SCOOPYのブログ

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6月初旬の話しになるのですが、ネットでこんな写真を見つけてしまいました。

 

 

80年前の戦争の空襲で阪神間の何処かが爆撃を受けている画像なのですが…

 

 

 

この地形何処かで見た事あるな…

どこだっけか‥

(`Д´;)←考え中

 

 

 

分かった!仁川(にがわ)界隈だ!

ひらめき電球(`Д´;)

 

 

 

インチョンじゃないよ!

(`Д´;)

 

 

 

私は阪神間の町なら昔の航空写真でも地形を見れば、ある程度ならどこか分かる特技をもっているのです。

 

 

 

因みに仁川(にがわ)とは我が栄光の伊丹市の隣にある宝塚市の地名で実際に仁川という川も流れている場所なのですが、現在の写真と比較してみましょう。

 

 

爆撃を受けている場所は、まさに現在の阪神競馬場がある場所になります。

 

 

 

(´Д`;)高い建物がない当時なら伊丹からでも煙が見えたんじゃないかな…

 

 

 

そして、爆撃を受けている写真の感じでは民家を燃やすための焼夷弾と違って本当に爆発する爆弾のようです。

 

 

 

そこで、ふと、思い出した話があるのですが、競馬場の辺りに戦闘機を製造している工場があったとか…

 

 

 

ネットで調べてみると、この場所には、やはり川西航空機の宝塚製作所があったようです。

 

 

 

点と点が線で繋がった感じがします。

 

 

 

そして、終戦直後の1945〜1950年頃の日本国土地理院の写真を見てみると…

 

 

画像は加工しています。

 

工場跡地の北側には田園地帯が広がり、工場跡地には建物など何も無くなっていて地面には爆弾でできたとみられる生々しいクレーターのような穴が見受けられます。

 

 

現在は飛行機の製造工場があった場所は阪神競馬場になっていて競馬場周辺は住宅街で埋め尽くされています。

 

 

 

当時の痕跡など残っているのかな?なんて一瞬考えてしまいましたが、ここまで変化してしまうと何も残ってないだろうと思っていたところ、一つだけ変わらない場所があったんです。

 

 

 

それは下の画像の矢印の先にある池なのですが…

 

 

日本国土地理院 1945〜1950年頃の写真です。(画像は加工されています)

 

令和の現代でも殆どそのままの形で残っていたのです。

 

 

日本国土地理院 1945〜1950年頃の写真です。(画像は加工されています)

 

ネットで調べたところ、この池は弁天池というそうで池の形も当時と殆ど変化はないようだし阪急今津線も当時から走っていたんですね〜

 

 

 

当時の今津線は単線に見えますが、実際にどうだったのかは知りません。

 

 

 

そこで、前置きが長くなってしまいましたが、この界隈をちょろっとスクーピーに乗って見に行ってみる事にしました。

 

 

 

(´Д`;)と、言っても一カ月くらい前だと思いますが…

 

 

 

それでは道中の景色なども楽しみながら行ってみましょう。

 

 

(´Д` )今日も武庫川がきれいです。

 

 

途中で2りんかんに寄って夏用グローブがボロボロになってしまったので安物ですが、新しいのを買ってしまいました。

 

 

そして、武庫川に戻り西宮側の土手の道を上っていきます。

 

 

少し走ると仁川が武庫川に流れ込む合流ポイントまでやってきました。

 

 

仁川の川の流れの上には未来的なデザインの沈下橋が架かっています。

 

 

上から見るとこんな感じの場所です。

 

 

当時、爆撃された川西航空機宝塚製作所があった跡地に建設された阪神競馬場界隈は、ここから少し仁川を上った所にあるので行ってみましょう。

 

上の画像は競馬場の南側にある工場なのですが、この会社の前身が戦時中は戦闘機を製造していた川西航空機にあたり現在は新明和工業という名称になっているそうです。

 

 

 

元々、川西航空機は戦闘機ではなく飛行艇を製造していた会社だったそうですが、戦時中は極地戦闘機の紫電や紫電改なども製造していたようです。

 

 

 

因みに紫電改は紫電を改良した戦闘機だよ

(´Д` )上差し

 

 

 

⇩当時、川西航空機が製造していた飛行艇

川西 H6K 九七式飛行艇 画像はWikipediaより

 

 

飛行機や飛行艇の事はよく知りませんが、当時の川西航空機が製造した飛行艇は機体に上に翼があってそこにエンジンが付いていました。

これは水がエンジンにかからないようにするためにこのような形になっているそうです。

 

 

紅の豚に出てくる飛行艇みたいですね。

 

 

そして、新明和工業の工場は川西航空機の頃より工場は小さくなったみたいですが、それでもかなり大きな工場です。

 

 

それに今では再び海上自衛隊向けの飛行艇で完成機メーカーとして完全復活しているそうです。

 

 

(´Д` )それでは、次に阪神競馬場に向かってみましょう。

 

 

そして、阪神競馬場の横の道までやってきました。

 

 

(´Д`;)この近代的な建造物ぼある阪神競馬場ができる前に飛行機を製造する工場があって、そこが、ありえない程の爆撃をうけていたなんて何だかピントきませんね…

 

 

 

でも、この撮影ポイントは、戦時中のあの爆撃の写真の爆炎の真っただ中の場所だと思われます。

 

 

 

(´Д`;)あの爆撃があった時にここに立っていたらと思うと少し怖くなりました。

 

 

その後、弁天池に向かいましたが、途中の道で仁川界隈の町に意外に高低差がある場所があってガタガタした地形なのにも驚きです。

 

 

 

そして、あっという間に弁天池に到着。

 

 

上の画像の矢印の下にあるお社のような物は昔の航空写真でも確認されましたが、当時と同じ物なのかはわかりません。

 

 

対岸に見える石垣と松林は昔からある物なのでしょうか?

 

 

 

拡大

 

(´Д`;)石垣は良い感じに古さを醸し出しているのだが…

 

 

そして、池の畔を完ぐるっと歩ける道が無いので池の周りの住宅街の道を散策しながら池を一周してみました。

 

 

小さいけど雰囲気のいい神社があったり

 

 

一方通行だらけで道に迷ったりしましたが…

 

 

何とか横に阪急今津線が通っている池の畔の道に出れました。

 

 

因みにこの道はバイクが走れないので、いつものようにスクーピーを押して歩きます。

 

 

そして、池の周辺の道を使いつつ、弁天池を一周しましたが感想は…

 

 

 

(´Д`;)あせるお、おもんな…でした…

 

 

 

弁天池の形は当時と殆ど変わっていないようですが、環境がすっかり変わり過ぎてしまってましたね。

 

 

 

(´Д`;)そりゃそうですよね、だだの住宅街ですから…

 

 

 

(´Д`;)そして、来た事を少し後悔しながら家に帰りました…

 

 

 

(´Д`;)実は今回こういう物を見に行ってしまったのはて日本にとって凄い嫌な事が起こりそうな気がするからってのもあるんですよね〜

 

 

 

(´Д`;)考えても仕方ないからまあ、いいか…

 

 

 

 

おわり(`Д´;)←考え中