6年 | SCK GIRLS ありさのブログ

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SCK GIRLS ありさ です♪




皆さんこんにちは






今日は朝からどの番組でも

取り上げられていますね






今日であの震災から6年が経つのか

と思うと長いようで早いですね






当時小学5年生だった私も

高校2年生です。






3月11日になると津波の映像が

流れてきますね





それを見る度 当時のことを

とてもはっきりと思い出せます。





いつも震災のことを聞かれても

取材などで話してきたので

慣れてきたと思ってたんですが

今日だけはブログを書いていても

涙無しでは書けないです。





津波の映像や瓦礫や避難所の映像を見ると

当時は我慢して素直に泣けなかったのが

6年後にやっと涙を流せているのかなと

思います




私より辛い人がいるのに私が泣いたらだめだ

ってずっと思っていました





でも6年という月日が流れて

震災に対する気持ちも受け止め方が

変わってきて色んな思いで

このブログを書いています





私はこの悪夢が明日には終わって

今まで通りの町が戻ってくると

思っていました




でもそんなの現実逃避で

私がこれって現実なんだって実感したのは

次の日でした




自分の住んでいる地域に入ると

泥や瓦礫、魚もいっぱい散らばっていました




自分の家に行くと入口に

流れてきた車が挟まっていたので

フェンスを越えて中に入りました




家から必要なものだけを持って逃げて

余震も大きい中避難しました




次に向かったのはおばあちゃんの家。

私は1週間くらいお母さんに会えなくて

安否もわからなかったので

おばあちゃんとおじいちゃんといました




おじいちゃんがおばあちゃんに

〝多分 もう家はないよ〟

そう言いました。私の家の地域は

津波の被害はひどかったけど

建物は残っている状態だったので

言っている意味がわからなくて

そのまま黙ってついていきました。



道かもわからない道を進む度 

胸がえぐられる思いでした




おばあちゃんの家は被害が最もひどく

とても近づける状況ではなかったので

近くの高台から家を探しました。



辺り一面家などはなく

いつも見ているはずなのに

ここはどこなんだろうと思いました



いつも元気で元気すぎるおばあちゃんが

隣で泣いているのを見てるのが

とても苦しかったです。




自然災害だから誰が悪いわけではない



だからこそこの苦しさ悔しさを

どこにぶつけていいかわかりませんでした




6年かかって気づいたこの気持ちは

悔しいって気持ちなんだと気づきました





6年も経つと町並みも全然変わってきて

正直 震災前の気仙沼が思い出せないです



新しい気仙沼で前に進んでいる今

やっと復興してきているって気持ちもあるけど



思い出せなくて苦しい気持ちもあります





大好きだった気仙沼の町並みを

忘れたくないのに忘れてしまう





これも風化ですよね





今一番怖いと言われているのが


〝風化〟 です。




被災地で暮らしてる私でも

忘れるくらいだから



東北ではないところに住んでいる方々は

3.11 と聞いて そんなこともあったなぁ

なんだっけそれ という人もいると思います。



そう言われるのが一番悲しいです。



あんなにひどい災害を私達は

身を以て経験したのに

被災地から離れるとそこまでの

災害ではなかったのかなと

苦しいのは自分達だけなのかと思って

とても悲しいです。





でも経験してない人に

気持ちをわかれなんてそんなこと言えないし

思ってもいないです。



これは経験した人じゃないと

絶対にわからない

それはもう変えられない事実です




だから 少しでいいから



まだ被災地で頑張ってる人がいる



まだ自分の住む地域に帰れない人もいる



まだ復興は終わっていなくて

やっと動き出せた地域もある



ということを、、



震災があったことを覚えていてほしい


震災をなかったことにしないでほしい



そう思います。






それを私たちが少しでも手伝えたら嬉しいです


そのための復興メッセンジャーでもあります



皆を笑顔にしたい!

楽しんでもらいたい!

楽しい時間を共有したい!



その一心で私はアイドルを続けてきました




いつもずっとそう思ってます



それが心があれば皆にも伝わるって

思っています





でも この日だけは

私達は震災があって生まれたグループなんだ


ってことを忘れないでほしいです





アイドルだけどこの日だけは

素直に笑えない日でもある










私は高校生になってまたSCKに戻ってきて

改めて気付かされたことがあります



それは 皆の笑顔も  私達を元気にしてくれてる


ということです





みんなの笑顔が見たいから

この活動も続けられています





私は 震災があって

自分がほんとにいていい居場所って

どこなのかわからなかったけど


SCKに関わっている人

メンバー、スタッフ、ファンの方々、地域の方々、

沢山の人のおかげで私は自分の居場所を

見つけることが出来ました




傷ついた人を元気にする



そして子供たち(メンバー)自身の

心の復興もする





SCKを作った時に思ったモットーを

阿部さんやししょーから

今までそう言われてきました





初期メンバーには

家が全壊だったり、私なんかよりも

ずっとずっと辛い思いをしてきた

メンバーもいたので そのメンバーの

心の復興の様子を見てきて

こういうことだったのかって

思っていましたが




私自身自分の居場所を見つけられて

毎日笑顔で楽しく暮らせて

泣きたい時には素直に涙を流せて



やっと気づきました



私の心も復興されてたんだ



他人事のように感じていたけど

ほんとは自分自身もそうだったんだ



そう思いました





私はSCKに感謝しかないし


その見つけた自分の居場所を

今月 20日に 卒業しますが



気仙沼への思いは変わりません


いつか自分を育ててくれたこの街に

恩返ししたいし


離れたところからでも

自分に出来ることを探して



新しい自分の居場所を見つけて



気仙沼に生まれ育ったことに

誇りをもって 生きていきたいと思います











被災地のこれからの復興を、発展を願っています










そして東日本大震災で亡くなった方々の


御冥福を心からお祈りします









ありさ