困った時の陰謀論 | 誰かの妄想

困った時の陰謀論

陰謀論というのは、自分にとって不都合な事実に目をつぶろうとするには便利なものですな、と。
何か問題が生じても、それは自分の行動に原因があるわけではなく、影で陰謀を巡らす誰かのせいだとすれば自責の念に苛まれることはありません。だって、ボクのせいじゃないもん。


アメリカ下院で従軍慰安婦非難決議(非難というより、正式謝罪と閣僚・議員による否定発言の再発防止の要請ですね)が採択され、その後フィリピンやカナダでも似たような動きがあるようですが、個人的には複雑な気持ちです。

というのも、自国の歴史に向き合って学ぶという程度のことすら外圧に頼らなければいけないのが情けないというか・・・。


慰安婦=公娼という主張をする人も問題ですが、より深刻なのは、公娼制度自体が人権侵害であり、対処していかなければいけない、という当然のことすら理解していない人たちが多い点。
「当時合法だった」とか言う前に、現在もなお、売春禁止法の存在にもかかわらず風俗産業が溢れかえり、その中には借金などで売春を強制されている被害者もおり、現在進行形の問題だと認識してほしいものですが(だからこそ、現在でも慰安婦問題が国際的には取り上げられるわけでしょう)、ま、無理でしょうね。他人の痛みを理解しようとしない人には。


その辺がわからずに自己肯定の欲求だけが肥大していくと、世界中及び日本国内の左翼が結託して日本を陥れようとしている、という妄想に取り付かれてしまうようです。


例えば、こんな感じかな。


http://keyboo.at.webry.info/200707/article_24.html

<なぜ直接関係のない「米国」で決議されたのかを考える必要がある>
そして、一方でこの問題に関して誰もが抱く
3つの疑問について考えておかなくてはなりません。

① なぜ直接関係のないはずの米国でこの問題が取り上げられたのか
② なぜあえて同盟国である日本を糾弾するような決議案が出てきたのか
③ なぜ今になってまたこの問題が蒸し返されてきたのか

この点について、明確な答えを書いているマスコミはありませんでした。
なぜなんでしょうか。気づかないだけなのでしょうか。
それとも気づかない「フリ」をしているのでしょうか。


陰謀論の導入部ですね。

「1」と「2」は、ほぼ同じ内容ですが、三つと言うのはキリのいい数字なんでしょう。

疑問を提示して、その疑問に答える形で陰謀論を示す、と。


ちなみに簡単に答えるなら、

「1」については、米国下院が米国に直接関係のない問題を取り上げるのは全く珍しくないことです。例えば近いところでは、アフリカのダルフール紛争に関する決議をしてますよね。中国非難として。これ米国に直接関わる話ではないと思いますが。

「2」については、アメリカのイラク戦争で開戦理由に疑問があるけど同盟国だから従います、なんてのが異常。

「1」「2」まとめて、そもそもアメリカは世界の警察を自認するくらいで、世界各国の人権状況についてよく調べています。なので、アメリカが慰安婦問題について言及するのは全く不思議ではありません。


「3」については、そもそもは自民党閣僚・議員らによる慰安婦否定発言に端を発するわけです。大体、謝罪するたびにそれを打ち消すような自民党有力議員・閣僚からの失言が出るのが問題。今回の場合は、安倍自身が首相就任前に従軍慰安婦関連のNHK番組に圧力をかけて改変させたわけで、就任後の国会答弁でも、河野談話を受け継ぐと言った口で、「狭義の強制性を裏付けるものは出てきていない」などと言っている。

加えて2006年10月25日の「私は個人的には、特に河野洋平談話、従軍慰安婦の問題ですが、これはもう少し事実関係をよく研究しあって、客観的に科学的な知識をもっと収集して考えるべきではないかなと」(下村博文 官房副長官)が出て、これを統一協会安倍の広報紙・産経新聞は「問題視される発言とは思われない。」「誤った事実認定に基づく政府見解にいつまでも内閣が縛られることは不自然だ。再調査による見直しが必要である。」(2006/10/30主張)と擁護。

その後も産経らは、安倍の代弁を勤める。
「当時の河野洋平官房長官が、ろくに調べもせず日本軍の強制性を認め、謝罪談話を発表した」「安倍晋三首相は「河野談話」の見直しを含め先頭に立って採択阻止に動いてほしい。」(2007/2/2産経抄)
「「河野談話」を取り消すべき」(2007/2/6正論・秦郁彦)
「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」(2007/2/19麻生太郎・衆院予算委員会)

「慰安婦問題については、安倍晋三首相が昨年10月の国会答弁で、河野談話の踏襲を表明したものの、「狭義の強制性を裏付けるものは出てきていない」と述べ、慰安婦募集の強制性は否定している。」(2007/2/19産経記事)
「安倍晋三首相は昨年秋の国会で、河野談話を「政府として受け継ぐ」と答弁した。だが、談話は事実に基づくより政治配慮の結果-との証言もある。」(2007/2/21産経記事)

「河野談話に関し、安倍首相は5日の参院予算委員会で、「(政府として)基本的に継承する」としたうえで、「狭義の強制性を裏付ける証言はなかった。官憲が家に押し入って人さらいのごとくつれていくという強制性はなかった」と答弁した。」(2007/3/7主張)

「自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は河野談話の根拠になった資料を再調査するとともに、決議案に賛成しないよう米議員に働きかける方針だ。」(2007/4/8産経記事)
ちなみに「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長は中山成彬で、安倍内閣の総理補佐官中山恭子の夫だ。


とりあえず、ここまで。


結局、河野談話を受け継ぐと言いながら、事実上それを否定しているわけですな。河野談話に書いてもいない「狭義の強制性」の言及とか、下村官房副長官や麻生太郎などの他人の口を使って。中でも産経新聞は、まあ、ひっきりなしに統一協会安倍の代弁を勤めてます。よくやる。


これで「なぜ今になってまたこの問題が蒸し返されてきたのか」明白ですね。今になって政府要人が否定し始めたからです。蒸し返したのは安倍本人ですよ。

付け加えるなら、日本は最近までジャパゆきさんという性的搾取を目的とした人身売買に対してぬるい対策しかとっていないし、研修名目での外国人労働者の強制労働など人権侵害対策が先進国では未だに遅れている国というのも一因でしょう。



「普通に」考えたら、自分に関係のない案件で仲の良い相手を糾弾したりはしないですよね。
日本が米国開拓時におけるネイティブアメリカン虐殺に対する非難決議をするようなもんです。
そんなことわざわざしたりするでしょうか。「普通は」考えられないですよね。


「ネイティブアメリカン虐殺に対する非難決議」してもいいけど、アメリカではちゃんとネイティブ・アメリカン虐殺の歴史を学んでますよね。映画でもよく描かれるし。
黒人差別についても、政府要人や有名人が公に差別を容認する言論は認められないでしょ(相当非難されるはず)。それだけ「差別がいけない」ということが教育されているわけですよ。

翻って日本での従軍慰安婦の取扱はどうですかね?
某・自称全国紙が堂々と否定してますし、テレビでも政治家や有名人が否定発言をしている。元慰安婦に対して、下手すりゃネットと同レベルの「嘘つき」呼ばわりですよ。
そういうところを何とかしろ、って言う決議ですよ、121号は。過去の問題ではなく現在の問題。

こんなこと「普通に」決議121号の内容を読めばわかりますよね。



ということは、日本と米国の関係に亀裂を入れたい誰かの意図が働いていると考えるのが自然じゃないでしょうか。なぜなら、今日米関係は民間レベルでもかなりうまくいっており、米国があえて日本を敵視する理由は全くないからです。


決議121号の内容が日本敵視にしか見えないならその方が変ですよ。ちゃんと読めばいいのに。