セルフケアラボ王禅寺店

加地です。

 

人間の心には感情が付属しています。

人の感情で最も強いものは何か。

ナザレのイエスはこれを慈愛と言いました。「神は愛である。愛は神である。」と言ったとされます。

釈迦はこれを慈悲と言い、他者を自らと同じく慈しむ心が最強の感情だと説いたようです。

 

不義とは、義に悖ることです。他者を故意に騙す(詐欺)、何の意味もなく面白半分に他者の信念を侮辱する、などのことが

不義に当たると個人的に考えております。

不義に当たることをされると人間は怒りの感情に支配されますよね。

怒りは中途半端には沸き起こってこないものです。怒りを感じるのは、その人が本気だった証拠です。

何かを成し遂げようと立志し、信念をもって取り組む行為が本気であればあるほど、それに対して不義に当たることをされたときの怒りは

激しいものとなるものです。

現に私がそういう性格ですしね。

 

怒りは憎悪、恨み、怨念へと連結してゆく危険性を孕んでいます。

無論、「義憤」という善への建設的怒りというものもあるとは思いますが、大抵は怒りは負の感情へと連結してゆくものです。

そのあらゆる負の感情に勝つ最強の感情が「慈悲=慈愛」という訳ですね。

 

「愛を求めるな!愛を与えよ!これこそが霊の真の栄養である。いかなる場合にせよ愛ある処、憎しみと羨みと嫉みとは消えるからである。

愛は恐怖(おそれ)を駆逐し、不義に抵抗しない。返すに愛を以てする時、心平安となる。その時はじめて父なる神は働き給いすべてを克服し給う。不義に怒れば、心は騒ぎ乱れ、羨み、嫉妬(そねみ)、怒りにみたされれば、愛は消える。愛こそはかくのごときものすべてを消し去るこの世における唯ひとつの力である。」

これはマクドナルド・ベインという人にナザレのイエスご本人がトランスして臨在した際、3次元であるこの世の人々とこの世を離れて霊の階層にいる人々に対して説法なされたことの一部ですが、ここでいう「愛」とは「慈しみ」のことで、即ち釈迦が説いた「慈悲」のことです。

かつてこの世に存在して世間様から一定して高い評価を受けた思想家の森信三という人もその講義録の中で「釈迦もイエスも説法している内容の根本は同じで、即ち汝の隣人を愛せよ。と言っているのみです。」といった意味のことを仰っていました。

 

汝の隣人とは自分以外の全ての他者のことであり、その人々を自分自身の如く慈しむ心を持つことが全ての根本だと釈迦もイエスも仰っているのだと私は思います。

それが出来れば、上記のイエスの説法の通り、不義に抵抗せず寧ろ不義を包み込むような大いなる慈悲でその人の魂は満ちることになるのだと思えます。

それが救済であり、イエスの説いた裡なる神我(キリスト=神の分霊)である神性の開顕なのだということですね。

 

近頃、釈迦とイエスに関心が沸いているので今回はナザレのイエスの説法をメインに語ってみました。