たかが「漢字テスト」、されど「漢字テスト」というお話です。
たとえば100点満点の漢字テストでいつも80点を取っている子がいたとします。
こういう子はおそらく数学(算数)の計算テストでもだいたい80点くらい取るはずです。
理科や社会、さらには英語のテストでも、やっぱり80点前後の点数を取るものなのです。
一方、100点満点の漢字テストでいつも50点くらいしか取れない子がいたとします。
こういう子は他教科でも50点前後しか取れないケースが多いのです。
なぜか???
それは、早い話が「そういう勉強のしかただから」ということになります。
漢字テストで毎回80点を取るような子は、全範囲の80%程度覚えきるような勉強のしかたをしているのです。
もちろん、それに見合った時間もかけているわけですよね。
しかし、毎回50点しか取れない子は、結局のところ半分程度しか定着しないような勉強法になっているわけです。
たとえば「教科書を見るだけで、書いて覚える練習をしない」とか……。
当然ながら、時間もそれほどかけていないことになるでしょうね。
いわゆる「ゆとり教育」が終わり、たとえば中学生の教科書も内容が変わることになりました。
理科の教科書は「ゆとり世代」の1.8倍に、数学の教科書は「ゆとり世代」の1.3倍になります。
漢字テストで高得点をあげるような勉強をしている子は、おそらく分量が増えてもついていけるはずです。
問題は、そうではない勉強法しかしていない子です。
今からでも遅くありません。
毎日きちんと勉強する時間をとり、しっかり覚えられる勉強法を身につけましょう。
保護者の方も、この点はきっちりご注意ください。
小さなことが最終的には大きな差になるものです。
おはようございます。
やはり最初は大きな声で元気にあいさつ。
職場でも地域でも学校でも、いちばん大切なことだと思います。
この、いちばん最初の行動が1日を決めます。
最初が明るく元気であれば、その日一日、明るく元気に過ごせます。
これは勉強でも同じです。
とにかく最初の行動が肝心。
たとえば日曜日。
せっかくの休日だからと9時・10時まで寝てしまう。
おもむろに起きてパジャマのままテレビをつけて何となく朝食。
あっというまに昼過ぎ。
急に「勉強しなきゃ」という気持ちがおきるものの、「夕方からでいいや」「夜でいいや」とどんどん予定はずれ込み、結局何もせずに1日が終了・・・。
などという経験はだれにもあるはずです。
休日だからといって遅くまで寝ていても、特別に疲れが取れたり、特別にいいことがあったりするわけではありません。
休日の最大のメリットは自分で時間を使えること。
だとすれば、普通に起きてサッと着替えて朝食を済ませ、まず何かをやってしまうべきです。
そう、勉強です。
早い行動でまず「机に向かってしまう」ことが重要です。
1時間でも30分でもいいのです。
とりあえず「机に向かってしまう」ことで、その日は「机に向かう日」としてスタートしたことになります。
この流れができれば、たとえば午前中3時間、まとまった勉強をすることも可能です。
まとまった時間をとらなくても、何となくチョコチョコと机に向いながら1日が流れていくはずです。
勉強するために必要なことはまず「机に向かってしまう」こと。
これは平日でも同じです。
学校から帰ってきて最初に何をしているでしょうか。
「疲れた」ことを理由にとりあえずテレビをつけてソファーに横たわり、おやつを食べながらボーっとして・・・気がついたら夕食の時間。
夕食が終わったら食休みでまたひとやすみ。
そうこうしているうちに見たかったテレビ番組が始まり・・・。
学校から帰ってきたときに疲れているのは当然です。
しかし、帰宅後まず「机に向かってしまう」だけならできるはずです。
まず机に向かってしまえば多少は勉強がはかどるはず。
はかどれば余裕がもてるはず。
夕食後もすぐに机に向かえるはず。
見たいテレビ番組が終わったらすぐ机に向かえるはず。
帰宅後の最初の行動が肝心です。
テレビは悪くありません。
パソコンもケータイも悪くありません。
悪いのは自分自身の「最初の行動」。
帰ってすぐにテレビをつけた日は、何となくテレビで一日が終わってしまっているはず。
帰ってすぐに寝転んでしまった日は、何となくゴロゴロして一日が終わってしまっているはず。
帰ってすぐに友達とメールした日は、何となくメールに気を取られて一日が終わってしまっているはず。
「勉強できる」-「勉強できない」の差はほんの小さなことです。
大学受験生の1日当たりの学校外学習時間は平日で4時間以上、休日で6時間以上です。
4時間の勉強も6時間の勉強も、スタートは「机に向かってしまう」ことですよ。
だから帰宅後、だから休日の朝、とにかくまずは「机に向かってしまう」ことをオススメします。
国公立大学の前期試験が終わり、大学受験も大きな山を越えた感じです。
一方、各私立大学で後期試験や3月入試が行われ、国公立大学は後期試験が残っていて、大学入試は3月中旬まで続きます。
高2は残された時間があと1年。
目標を立てて具体的な努力を始めている人もいるでしょう。
「いろいろ迷っちゃう。」「よくわかんないよ。」という人もいるでしょう。
初めての大学受験。
急に「学部・学科を選べ。」と言われても困ってしまいます。
最近のいわゆる「進路指導」の傾向として、まず職業を決め、そこから逆算して学部を選び、成績に応じて大学を選ぶという流れがあります。
しかし、この「職業を決める」という段階は非常に難しいのです。
だから私の場合、この流れはあまり重視していません。
当然ですよね。
高校生は社会経験がないし、お金を稼ぐということがどういうことなのかもよくわからないはず。
それぞれの職業の実情だってわからないはずです。
「職場体験」といっても、特別に用意された場でお手伝いしたり見学したりで終わり。
これでは本当の仕事なんて理解できません。
取得できる資格から学部学科を選ぶのもなるほど一つの手です。
ただ、資格を取ったからといって必ずしも仕事があるとは限りません。
いま人気を集めている資格でも、4年後には飽和状態になっているかも。
こういうときは単純に考えてみましょう。
進学後に同じ努力をするなら、やはり伝統ある大学・有名な大学に進学したほうが就職にしても何にしても有利なのは事実です。
ある調べによると、大学入学時の選抜度の高低と卒業後の就職状況との相関関係は、20年前の3倍くらいになっているのだとか。
つまり、有名大学に入ればそれだけ就職先が良くなるという状況が、じつは昔に比べてかなり強まっているということです。
ならば、学部や学科で多少妥協しても、いわゆる有名大学に入る方がいいじゃないかという考え方もアリです。
モノは考えようです。
必ずしも「職業」「学部・学科」が決まっている必要はありません。
というわけで、そんなお得な大学(学部・学科)を時々紹介していきたいと思います。
目標は高く! 思い立ったら即勉強!
日本人を語るうえでよく出てくるのが「勤勉性=(一生懸命やること)」です。
たとえば400年以上昔、日本にやってきたポルトガル人宣教師たちは口々に日本人の勤勉性をたたえています。
織田信長が京都に将軍の居館を建設したとき、「これだけの宮殿をつくるには、ヨーロッパではどれだけの金と時間がかかるかわからない。ところが日本では、米さえやればいくらでも人が集まってくる。」と言った人がいるそうです。
ルイス・フロイスは「これだけの工事なら四、五年はかかる」と思ったそうですが、実際には2ヶ月程度で完成しまったので非常に驚いたそうです。
ちょっと時代を遡りすぎたかもしれませんが、その後も「勤勉性」は日本を支え、戦争で壊滅状態になりながらも奇跡的な復興を果たし、高度経済成長を経て現在に至っています。
今、多くの問題を抱えながらもまだ水準以上の生活を送っていられるのは、このような先人たちの「勤勉性」による部分が大きいでしょう。
一方で「勤勉性」は「働きすぎ」と紙一重で、批判される場合もあります。
確かに「働きすぎ」はよくないことです。
が、長い人生、わずか1年くらいなら「働きすぎ」るくらいに勉強してもいいのではないでしょうか。
日本人は昔から「勤勉性」で世界に認められてきました。
その「勤勉」な遺伝子は皆さんにも必ず受け継がれているはずです。
あなたも自分が持っている「勤勉性」を磨きましょう。
今日は中央大学(文)、学習院大学(法)、明治大学(経営)、青山学院大学(理工)などで入試が行われました。
明日、2月11日は立教大学(文)、中央大学(法)、明治大学(政治経済)、青山学院大学(理工)、法政大学(理工・デザイン・生命科学)などで入試が予定されています。
このところ毎日、いわゆるG-MARCHの入試が続いています。
そういうわけで今日は、G-MARCHクラスの入試問題(国語<古文>)を紹介してみましょう。
G-MARCHの入試問題は読みやすく、良問が多いと思います。
たとえば、鴨長明『発心集』から、同じ文章が【2005年青山学院大学経済学部】【2007年明治大学文学部】【2012年立教大学全学部入試】で使われています。
さらに言うと、【2007年千葉大学教育学部】でも同じ文章が使われていました。
「もしかしたら……」という期待もあるので、その文章を以下に挙げます。
よかったら読んでみてください。
八幡別当頼清が遠流にて、永秀法師といふ者ありけり。家貧しくて、心すけりける。夜昼、笛を吹くよりほかのことなし。かしかましさにたへぬ隣り家、やうやう立ち去りて、後には人もなくなりにけれど、さらにいたまず。さこそ貧しけれど、おちぶれたる振る舞ひなどはせざりければ、さすがに人いやしむべきことなし。
頼清聞き、あはれみて使ひやりて、「などかは何事ものたまはせぬ。かやうに侍れば、さらぬ人だに、ことにふれてさのみこそ申し承ることにて侍れ。うとく思すべからず。便りあらんことは、はばからずのたまはせよ。」と言はせたりければ、「返す返す、かしこまり侍り。年ごろも申さばやと思ひながら、身のあやしさに、かつは恐れ、かつははばかりてまかり過ぎ侍るなり。深く望み申すべきこと侍り。すみやかに参りて申し侍るべし。」と言ふ。
「何事にか。よしなき情けをかけて、うるさき事やいひかけられん。」と思へど、「かの身のほどには、いかばかりの事かあらん。」と思ひあなづりて過ぐすほどに、ある片夕暮れに出で来たれり。すなはち出で会ひて、「何事に。」など言ふ。「あさからぬ所望侍るを、思ひ給へてまかり過ぎ侍りしほどに、一日の仰せを喜びて、左右なく参りて侍る。」と言ふ。「疑ひなく、所知など望むべきなめり。」と思ひて、これを尋ぬれば、「筑紫に御領多く侍れば、漢竹の笛の、事よろしく侍らん、一つ召して給はらん。これ、身にとりてきはまれる望みにて侍れど、あやしの身には得がたき物にて、年ごろ、えまうけ侍らず」と言ふ。
思ひのほかに、いとあはれにおぼえて、「いといとやすきことにこそ。すみやかに尋ねて、奉るべし。そのほか、御用ならんことは侍らずや。月日を送り給ふらんことも心にくからずこそ侍るに、さやうのことも、などかは承らざらん。」と言へば、「御志はかしこまり侍り。されど、それは事欠け侍らず。二、三月に、かく帷一つまうけつれば、十月までは、さらに望むところなし。また、朝夕の事は、おのづからあるにまかせつつ、とてもかくても過ぎ侍り。」と言ふ。
「げに、すきものにこそ。」と、あはれにありがたく覚えて、笛いそぎ尋ねつつ送りけり。また、さこそ言へど、月ごとの用意など、まめやかなることども、あはれみ沙汰しければ、それがあるかぎりは、八幡の楽人呼び集めて、これに酒まうけて、日暮らし楽をす。失すればまた、ただ一人笛吹きて明かし暮らしける。後には、笛の功つもりて、並びなき上手になりけり。
かやうならむ心は、何につけてかは深き罪も侍らむ。
㊟八幡別当頼清⇒石清水八幡宮の高僧。事務を取り仕切った。
遠流(えんる)⇒遠い親戚。
心すけりける⇒風流を好んでいた。
いたまず⇒気にかけない。
さらぬ人⇒そうでない人=親戚でない人。
左右なく(そうなく)⇒迷わず。
所知⇒領地。
漢竹(かんちく)⇒中国産の竹。笛に用いたらしい。
心にくからず⇒豊かそうでない。
帷(かたびら)⇒裏地をつけない着物
楽人(がくにん)⇒音楽を演奏する人。
もし必要があれば、後日、全訳など掲載してみようか思います。![]()