私とは何なのか

この身体あるいは身体に閉じ込められたものでないことは確かです。

観察意識なのか

空なのか

魂意識と身体意識なのか

観察者と観察対象の間の空間をさすのか

名前であり言葉なのか

自我はエゴでただ「在る」ことなのか

でも、1日中瞑想でもしているような俗世から退いた人でもない限り、真面目に考えていても答えは出ず、その問いさえ忘れて現実的な仕事と束の間の享楽的な楽しさに身をおく方に意識が向いてしまう。

自分とは何なのか、自分の使命(せめて今生ですべきこと)くらい分かれば迷いや不安も軽減されるのに。

観察意識が不安や迷いを体験したいから、というのは分かった上で何回も、人生ゲームを1から繰り返していく永遠のゲームに喜びでなく虚しさを感じてしまうのは私だけでしょうか。

カラーやスピリチュアルなことを勉強している動機は、私の場合誰かを助けたいと思っているからではないのだと思います。

ただ、本当のことが知りたい。
日々の生活で埋もれてしまう本来考えなくても済むと言われる疑問を探究して共有したいのです。

まっすぐな言葉で真実を生む。

これが私の氏名であり使命なのかもしれません。