「心のケア」から「グリーフサポート」へ~子どもたちのつぶやきに耳を傾ける場とは?
飯田知樹(キッズハウスdaうけいれ隊代表)2014.7.23 札幌自由学校「遊」講座用レジメ
〈キッズハウスをやるに至るまでの自分の紹介〉
1962年北海道生まれ 青森の大学を経て1986年末東京ヘーアルバイト暮らし
1987ピースボート乗船を機に中野区拠点の「あじあくらぶ」を主宰、ネットワークが広がる
1995.1.17 阪神淡路大震災:「自分が行くべき」と感じた…年末のUターンを見据え?
~神戸の仲間のもとへ各地から10人が集結:兵庫区役所への朝の炊き出しと「足湯隊」
1995.12月 認知症となった父親との「介護生活」のため札幌へUターン
約1年半の介護生活の後、特養に入所(当時介護保険制度もなく特例で早い入所となった)。
その後、東京時代に学んだ西アフリカのタイコ・ジンベを習いたいとの声に応えていくう
ちに道内6~7カ所に教室が広がり、各地を月に2回回るという生活を4~5年続ける。
2001年12月 父親死去
2002年9月 東京時代出会っていた「らくだメソッド」の開発者である平井雷太さんのアドバ イスのもとに開塾。その年4月結婚して小1の子と暮らすことになったことがきっかけ。
塾の指導者になるための講座で「インタビューゲーム」を何度も受け、自分でも主催。
~「聴くことに徹する」「相手を否定しない」「子どもが自ら成長する力を信じる」
らくだの指導者に必要なこと・・・後の「グリーフサポート」につながる。
2011.3.11が起きてー
3.16「何かやりたいと思っているみなさん集まりましょう」との札幌市民への呼びかけを道
新で見て即参加を決意(「遊」に関わる方々も呼びかけ人に入っていた)
~1995年当時と違って現地へ駆け付けることができない自分に何ができるのか?
「足湯隊」を念頭にー緊急支援及び原発事故でそれどころではなかった。
「まずは募金!」と思い、何かできないかと友人知人と連絡を取り合う
◎足湯は「ボランティアのプロ」になっていた阪神淡路大震災支援当時の仲間がその後も ずっと引き継いでおり(四川、新潟等でも行う)、今も学生を中心に東北各地で行われ続
けている・・「体のケアから発見した心のケア」:つぶやきの記録→グリーフサポート
4.24 ジンベクラブメンバーと(西アフリカのタイコとダンス)チャリティライブ
:琴似の小さな会場(AMICA)で
~約10万円の収益をヤンジーへ(被災地への炊き出し継続)
5.21 チャリティーコンサート「想いひとつに…つながる場」:北区民センターホールにて
~約10万円の収益(参加費なし、募金箱の寄付のみ)を
「むすびば」の北海道への避難者さん支援チーム「うけいれ隊」へ
※音楽が縁でつながっていた友人の小学・中学教員と共同で企画。漂流教室(北海道フリ
ースクール等ネットワーク)の相馬氏が即チラシデザインを仕上げ、音楽仲間の嵯峨治彦
氏(馬頭琴&喉歌)、あらひろこさん(カンテレ)に声をかけると即OKだったことに勇気
を得て短期間で準備。支援団体や個人の「想い」を語ってもらう時間も持った。芽室在住
自然写真家の小寺卓矢氏のスライドトークを交え、さらには札幌在住のインドネシア留学
生たちがアンクルン(竹楽器)演奏で10人以上集ってくれた…「自分たちも何かしたい
からぜひ参加させて下さい」。
※なぜうけいれ隊へ寄付することにしたのか・・・
震災直後着の身着のままで避難して来たような方がおり、市や道から住宅の無償提供を受けた。しかし、部屋には電灯もカーテンもテーブルも冷蔵庫も洗濯機も食器も何もなく、途方にくれる避難者さんが多く出て来た。そこで生活物資を市民から提供してもらい、それを受け取り必要な物を避難者さんに届けることが急務と判断したメンバーが「うけいれ隊」を発足させ、毎日のように連絡を取り合い活動を続けていることを知ったので、その活動費や物資購入費に充ててもらうことがその当時は最適と思った。
●うけいれ隊への参加
:6月以降自分はどのようなかたちで被災された方々への支援ができるか考えていたが、参加
していたむすびばのメーリングリストに、「うけいれ隊のメンバーが不足しています。まずは
月2回行われている会議をのぞきに来て下さい」の呼びかけがうけいれ隊隊長からあったので、 自分にもできることがあるかどうかを探りに会議に参加。
その後、朝の仕事の後夕方以降の生徒対応の時間までの午後の時間帯を使えば、自分にも被
災された方々のためにできることがあると思ったので、うけいれ隊に参加することを希望し
た(月2回の会議=当時夜中迄かかった=とメーリングリストへの参加が義務だった)。
その後、市民からの提供品受け取り、保管場所への搬入、避難者さん宅への運搬などの物資
支援ボランティアを継続。「ボランティアはまず体を動かすことが基本」との思いがあったが、
まさにそれを実践できた(何でも屋さん…高層住宅へ冷蔵庫等を運ぶのは大変だったー)。
☆物資支援ボランティアは、市民と避難者さんを結ぶ大事な役目であり、物資でつながった避
難者さんのつぶやきに耳を傾けることも大事な役割だとやってみて初めてわかった。
◎7月18日(月祝):円山動物園ピクニック交流会を実施→スタッフ参加
孤立しがちな避難者さん家族の横のつながりを作る時期ではないかというメンバーの意見と、
札幌のことをまだあまり知らないご家族に円山動物園を紹介しようという気持ちから企画。
~「予期せぬ出来事」から「心のケア」の必要性→「うけいれ隊会議」で即シェア
もともと震災後の「子どもの心のケア」の重要性を考えていた方々がうけいれ隊に参加し
ていたこともあり、今後何ができるかを考えていくことを確認。
また、震災後NHKのドキュメンタリー番組で、被災地の精神科医が、「半年、遅くとも一年以
内に子どもの心を解き放す場を作ることがとても重要」と言っているのを聞いたこともずっ
と心に残る。しかし、具体的には何をしたらいいのかわからず、とにかく避難者さんのため
に汗を流すことを続けた(避難者さんとの出会いのみならず、物資を提供してくれる一般市
民の皆さんとのコミュニケーションは自分にとってかけがえのないものとなった)。
○12月22日 うけいれ隊忘年会からの帰り道ー
当時のうけいれ隊隊長や事務局長から、子どものための活動に活用できる助成金があるので、
「子どもの心のケアの場の立ち上げのために申請しないか?」と持ちかけられた。「子どもの
心のケア」の場を立ち上げたいと以前から思っていたメンバーは他にもいたが、本業等で多
忙なこともあり、比較的時間のありそうな(?)私に白羽の矢が立てられた…?
私にできるならと、他のうけいれ隊メンバーにも声をかけ、「子どもの心のケアチーム」を立
ち上げ、助成金を申請した。助成金は通らなかったが、子どもたちへのケアをどうしていっ
たらいいかメンバーで具体化でき、名称も決まった(うけいれ隊キッズハウス)。また、各方
面への協力要請をし、新聞紙上でも大きく紹介されることによって、いろいろな人たちとつ
ながることができた。
○「ようこそあそびば」を2012年度4回開催
おもちゃコンサルタントマスターの方とうけいれ隊の共催
避難者さんと一般市民の子どもたちのいっしょの遊びの場作り
~「遊びの効用?」とさまざまな遊びの手法の確認→グリーフサポートの場作りへの布石
●キッズハウス稼働へ向けてー「心のケア」から「グリーフサポート」へ
「子どもの心のケア」の場を立ち上げるにあたっての私の役割は、連絡・調整などの後方支援であり、実際に子どもに接するのは臨床心理士をはじめとした専門家の方々だと思っていた。
でも、キッズハウス立ち上げのことを新聞で知って協力を申し出てくれた臨床心理士の方から、「一緒にやっていくんです」と言われ、「?」・・・。その方は「ダギーセンター」に研修に行ったことのある方だった。
※ダギーセンター:全米遺児遺族のためのグリーフサポートセンター(ポートランド)
※レインボーハウス:阪神淡路大震災後、遺児支援のためにダギーセンターをモデルに神戸に
作られた施設。あしなが育英会の運営。その後仙台、陸前高田、石巻にも建設された。
◎2012年9月からの急展開~2013年2月第1回キッズハウス開催
9月27日(金)ダギーセンター元スタッフの方の話を聞く会を開催 (うけいれ隊主催)
ー自分たちで(うけいれ隊のできるやり方で)やればいいとの助言→「できるかも」…
10月28日(日)キッズハウス立ち上げ準備講演会開催ー喪失の痛みー (うけいれ隊主催)
語りがたい思い、分かち合いたい思い~東日本大震災で避難してきたすべての人へ~
講師:西田正弘氏(子どもグリーフサポートステーション代表、
元あしながレインボーハウスチーフディレクター)
※「グリーフ」のこと、「グリーフサポート」のことを具体的に知る
「グリーフ」:死別など大切なものをなくしたことによる深い悲しみ・悲嘆・苦悩・嘆き・愛惜
「グリーフサポート」:身近な人と死別して悲嘆に暮れる人が、その悲しみから日常に戻れるようそばにいて支援すること。励ましたりするのではなく、相手に寄り添う支援。経済的社会的支援等も含む。
→うけいれ隊はソーシャルサポートであり、「グリーフサポート」と通じていたことを確認。
「家、仕事、物資」等が回復したら…「心」の大部分も回復へー
○子どもと大人を支えるボランティア=ファシリテーター(facilitate-make it easy)
=手助けする人
・遊びやすいように・話しやすいように・したくないことは「パス」と言えるように
・子どもや大人が自分のペースを大事にできるように・しかし「場のルール」は守るように
“全力で何もしない” “「共感」よりも、「話をしやすいように聞く」こと”
★むくどりホームとの出会い:札幌市南区藤野
「障がいのある人もない人も、赤ちゃんからお年寄りまで、だれもが気軽に立ちよることのできる友だち作りの家」。週3回月火土オープン。
キッズハウスを開催するにあたって、定期的に開くことのできる場所が必要だった。西田さんを紹介してくださった臨床心理士のKさんが当時ボランティアで通っていたむくどりホームが、ダギーセンターに近い感じがするけどどうでしょう?と提案。私も以前むくどりホームを訪れており、「火山の部屋」「絵本の部屋」等に近い部屋があり、また子どもの遊びグッズ等も常備されていることを思い出し、賛同。代表の柴川さんに月に1度日曜日キッズハウスの場所として使わせてもらえませんかと伝えたところー「もちろんいいですよ」と即答。柴川さんも震災被害に遭った方に何かできればと思っていたし、実際に数名の避難者さん母子がむくどりホームを利用しにいらしているとのことだった。市中心部から離れているのはデメリットかもしれないが、周りは自然に囲まれており、訪れた方の気分転換になるのはメリット。また「施設」ではなく一般家庭を開放した建物なのでリラックスできる。活動内容も「グリーフサポート」に近いものがある。
11月8(木)9(金)ダギーセンター代表・ドナさんの研修会参加(東京)
「ダギーセンターはモデルのないところから試行錯誤をくり返し約20年、そのやり方は確立したが、他の場所に同じやり方を強要することはない。ここで学んでその場に合っているやり方でやればいい」
「このグリーフサポートの考え方や人との対応の仕方が広く一般化すれば・・」の思いを
ドナさんに質問ー「全くその通りですね」の答え
12月8(土)9(日)大切な人やものを亡くした人のグリーフをサポートする
ファシリテーター養成講座 in 札幌 (うけいれ隊主催)
うけいれ隊メンバーを中心に、むすびば、むくどりホームスタッフ、一般参加者計30名
この日のためのテキストを作って下さっていたが、グループワーク中心に自分自身を振り返る作業が主体だった。
☆衝撃的なワークに出会う
深いグリーフを抱えている他者に対してできることがあるのか・・何もできない現実に直面
しかしそこが出発点であり自覚すべきこと…その上で何をすればいいのか
ー謙虚にプログラムに学び実践すること
=プログラムに学ぼうとする者であれば誰でもファシリテーターになることができる。
臨床心理士等「専門家」であってもグリーフサポートのファシリテーターとしては同列。
※「専門家」が必要ないわけではない。グリーフサポートの場では手に負えない、臨床心理
士・精神科医等に診てもらう必要のある子どもを見極めつなげる役割も必要。そのために
そのような個人、団体との連携が必須。
※しかし…ワークによる負担が大きく、講座に参加してもその後ファシリテーターとして参
加しない方もいる。逆に言うと、そのような「選別」も必要。「自分の問題」を抱えたまま
ではファシリテーターの役割を果たせない。
→二日間計10時間の講座なのでハードルは高いが、グリーフサポートの場に関わるためには「ファシリテーター養成講座」への参加が必須。
※講座で学んだことを即活かしていくため、そしてこの場を必要としている避難者さんに一刻でも早く活用してもらうため、2012年12月のファシリテーター養成講座修了後、翌年2月からキッズハウスを稼働することをキッズハウスコアスタッフで決めて準備を進める。
※広報は「北海道NPO被災者支援ネット」発行「生活支援ほっとニュース」への情報掲載およびチラシ同封。震災避難して来た方々への情報誌で、区役所で登録し希望されるご家庭に送付されるので、避難者さん家庭の8割~9割をカバー。今年度からは避難者の自助団体である「みちのく会」のメーリングリスト他でも広報していただくことに。
※参加希望の皆さんのスケジュールを立てやすく、また、スタッフのみなさんも予定しておきやすいように、実施日を第1日曜日に固定。
☆これまでの実施内容
2013年2月3日(日)第1回キッズハウス(むくどりホーム)
子どもグリーフサポートステーションの西田正弘さん、つくば国際大学医療保健学部教授
の高橋聡美さんがサポートに入り、それぞれ子ども担当ディレクター、親担当リーダーを
していただく。この日のための「プログラムの手引き」も用意していただく。
参加者:子ども6名 親5名 スタッフ14名
3月3日(日)第2回キッズハウス 参加者:子ども5名 親3名 スタッフ10名
西田さん、高橋さんがいない中、札幌スタッフのみで初の実施。
4月7日(日)第3回キッズハウス 参加者:子ども3名 親1名 スタッフ9名
5月5日(日)第4回キッズハウス 参加者:子ども10名 親4名 スタッフ8名
6月2日(日)第5回キッズハウス 参加者:子ども3名 親1名 スタッフ7名
7月7日(日)第6回キッズハウス 参加者:子ども4名 親2名 スタッフ7名
※7月14、15日 第2回ファシリテーター養成講座開催 参加者:19名
8月4日(日)第7回キッズハウス 参加者:子ども2名 親1名 スタッフ6名
9月1日(日)第8回キッズハウス 参加者:子ども3名 親2名 スタッフ7名
10月6日(日) 参加者:子ども0名 親0名 スタッフ11名
参加者がいないため、「ノロウイルス対策研修」実施。
講師はスタッフの元保育士と子ども託児NPO主催者。
11月3日(日)第9回キッズハウス 参加者:子ども1名 親0名 スタッフ10名
小学校高学年から中高生が1人でも参加しやすいように、場所を市民活動プラザ星園に変え、
ボードゲーム中心に実施。
12月1日(日)第10回キッズハウス 参加者:子ども1名 親0名 スタッフ5名
2014年
1月5日(日)第11回キッズハウス 参加者:子ども1名 親0名 スタッフ9名(星園)
2月2日(日)第12回キッズハウス 参加者:子ども1名 親0名 スタッフ6名(星園)
3月2日(日)第13回キッズハウス 参加者:子ども3名 親1名 スタッフ6名
4月6日(日) 参加者:子ども0名 親名 スタッフ10名
参加者がいないため、3月に仙台で行われた「グリーフサポート全国集会&研修」に参加し
たスタッフの話と、これまでのキッズハウスを振り返り今後のことを考える会をしました。
参加者が少なくても今後1年は継続し、来年3月にまた今後のことを考えることにしました。
チラシもできるだけわかりやすく手直しし続けること、お子さんだけでも参加できるよう地下鉄 駅への送迎をすること、お母さまは外出してリフレッシュしてもらうひとときにできること、小 学校高学年~中高生に参加してもらいやすいように2ヵ月に一度、地下鉄中島公園駅近くの市民 活動プラザ星園で実施することを決める。
5月4日(日)第14回キッズハウス 参加者:子ども4名 親1名 スタッフ8名
道新記者さんがスタッフとして入り、後にキッズハウスのことを紙上で紹介。
6月1日(日)参加申込みがなかったため「お休み」としました。
スタッフが固定化されてきていることもあり、スタッフの負担を減らすためです。
7月6日(日)第15回キッズハウス 参加者:子ども1名 親0名 スタッフ6名
8月3日(日)第16回キッズハウス予定
現時点での参加申込み:子ども3名 親1名 スタッフ連絡調整中
※参加者集計(のべ数):子ども48名、親21名、スタッフ139名
●今後の課題としてー
1、 この場を必要としているであろう方々への周知
2、 「グリーフサポート」の考え方の周知~「曖昧な喪失」
被災地では震災から3年が経ち、子どもたちへのグリーフサポートは今後ますます必要
であることを認識し、自治体で実施しているところもある。
被災避難者さんへの「グリーフサポート」実施は全国で他に例がない。
「グリーフサポート」の概念が一般にまだまだ浸透していない。試行錯誤しながらこの
場に合ったやり方を確立していく必要性。
3、 スキルアップとスタッフ(ファシリテーター)が継続していけるような配慮
…スタッフが7~8名に固定化されてきている。仙台の子どもグリーフサポートステーショ
ンではファシリテーター登録・待機者が30名以上?いて、スタッフ参加は3~4ヵ月に
一度の方も少なくない。また、学生等若いファシリテーターも多い(札幌は…?)。
※2015年3月の時点でスタッフミーティングを行い、今後の継続の可否を決める。
小さな子どもも思春期にさしかかり成長していく過程でさまざまな悩みが出てくるはずなので、参加者は少なくても継続する必要性がある、との声と、避難者さんのニーズに合致しているのか?の声・・・。
ー以上。