが、妃が懐妊されたときにニギハヤヒが亡くなった。
イワレヒコと戦ったのはナガスネヒコで、この書では国を譲ったのはニギハヤヒの息子となってます。
ナガスネヒコは色々と問題があって、ニギハヤヒの息子によって成敗されている。
再度Wikiから。
最後に「ホツマツタエ」。
ホツマツタエではニギハヤヒの前には、クシタマホノアカリがアスカ国に君臨していたが、子がいなかった。
「アマテルの命でアスカ国を継ぐ」とあります。
アマテル > クシタマホノアカリ > ニギハヤヒ の順で王位が継承されてます。
これで前述のタイムラグも納得がいきます。
ホツマツタエでは、アマテルはイザナギ、イザナミの息子で、瀬織津姫と結婚している。
瀬織津姫の名前の由来は、
「セオリツは「背 下りつ」でアマテルが階段を踏み下りて内宮に入れたことを意味する。」
そしてアマテルは、イザナギの姉、白山姫くくり姫から産湯を授かっている。
ククリヒメは謎が多い白山比咩神社の主祭神ですが、ほとんど書籍に出てこない。
ホツマ的なナガスネヒコの最期。
こちらもニギハヤヒによって成敗。
国譲りも日本書紀とほぼ同じです。
古事記、日本書紀だと血縁関係が見えてこないのですが、ホツマではニギハヤヒとイワレヒコ(ホツマではタケヒト)は親戚関係になってます。
これを信じるなら、ニギハヤヒとイワレヒコは、そこそこ年齢差があった親戚関係、ということになります。
結構近い親戚なのに
「神風の妹背が生んだものは、古より代々 下民は下民、皇子は皇子である、這い回る下民は討ってしまおう」
は、大いに違和感ありです。
ナガスネヒコに言ったのなら、分からなくなくもないのですが。。。
十種神宝はニギハヤヒが持っているので、ニギハヤヒの方が正統だと思うのです。
なのに「羽羽矢の神璽」?
何それ??
矢は十種神宝には出てきません。
イワレヒコは「自分が正統」と言い張るなら、なぜ天孫の印の十種神宝を持っていなかったのか?
本当に天孫なのか、疑問が残ります。
成敗、もしくはだまし討ちなら、残った方が相手を悪く言って、自分の正当性を担保しようとしますから。
味方に成敗されている、という箇所も怪しいですね。
神器確認の時に、神器なんて最初から持っていないイワレヒコが、だまし討ちした可能性もあるでしょう。
ホツマツタエは編纂された時期が不明で、遡れる製本は江戸時代になってから。
権力者が後から系譜を都合よく書き換えることは、十分可能なわけです。
「先代」の説をとるなら、ニギハヤヒは既に他界しており、叔父のナガスネヒコもイワレヒコに討ち取られてしまって、幼かった息子のウマシマジは、国も十種神宝もイワレヒコに奪われた、が本当のところなのではないか。。。
自分的ににはこれが一番しっくり腑に落ちます。
ナガスネヒコの墓といわれている墳墓
こちらはニギハヤヒの墓
しかし、とにかくアスカ国はイワレヒコのものになった。
ニギハヤヒの子孫は物部氏となり、古神道を仕切ってゆく。
ホツマツタエに出てくる、
アマテル(最初の王)、クシタマホノアカリ(ニギハヤヒの前王)、ニギハヤヒ(別名クニテル)を繋げると、
先代旧事本紀の「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」になる。。。
「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」は歴代のアスカ国の三名の王の名前を、全部繋げてみた神名だと思ったのです。
物部氏が自分たちの正統な祖先の名前をつなげて作った神名だと。
私が思うに、物部氏、そして編纂に関わった聖徳太子は、イワレヒコの系統を認めていなかったのではないでしょうか?
そしてそれが聖徳太子暗殺の一因にもなったのかもしれない。
アスカ国の王の名前だけで神名になっていて、イワレヒコの祖父の彦火火出見尊や、父の波限建鵜葺草葺不合命の名前が見当たらない。
イワレヒコの父の名が、まるで呪文のようです。
「ナギサタケウガヤフキアワセズ」
アワセズ = 会わせず = 合わせず
昨今の情報認知戦で、権力側に対してすっかり疑い深くなってしまったwww
権力側が作った古事記や日本書紀に、富士山や東日本の歴史が全く出てこないのも怪しい。
いきなり大和にあったニギハヤヒの国を襲って、ナガスネヒコと戦った描写になってるわけです。
ちなみに、古事記が編纂されたトホホな理由。
飛鳥時代も聖徳太子の暗殺があり、闇が深いです。
女性天皇が何度も就任して、権力の中枢の血統が何回も入れ替わった時代かと思います。
その流れからの、最後の決定的な平安京遷都。
各方面から苦情が来そうですが、簡潔にまとめると、私が達した今のところの結論はこれです。
「アマテルとニギハヤヒは別人。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊の神名は、神武以前に存在したアスカ国の三名の王の名を繋げた。
そしてその子孫が古神道を仕切ったので、神武系の始祖ではなく、自分たちの始祖と言霊の秘密と十種神宝を石上神宮に祀った。
だって、最初にこの国を取り仕切って王朝を築いたのは、神武系ではなく自分たちだから。」
今回はこれで終わりにします。
まだまだ書ききれていないのですが、一旦のまとめということで。
古代史の闇と沼にハマると、なかなか出れないですね(汗)。
長文最後まで読んでくださり、ありがとうございました!