恋人同士や人気稼業の芸能人ならいざ知らず、普通のつき合いをしている間柄で、相手が自分をどう思っているか極端に気にする人がいます。その理由は、よく思っていてもらいたいという以上に、悪く思われたくないことに起因している気がします。
人から嫌われたいと思っている人はいないでしょう。しかし、自分をどう思うかは相手の問題であって、相手の心をコントロールすることはできません。
それをコントロールして、必要以上に媚び、へつらい、冗談を言って、可愛い自分、ユーモアをアピールする人もいます。無理をして“いい子”になろうとするので、結果として疲れます。
中学生くらいまでの私がそうでした。勉強以外に取り立ててやることがなく、やりたいこともなかった少年の、たった一つの生きがいは、いい人、面白い人になることだったのかもしれません。
大人になって僧侶というやりがいのある生き方を見つけてからは、人から嫌われないようにすることもなくなりました。人からの評価より自分がやっていることの満足度が優先しているからです。
おかげで自分のことを人がどう思っているかを、ほとんど気にしなくなりました。
もちろん、人が私のことをどう思っているかくらいの察しはつきます。しかし、それも嫌われてはいないだろう、好かれてはいないだろう程度のレベル。あの人は私のことを好きか嫌いかなんて花占いみたいな二元論で察することはありません。
嫌いでないなら好き、好きでなければ嫌い、いわんや「どちらかというと好き?嫌い?」と二元論で考えていると、融通の利かない人間観に陥ります。
人からどう思われているか気になって仕方がない人は、自分のやりたいことを見つけて努力してみてください。
元結不動 密蔵院住職
名取芳彦(Hogen Natori)著
三笠書房 《知的生き方文庫》
『気にしない練習』
◎人がどう思うかは「相手の問題」より
ヨハネが来て、
食べも飲みもしないでいると、
『あれは悪霊に取りつかれている』
と言い、
人の子(イエス)が来て、
飲み食いすると、
『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。
徴税人や罪人の仲間だ』
と言う。
( マタイ 11:18, 19 )
この世と調子を
合わせてはいけません。
いや、むしろ、神のみこころは何か、
すなわち、何が良いことで、
神に受け入れられ、
完全であるのかを
わきまえ知るために、
心の一新によって自分を変えなさい。
( ローマ 12:2 )