当たるはずがない、そう思って石を投げた。
恐る恐る近寄って見るとネコは倒れて虫の息になっていた。
__どうしよう、お母さんに怒られる。
同じ光景が頭の中で何度もリピートされていた。小学生の頃、猫を生きたまま埋めたときの記憶だった。
何度も爪をたてて土を抉り掻き出す。
ひょっとすると、埋めたのはもう少し南の方だったかも知れない。ちらりとそんな不安がよぎったが、それでも手を休めることはできなかった。
見つけなければ。
私は焦っていた。猫に対する罪悪感からではない。猫の死体という非日常的な物を見つけられることができたら自分が救われるような気がして、誰かに追い立てられているかのように狂ったように庭を堀続けていた。
どれほどそうしていたのだろう。
気が付くと私の前には深さ40センチ程の穴が出来ていた。
しかしそこに私が想像していたようなものは無い。細い骨も千切れた体毛も腐りかけた肉片も何も無い。
ただ黒々とした土があるだけだった。
穴は馬鹿な私を嘲笑うかのようにぽっかりと口を開けていた。
何もない。何も。
どこにも、何も、無い。
日常というものからは永遠に抜け出すことができない。
非日常の欠片なんてどこにも埋まってはいない。
日常の外側なんて存在しないのだ。
私は穴の中に激しく嘔吐した。
ずっと雨の中堀続けていたせいたせいで、体は冷え頭蓋骨の中で鐘をならされているように頭は痛んだ。
それから一頻り涙を流した。
穴は全てを飲み込んだ。
それから私は昔そうやって猫を埋めた時のように穴の上から土を被せ、完全にならして穴の痕跡を消した。
そしてこっそり部屋に戻って深く眠りにつき、何食わぬ顔をして翌日目を覚ました。
それから私は少しずつ日常というものに馴れていった。
数学の公式を受け入れ、嫌なものを見たときは気付かないふりをして受け流すことができるようになった。
私は猫を穴に埋め、それから多感で繊細で未熟な私の心の半分を埋めたのだ。
フタをして見ないようにするために。
無かったことにするために。
しかし、心が半分になって鈍くなっても聞こえるのだ。
ニャーという鳴き声。
助けて、という泣き声。
私が埋めてきたものが土の下から私を呼ぶ声が。
