会社員時代の「のびきったゴム」の状態を思い出した

 

最後の方はクタクタで土日はただただ眠くて倒れるように眠っていた

 

身体もすっかり様子がおかしくて、凝り固まり、休んでもリラックスできないそんな状態

 

「脱力キャリア」をあえて言うのはこの経験があったから

 

人生で「根を詰めて集中してやらないといけない場面」は多くあるだろう

 

でも日本の多くの会社というのは大抵「いつも頑張っている人」を求めている

 

もしくは会社が求めていなくても「頑張ることを良しとする昔ながらの上司」なんかにあたると「俺はこんなに頑張ってる」とか言い始め部下に過去の古いやり方を強いる

 

最近では働き方改革はもちろん過労死の問題も多く世間をにぎわせている

 

頑張る場面があってもいいけど、どこが頑張り時なのか

 

本来、それは自分で決めること

 

会社や上司や親が決めることではない

 

のびきったゴムの状態で「本当に頑張りたかった事」と出会った時には力が出ないというのはありがち

 

端的に言うと「余力がなくて機会を逃す」ということである

 

「やればできる」とか「いつかやりたい」とか言う人に共感できないのは、大抵口先で夢を語る割に、他のどうでもいいことに多くの稼働を割いているから

 

惰性でのんびりやっているようでも、実は現状に甘んじているその状態が「時間を食われ、自分の余力が奪われている」ことに気づいていない

 

だから、惰性には時間が費やせるのに「チャンスの時に根を詰める気力が残っていない」

 

夢があるのに人のせいにしている暇があるのなら、まず選択と集中のために「何をやめるのか」決めて実行すればいい

 

言い訳と惰性の連続を過ごしている人に、誰がわざわざ手を貸すのだろうか

 

蠍座木星期、蠍は死と再生、見たくないものを見つめ徹底的に集中する力

 

のびきったゴムに甘んじているのに、天空だけ蠍座木星だからといったところで星の力は生かせない

 

 

→今日は天秤座新月