なぜ聖書を信じることができるのか | シオンのブログ

シオンのブログ

シオンの徒然記

どのようにして私たちは聖書が信頼に足る書物であると知ることができるのでしょうか。

聖書は神が人間とコミュニケーションを取るために独自に生み出されたものです。何十億という人間がそこに書かれているメッセージを土台にして生きています。殉教した人も何百万人にのぼります。

知的な人は聖書を信じることができますか。

はい、できます。聖書は寓話ではありません。他の霊的なことを扱う書物とは違って、盲目的な信仰を要求しているのではありません。様々なカテゴリーに分けられる証拠によって聖書が歴史的に正確であり、神の書物であることがわかります。

・古代の歴史は聖書が歴史的な記録として正確であることを証明している。

・福音書にはイエスの人生について信頼できる記事が書かれている。

・考古学は聖書の記事が確かなものであると証明している。

・聖書の研究によって聖書は最初に書かれて以来、変更されていないことが立証されている。


古代の歴史は聖書と一致しますか?

もし聖書が神の私たちに対するメッセージであるなら、私たちはそこに書かれている歴史も正確であることを望ものではないでしょうか。そして、その通り正確なのです。

たとえば、聖書にはナザレのイエスが多くの奇跡を行ない、ローマ人によって死刑に処せられ、死から甦られたことが書かれています。多くの古代の歴史家たちはイエスと彼に従った人たちの生涯についての記事に確証を与えています:

1世紀のローマ時代の歴史家であるコルネリウス・タシタス(A.D.55-120)は、当時の最も正確な歴史家のひとりと考えられています。1 タシタスの書いたものの抜粋を読むと、ローマ皇帝ネロがクリスチャンをひどい残酷な方法で苦しめたこと、クリスチャンという名前の源であるクリスタス(キリスト)は、ティベリウスの治世に総督のひとりであったポンテオ・ピラトの手によって最も残酷な方法で死刑に処せられたことがわかります。

ユダヤ人歴史家であるフラビス・ヨセフス(A.D.38-100)はユダヤの古代に遡ってイエスのことについて書きました。ヨセフスは「私たちはイエスが驚くような偉業を達成した賢者であったこと、多くの人たちに教えたこと、ユダヤ人やギリシャ人からも彼に従う者が起こされたこと、メシヤであると信じられたこと、ユダヤ人指導者たちによって告訴され、ピラトによって十字架につけられ、復活されたことを学ぶことができます。」と書いています。

スエトニウス、小プリニー、タルスもまたクリスチャンの礼拝と迫害について書きましたが、これは新約聖書の記事と内容が一致しています。

ユダヤ教の律法であるタルムードでさえイエスに対して偏見を抱かず、イエスの人生に起こった主な出来事について同意しています。タルムードには「イエスが処女降誕だったこと、弟子たちを集めたこと、自分について宣言したことが冒涜となったこと、奇跡を行なったが、これらの奇跡は神によるものではなく、悪霊による魔術だった。」と書かれています。

このような情報が、古代の歴史家たちによって書かれたということ、それも彼らがローマ帝国の遠く離れた地方の名もないユダヤ人の律法学者たちに興味を持ったのではなく、政治や軍事面の指導者に焦点を当てて書いたものだったことに驚かされます。これらの古代の歴史家たち(ユダヤ人、ギリシャ人、ローマ人)はクリスチャンではありませんでしたが、新約聖書に書かれている主要な出来事に確証を与えたのでした。


福音書に書かれているイエスの記事は信頼できるでしょうか?

世俗の歴史家たちもイエスの生涯について一般的な事実を記録していますが、イエスに従っていた者たちは直接目撃した証しに基づいて詳しく記録しています。これらは4つの福音書と呼ばれ、新約聖書の最初の4つです。どのようにして私たちはイエスの自伝が正確であると知ることができるのでしょうか。

自伝が信頼できるものかどうか歴史家が判断する場合、次のように質問するでしょう。「この人についての事実を立証するために他にどれぐらいの証拠があるでしょうか?」答えはこうです。たとえば、あなたがジョン・F.ケネディ大統領についての自伝を集めるとします。きっと彼の家族、大統領としての期間、キューバ危機をどう乗り切ったかなど、ほとんどすべての自伝には同じ事実が記述されているでしょう。けれども、もしあなたがひとつの自伝にJFKが南アフリカで10年間牧師であったと書いたものを見つけたとしたら、どうでしょう。他のいくつかの自伝には彼はその時アメリカにいたと記述していたらどうでしょう。分別のある歴史家なら、ある特定のことについていくつかの自伝に同じことが書かれていれば、その自伝の意見を信じるのではないでしょうか。

では、ナザレのイエスの生涯について、同じ内容がいくつかの自伝に書かれているのでしょうか。はい、書かれています。同じ情報について内容がすべてカバーされているわけではありませんが、4つの福音書は本質的に同じ話です:

{979CEDE0-EA38-420A-8390-E5FFA76A1798:01}
{40247317-EB7E-4C71-AD1E-FF09B429E85E:01}
{E80B5605-9F25-460D-8BAC-6B0817BD730A:01}

福音書のふたつは弟子のマタイとヨハネによって書かれ、彼らはイエスのことを個人的に知り、3年以上にわたって一緒に旅行しました。他の2冊はマルコとルカによって書かれ、彼らは使徒たちと親しく関わっていました。これらの著者たちは、彼らの記録したことに直接関わった人たちでした。初代教会は4つの福音書を受け入れました。その中に書かれているイエスの生涯はすでに一般知識となっていたからです。

4つの福音書の記事はいずれも詳細にわたっています。複数の人が実在の人について書くと、スタイルに違いがあっても、そこに書かれている事実は同じです。福音書には歴史家や考古学者によって立証されなければならない地理的な名前や文化的な詳細部分があったことから、福音書の著者たちはそれを単純に書き上げたのではないことがわかります。

イエスの言葉として記録された言葉の中には初代教会が残したかった多くのトピックが除外されています。これは、自伝作者が正直であったこと、自分たちの興味に合わせてイエスの言葉を借りて語らせようとしなかったことを示しています。

福音書のひとつに表されているたとえを見たい人は、ここをクリックしてください。
http://www.studentinjapan.com/a/Bible215.html#gospels


聖書は過去に変化して、原文とは違うものになったのでしょうか?

新約聖書は何度も翻訳され、そのたびに原文とは違うものになったと考えている人たちがいます。翻訳が他の翻訳文から取ったのであれば、そのような可能性はあります。けれども、どの翻訳も何千もの古代の写本に基づいて、元々のギリシャ語、ヘブル語、アラム語から直接翻訳したものです。

たとえば、私たちが今日使っている新約聖書は元々の形であることが、次の理由によってわかります: 

     1.写本のページ数が2万4千を越える。 

     2.これらのコピーの内容は、言葉も時代も99.5%一致する。 

     3.これらの写本の日付はそれぞれの原本の日付にきわめて近い。(このセクションの最後にあるリンクを参照してください)

ひとつの写本を他のものと比べてみて、その内容が合致するのは驚くべきことです。時折、スペルが違ったり、言葉が言い換えられていますが、ほとんど違いがありません。言葉の並びに関して言えば、プリンストン神学校の名誉教授であるブルース・M・メツガー師は次のように説明しています:「英語では、「犬が人間を咬む」と「人間が犬を咬む」では大きな違いがあります。英語では順番はとても大切です。けれども、ギリシャ語はそうではありません。ひとつの言葉はそれがどこにあろうと文の主語として機能するのです。」

オックスフォード大学の客員教授であるラビ・ザアカリアス博士もコメントしています:「実際、古代の書物の中には事実を立証するもの、或いは反駁するものなどがある中、新約聖書は実際の出来事と記録されている文書の間にある時間の間隔において、最も正しく裏付けることのできる書物です。古代の写本の中に、これほど正確な証拠となるものはありません。」

新約聖書は人間性について書かれた古代の書物として最も信頼に足るものです。その正確さはプラトンの書いたものやホメロスの書いた「イリアッド」よりも確かなものです。

新約聖書と他の古代の書物を比較したい人は、ここをクリックしてください。
http://www.studentinjapan.com/a/Bible215.html#writings


旧約聖書も驚くほどしっかりと保存されています。現代の翻訳はヘブル語とギリシャ語の古代の写本から翻訳されたもので、その中には20世紀の半ばに発見された死海文書も含まれています。これらは旧約聖書のほとんど全部を含んでいる現存する中で最も古い文書で、日付が150B.C.となっています。死海文書と1000年後手書きコピーされたものとの類似点は、古代のヘブル語の写本筆写者も聖書をコピーしたということです。


考古学は聖書を立証する手助けになっているでしょうか?

考古学は聖書は神が私たちに宛てて書かれた書物であると立証することはできません。けれども、考古学は聖書の歴史的な正確さに対して確証を与えます。考古学者は聖書に書かれている政府の役人、王、都、祭りの名前を次々と発見しました。その中には、時には、歴史家が存在すると考えることのなかった人々や場所がありました。たとえば、ヨハネの福音書にはイエスがベテスダの池のそばにいた足なえの人を癒したことが記述されています。聖書には池へとつながる5つのポーチ(通路)が描かれています。学者たちは考古学者が地面から40フィート下に5つのポーチを発見するまで、そこに池が存在するとは考えませんでした。

考古学によって発見されたものがすべて聖書に記述されているわけではありませんが、聖書には驚くほどたくさんの歴史的な詳細が記述されています。けれども、考古学的な発見の中で聖書の記録と合致しないものはひとつもありません。

ニュースレポーターのリー・ストロベルがモルモン教の本についてコメントしている内容と比較してみましょう:「考古学は昔アメリカで起こったと考えられる出来事について立証しようとしているが、ことごとく失敗しています。私はスミソニアン大学にモルモン教の信じているものには証拠があるのかどうか尋ねてみたことがあります。はっきりしたことは、考古学者はモルモン教の本である「新しい世界」の考古学とその本の主題の間には直接的な関連性はないというものでした。」考古学者はモルモン教の本の中に書かれている町も人々も名前も場所も特定することはできなかったのです。

新約聖書のルカの福音書や使徒の働きに記述されている古代の町々は、考古学によって現在のどの町かわかっています。「ルカが書いた名前、32の国々、54の町、9つの島は、間違いなく書かれているのです。」

考古学は聖書について多くの間違った理論の誤りを証明しています。たとえば、モーセの時代、書くことはまだ発明されていなかったので、モーセがモーセ五書(聖書の最初の5つの書物)を書くことはできなかったと今も教えている大学がいくつかあります。けれども、考古学者は黒の石板を発見しました。「そこには楔形文字でハムラビ法典が詳しく記されていました。それはモーセの時代以降のものでしょうか。そうではありません。それはモザイク時代前のものであり、それだけではなく、アブラハム前(2000B.C.)のものなのです。モーセの時代より少なくとも3世紀も前のものなのです。」

他の主な考古学上の発見としては、1974年に北シリアでエブラ銘板が発見されることによって、初期のアルファベット文字の存在が確証されたことがあります。これらの14,000にものぼる粘土の銘板はアブラハムの時代より何百年も前の2300B.C.であったと考えられています。12これらの銘板に記されている土着の文化は創世記12-50章に記録されている内容と類似しています。

考古学は聖書が歴史的に正確であることを確証し続けています。

さらに学びたい場合、ここをクリックして、主な考古学上の発見についてのリストを見てください。
http://www.studentinjapan.com/a/Bible215.html#arch


聖書に矛盾点はあるでしょうか?

聖書にはたくさん矛盾点があると言う人もいますが、それは違います。矛盾点のように見えているいくつかのことは、聖書の大きさと広がりから見れば、取るに足りないほどの小さなものです。食い違いのように見えるものは、論争ではなく、好奇心を呼び起こさせようとするものです。それらの食い違いはどれも主な出来事や信仰に関わることに影響するものではありません。

矛盾と呼ばれるもののたとえを挙げてみましょう。ピラトはイエスが架けられる十字架に名札を掲げるように命令しました。そのことについて3つの福音書は次のように記録しています: 

 マタイ:「ユダヤ人の王、イエス」 
 マルコ:「ユダヤ人の王」 
 ヨハネ:「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」

言葉が違っているので、矛盾しているように見えます。けれども、驚くべきことは、3人ともイエスが十字架につけられたという同じ出来事について記述していることです。3人とも、このことには同意しています。そして十字架に名札が掛けられたこと、その意味は3つの記事の中で同じです!

では、正確な言葉は何だったのでしょう。福音書の原本であるギリシャ語は、私たちが今日直接的に引用しているシンボルを使いませんでした。福音作者たちは間接的な引用を使ったので、その表現に微妙な違いが生じたのです。

もうひとつ矛盾と見えるものについて見てみましょう。イエスは復活前、墓の中にいたのは2晩だったでしょうか、3晩だったでしょうか。イエスは十字架につけられる前「ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」(マタイ12:40)と語りました。また、マルコは別のことについて記録しています。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。すると、彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」(マルコ10:33,34)

イエスは金曜日に殺され、日曜日に復活したことがわかります。どのように三日三晩、墓の中にいたことになるのでしょうか。これは、イエスの時代のユダヤ式の数え方によるもので、一日やひと晩の一部を一日中、ひと晩中と数えたのです。ですから、金曜日、土曜日、日曜日はイエスの時代の文化背景では、三日三晩となったのです。私たちも同じような言い方をします。たとえば、だれかが「私は一日中、買い物に出かけていました。」と言ったとします。私たちはその人が24時間、買い物をしていたとは考えないでしょう。

このようなことは新約聖書に見られる典型的な矛盾点です。ほとんどは、その箇所を詳しく調べてみたり、歴史的な背景を考えてみると解決がつきます。


新約聖書の著者はだれでしょうか?ユダの福音書やトマスの福音書である聖書の外典はなぜ受け入れられていないのでしょうか?

現在の新約聖書の中に入っている書物は、信頼に足るものであるという確かな理由があります。教会は新約聖書が書かれてほとんどすぐに受け入れました。著者たちはイエスと関わりのあったイエスの直接の弟子たちで、初代教会を指導していくようにイエスから託された人たちでした。福音書の著者であるマタイとヨハネは、イエスの弟子の中で最もイエスと親しく交わっていた人たちでした。マルコとルカは弟子たちの仲間でイエスの生涯について弟子たちから直接聞くことができた人たちでした。

新約聖書の他の著者たちも直接イエスと関わることができました:ヤコブとユダはイエスとは兄弟の関係で、最初は彼のことを信じていませんでした。ペテロは12人の弟子のひとりでした。パウロは最初キリスト教を迫害する者でしたが、イエスの幻を見て以来、使徒となりました。彼は他の使徒たちとも関わりを持っていました。

新約聖書の中身は、何千人もの目撃者が実際に見たことの記録です。他の書物が何百年ものちに書かれても(たとえば、ユダが死んだあとだいぶんたってから130-170A.D.にグノーシス派によって書かれたユダの福音書)教会はそれが偽造であると見抜くのに困難ではありませんでした。140A.D.ぐらいに書かれたトマスの福音書も使徒の名前に間違いがあり、偽物であると考えられている例です。よく知られているイエスの教えや旧約聖書の内容に矛盾するこれらのグノーシス派によって書かれた福音書には、しばしば歴史的、地理的な誤りが見られます。

A.D.367、アタナシウスは新約聖書として(今日の私たちのリストと同じもの)27の書物を正式に定めました。そのあとすぐ、ジェロームとアウグスチヌスがこの同じリストをあちこちに普及させましたが、クリスチャンの大多数が今もこれを使っているわけではありません。けれども全般的にみて、すべての教会はキリスト以降の1世紀からこのリストを承認して用いています。のちに教会はギリシャ語圏以外にも普及していったため、聖書の翻訳が必要になってきました。また、分派が台頭し、彼ら自身の聖書を用いて対抗し続けたので、信頼の置ける確実なリストを作ることが重要になってきたのでした。


新約聖書の福音書が書かれるのになぜ30—60年もかかったのでしょうか?

イエスの死と復活のあとすぐに福音書が書かれなかった主な理由は書く必要がなかったからです。福音書は口から口へとエルサレムに伝えられていきました。エルサレムに住んでいた人たちはイエスやイエスのミニストリーの目撃者だったので、イエスの生涯について書き記す必要がなかったのです。

けれども、福音がエルサレム以外に広まっていった時、目撃者たちの口による伝承は遠くの人たちに届くことができなくなり、イエスの生涯とミニストリーについて他の人たちに伝えるために書き記しておく必要が生じたのです。多くの学者は福音書が書かれたのは、イエスの死後、30—60年であると考えています。

ルカは自身の福音書の最初に、なぜ彼がそれを書いたのか、その理由を記すことによって、もう少し詳しい洞察を与えています:「私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。」

ヨハネもまた、福音書を書いた理由を述べています:「この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの間で行なわれた。しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」

もっとイエスのことについて知りたいと思う方のために、イエスの生涯についてうまく要約されたものがあります:
見えない信仰の向こうに…

http://www.studentinjapan.com/a/jes7.html


イエスが福音書の中で実際に語り、話されたことは大切なことですか?

はい。信仰が価値あるものとなるためには、事実に基づくものでなければなりません。その理由は、もしあなたがロンドンまで飛行機で行くとします。その時あなたはその飛行機に十分燃料があり、技術的にも十分整備され、パイロットは熟練し、テロリストが乗っていないと信じて乗るのではないでしょうか。けれども、あなたの信仰によって、あなたがロンドンに着くのではありません。飛行機に乗るにあたって、あなたがこれらのことについて信頼できれば助けになります。けれども、あなたを実際にロンドンへと運ぶのは、その飛行機やパイロットの技量です。過去のフライトが大丈夫だったので、あなたは今回も大丈夫だと考えているのです。けれども、そのような肯定的な経験があなたを確実にロンドンへと運ぶ理由にはなりません。大切なことは、あなたが信じているものは信頼できるかどうかということです。

新約聖書はイエスについて正確で信頼に足る情報を与えていますか。はい。新約聖書にはかなりの数の事実に基づいた証拠があるので、私たちは新約聖書を信頼することができます。ここでは次のポイントについて取り上げています:歴史家との一致、考古学者との一致、4つの福音書の自伝内容の一致、文書コピーの保存がひじょうによいこと、翻訳に驚くほどの正確さがあるということ。これらすべては、新約聖書に書かれている次の事柄が確かな土台に基づいたものであると確信させるものです:イエスは神である、イエスは罪を負われた、イエスは死から甦られた。


福音書のひとつに書かれていることの例

福音書は実際に起こったこと「このようにして起こった」を記述しているものです。イエスが奇跡を行なわれたことでさえ、扇情的、神秘主義的には書かれていません。典型的な例はルカの福音書8章でイエスが少女を生き返らせる記事です。その記事の詳細と明白さについてみてみましょう。

するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。彼には十二歳ぐらいのひとり娘がいて、死にかけていたのである。
イエスがお出かけになると、群衆がみもとに押し迫って来た。ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。
イエスは、「わたしにさわったのは、だれですか。」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは、「先生。この大ぜいの人が、ひしめき合って押しているのです。」と言った。しかし、イエスは、「誰かが、わたしにさわったのです。わたしから力が出て行くのを感じたのだから。」と言われた。
女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。そこで、イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」
イエスがまだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人が来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」これを聞いて、イエスは答えられた。「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。」
イエスは家にはいられたが、ペテロとヨハネとヤコブ、それに子どもの父と母のほかは、だれもいっしょにはいることをお許しにならなかった。人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑っていた。
しかしイエスは娘の手を取って、叫んで言われた。「子どもよ。起きなさい。」すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。それでイエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。両親がひどく驚いていると、イエスは、この出来事をだれにも話さないように命じられた。

イエスが人々を癒される他の記事と同じように、これは紛れもない事実です。もしこれが作り事であるなら、違う方法で書かれていた部分があったことでしょう。たとえば、作り事なら、ある事柄の途中に別のことが起こって、それが妨げられることなどなかったでしょう作り事なら、悲しんでいた人々はイエスの言ったことに対して笑ったりしなかったでしょう。怒ったり、傷ついたりしたかもしれません。けれども笑ったりしなかったはずです。イエスが両親にこのことについてだれにも話さないように命じたことは作り事に加えることでしょうか。あなたは癒しを大きな出来事と考えるかもしれません。けれども、現実の生活は常にスムーズに進むわけではありません。妨げは常にあります。人々は思うように行動しません。そして、イエスはご自身の何らかの理由によって、このことが広められないように両親に願われました。

福音書が真実であるかどうか知るために一番よいテストは、自分で読んでみることです。その時、実際の出来事の記録として、それとも作り事として読みますか。もしそれが本当のことなら、神は私たちにご自身を現わされます。イエスは来られ、生き、教え、霊的な励ましを与え、彼のみことばと生涯について読む何百万もの人々にいのちをもたらされます。多くの人々はイエスが福音書で述べておられることを信頼できるものとして信じました:「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネの福音書  10:10)


{86EC675D-584F-46C5-8CB1-4D910A3DAA54:01}
{9D66924A-4B47-480E-B83E-1491812B9236:01}

✳︎ジョシュ・マクドエル著. The New Evidence that Demands a Verdict (Thomas Nelson 出版社, 1999), p. 55.


{1AA13CF8-8D4E-46D3-A035-DB13550D094E:01}
{49DC3528-4C0F-4E62-9792-C4658C67BAD3:01}
{83D250ED-42BC-402A-B8F5-2E9372C1C479:01}

{74CC0F2E-C1FE-49F5-A03A-DA9029E5E629:01}
{932A36E3-E758-451F-A529-969EAECD90D0:01}


http://www.studentinjapan.com/a/Bible215.html