司馬遼太郎の韓国併合に対する評価
「「昭和」という国家」司馬遼太郎、1999/4/10、NHKBOOKS
P52
われわれはいまだに朝鮮半島の友人たちと話をしていて、常に引け目を感じますね。これは堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国をですね、平然と併合してしまった。併合という形で、相手の国家を奪ってしまった。こういう愚劣なことが日露戦争の後で起こるわけであります。
むろん朝鮮半島を手に入れることによって、ロシアの南下を防ぐという防衛的な意味はありました。しかし、日露戦争で勝った以上、もうロシアはいったんは引っ込んだのですから、それ以上の防衛は過剰意識だと思うのです。おそらく朝鮮半島のひとびとは、あと何千年続いてもこのことは忘れないでしょう。
倫理的な問題ではなく、利害の問題として考えてみましょう。朝鮮を併合することが、国家として儲かることだったのでしょうか。
私は決して儲かることではないと思うのです。
そういうことを平気でやって、しかもそれは帝国主義であると言われています。帝国主義という言葉は上等ですね。泥棒主義と言ってもいいのです。
(中略)明治三十年代にどれだけの産業がありますか。
生糸をアメリカなどに売って、やっと外貨を得ている程度です。他の国に売れるようなものは、マッチとタオルぐらいです。
産業能力があって十九世紀的な帝国主義というものが成立します。ところが何も売るべき産業もなくてですね、朝鮮半島を取ってしまったわけです。
何もないから、結局、東洋拓殖という一種の国策会社ができました。朝鮮半島のひとびとが一所懸命、先祖代々耕してきた水田を取り上げたりした。
実際のソロバン勘定からいったら、持ち出しだったでしょう。鉄道をつくったり、総督府をつくったり、学校をつくったり、郵便ポストをつくったり、それはそれでいいのですが、我を持ち出し、恨みを買った。
イギリス人やフランス人は国家運営を考えます。外に出ていくときに、儲かるか儲からないか。あるいは目先の儲けではなく、百年先に儲かるか。常にそういう計算があるはずです。そえが戦略、政略というものだと私は思うのです。
強欲な百姓が隣の畑を略奪するように、ただ朝鮮半島を取っただけでした。
いやあ、昨今のいわゆる”サヨク”など比較にならないくらい”自虐的”ですな。
「帝国主義という言葉は上等ですね。泥棒主義と言ってもいいのです。」
「強欲な百姓が隣の畑を略奪するように、ただ朝鮮半島を取っただけでした。」
などというのは、痛烈で、痛快な指摘です。
自国の問題点を指摘することを「自虐的」だと決め付けて、そういう指摘の痛みから逃げてばかりいる”痛がりなネトウヨ”からは決して聞けないでしょうね。
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