「仕事とはかくあるべきで、人生とは目標達成であり、女性とは結婚して子供を産み、一姫二太郎が幸せである」
そんな常識と固定観念で凝り固まっていた当時の私に、仙人のような隠遁生活をしている瞑想の師の姿は衝撃だった
本だらけの部屋で誰の指図も受けることなく、眠りたい時に寝て、起きたい時に起きる
髪の毛と髭は伸び放題で、語る時に目だけが生きているような風貌だった
社会的には死んでいるようでもあり、人として生きている実感がそこにあるようにも感じた
「こうでなければならない」
そう凝り固まると、人生の美しい彩りは消えてしまう
自分の中真からではない「取り繕った誰かの幸せ」のためにいくら頑張ろうと、世界はNOと言い続けるだろう
窮屈に抑圧して、壊れる人生もまたアリなのだと思う
ただ、自分の経験として思うのは「人生から逃げてもいい」ということ
そして、今の環境から逃げたくてたまらないのに、戦うことだけが決して正義ではない
誰にとっての正義で、何と戦うための理由づけなのか考えてみてほしい
自分自身と戦い続けていたあの頃に、仙人の暮らしぶりは大いなる逃げ場だった
週末逃げることを覚え、最後はもうあきらめて果敢に戦うふりだけしていたリーマン時代
そのまま同じように隠遁生活をして仙人仲間になろうとは思わないけど、逃げ場があれば、再び社会で生きていく機会も生まれるかもしれない
今新たな目標もでき、社会と関わっていくけれど
人生は儚く、脆く、人間はあっけなく壊れるものである
人格を崩壊させてまで世界から色を消し去ることはない
人生から逃げてもいい
ふとそう思えるような大いなる逃げ場でありたい
→当時眺めては感傷に浸っていた、季節外れの桜