生まれた日で性格や人生がほぼ決まるというのが運命学。

王様に必要な素養の子供を産むために日にちを決めて子供を取り上げるのが帝王切開の由来であり、それだけ運命学に人がどれほど支配されてきたか分かる。

昔から占いの類は好きだったが、最近映画のマトリックスのように自らを運命から解き放ち、情報を書き換えて生きる人と出会うことが増えた。

「この時期は運が悪いから◯◯しない方がよい」と決めつけてがんじがらめに動けなくなることに意味を見出さなくなってきている。

信じるのはめいめい勝手だが、その運命をいかに変えていけるか、意図できないセッションギバーはいくら有名でも「やぶ」である。

目に見えないからこそ、情報を書き換えて引き寄せていく術は存在する。

運とか運命と言い出す人ほど、親や社会の洗脳からいつまでも抜けきれず課題を抱えている。

統計や運命のせいにして過去に生きるのでなく、未来を意図し掴みとるのが今の時代に必要な力である。

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