満を持して、10月15日に「安政維新」が発売されます。

新刊にあたり、穂高健一先生が日本の歴史認識への警鐘を込めてコメントを出されています。
以下、転載します。
 
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『安政維新』。
この表現は、実は表だって、発表していませんでした。
当初は、長編歴史小説『阿部正弘』について書いていますと、言い通していました。
脱稿したとき、テーマと題名は『安政維新』が適切だと確信をもちました。
 
私のHP「穂高健一ワールド」の歴史観が、ずいぶんパクられており、ヒット作品にもなっておりました。
それはそれでいい、と割り切って、HPには書き続けてきました。
 
ただ、『安政維新』は阿部正弘の8年間の取材の結果、たどり着いものだから、大切にしておこう、と伏せていました。
明治政府の行った幕末史を根底からくつがえす、重要語だから、安易に使われたくない、と心から決めていたのです。
 
ちょっと長い内容になりますが、私の史観を書いてみます。
 
徳川幕府は、領主封建制でした。
西洋は近代化、資本主義が進んでいました。
若き25歳にして老中首座(宰相)になった阿部正弘は、世界の潮流に乗るために、多くの人材を抜擢し、知力で開国・通商の道、つまり戦争しないで西洋の仲間入りをしました。
 
ところが明治政府は、「ペリーの黒船が浦賀に来て、砲艦外交で屈した」と教えてきました。明治から現在まで学校教育で、嘘を教えているのです。
 
私は、しだいに「国民に嘘を教えてどうする」と怒りすら覚えました。
 
当時の外国の関連資料からも、阿部正弘に選ばれた知的な外交団は、ペリー提督を超える、交渉力をもって臨んでいた。こうした文献は日本側にも残っているのに、「何で、日本人を悪く、見下すのか? 和親条約は日本人が自慢しても良いのに」と腹立たしくも感じました。
 
明治政府をぎゅうじった薩長の政治家、その御用学者が故意に、徳川政権を悪者にするためだ、とわかってきました。
 
維新とはなにか。故事には、国家をより良く変革する、ことと表記されています。
 
明治政権は征韓論、台湾出兵、日清、日露戦争~さらに10年に一度は海外で戦争をする国家にしてしまった。軍国少年、軍人政治家を育てて、戦争を美化してきた。太平洋大戦終了まで。
 
こんな軍国主義の明治政府に、維新など、おくがましくて当てはまらない。これは後世の学者たちのつくりもの。実態は軍国主義の国家であり、『明治軍事政権』が正確である。正しくは、近代化のスタートを切った安政維新だ、と。
 
きょう『安政維新』(阿部正弘の生涯)の見本刷ができました。10/15から全国一斉に発売されます。
もう伏せる必要はないし、いまここにFBで発信したのです。
 
みなさんも、どんどん『安政維新』という言葉を使ってください。かたや、明治軍事政権だった、と。
後世の人たちに、正しい歴史を伝えるためにも。(全文コピーもO.K.です)
 
『明治政府がわい曲した幕末史は、国民のためにならないのです』
 
日米はどこからスタートしたのか。作中で詳細に描かれています。
 
1945年の原爆投下から、ちょうど百年前の1845年、アメリカ捕鯨船のマンハッタン号が22人の日本人海洋遭難者を人道的に、浦賀に送ってきます。
10歳の釜石(現・岩手県)の孤児が、そこにいた。船員たちが憐れんで、船に乗せて食事を与えていたが遭難してしまった。
「釜石の親が見捨てた孤児ならば、徳川幕府が助けるべきだ」と、阿部正弘は幕閣の反対を押切り、鎖国の禁を破り、浦賀で22人を引き取ります。
ここから日米の歴史がスタートします。双方ともに、人道的に処したのです。しかしながら、ちょうど百年後、東京大空襲、広島・長崎の原爆です。
 
この100年の間に、誰がこんな悲惨な国家にしたのでしょうか。みんなで考えてみましょう。
ペリー提督がアメリカ艦隊の初来航ではない。嘘の日本史がいまだ学校で教えられている、と知ってください。嘘を教えられて怒るべきなのです、日本人は。
 
 
→ペンで世界を変える。
今年の春分に来広された時の写真。
 
→講演の激しさとは対照的に話すと温和。
半分くらいの年齢の人からも、偉ぶることなく丁重に意見を聴く姿勢にいつも身が引き締まる思い。
 
残りの人生、隠された歴史を世に出すことに命を賭す穂高先生。

 
佐野キャリアコンサルティング事務所

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