先日
「乗り越えられる困難しか来ない」
 
 
ということについて
 
 
ぱっと視界が開ける感覚があったのでシェアします。
 
 
あ、そういうことか!!と、私にはかなりの納得でした。
 
あくまで私の解釈なので
採用するかしないかはあなた次第です^^
 

よく自己啓発書や、人生論の本などで
 
「乗り越えられる困難しか来ない」
 
「困難な状況が来たときは、一つ上のステージに上がるお試し」
 
「困難な状況があなたを成長させる」
 
「答えのない問題はない」
 
「どんな問題にも一つは答えがある」

というようなことが書いてあります。
 
 

この言葉たちに最初に出会ったときは

ふーん、そんなものなのかな?
 
ステージ??ステージって??
 
成長って、なんかこじつけっぽい、、、
 
大体、乗り越えるっていうけど、解決できるってことなのか??
 
どうしようもない状態に対して
無理やり自分を納得させるような言い訳を作って
自分が傷つかないようにしているだけじゃない?
 
などなど

懐疑的な態度をとっていました。
 
 
 
でも、この2年間ほど
自分を見つめることを続けていく中で

この言葉たちのとらえ方が変わりました。
 
過去の私の経験と照らし合わせ

そして、2年間で経験してきたことも合わせると

とても納得できるものでした。
 

ああ、あの時のこのトラブルや
 
あの事件も
 
今の私が成長することに繋がっていたんだな~
 
人生って無駄なものはないんだな~

そう解釈することで自分の人生は豊かになっていくんだな~

と、実感していたのです。
 
 
 
でも先日
ある方のブログ記事を読んでいて
上記のように、同じ文言が書いてありました。
 
 
その記事を読み進めているうちに
あれ??
これって、
とってもシンプルなものなんじゃないかな?!

頭の中のスイッチが切り替わったかのような感覚を得ました。
 
私の頭の中で何かが統合されたのです。
 
 

「乗り越えられる困難しか来ない」

って、
 
そうじゃない!!

そうじゃなくて
 
困難を乗り越えるから、乗り越えた先には成長した自分がいるのではない!

ものすごく当たり前のこと言ってるだけなんだ~~!!

と、思ったのです。
 
結論から言うと
当たり前の事実を言葉を変えていっているだけだということ
 
ただ、何かしらの出来事があり
それを経験する
その最中にあーだこーだ考え
これはどうかあれはどうかと試行錯誤しながら行動し
その結果、物事が解決したかどうかはさておき
その出来事は過ぎ去っていくという感覚
 
その経験の後には何かしらの変化が必ずあるもの
いい変化、悪い変化と、評価しているのは自分、または他人
 
 

乗り越えられる困難しか来ない
 
というのは

視点が現在から未来に向いている表現
 
でも未来から現在、過去の視点にすると
ごく当たり前のことと思えてくる
 

困難とはただの出来事
 
その出来事が過ぎ去った後の変化を
 
成長と呼んでいる
 
 
だって、
人間は経験を積み重ねることによって
変化していくのだから
 

成長しない人間はいない
 

成長していないように見えても
人によっては後退しているように感じても
それは感じる人に基準次第であって

ジャッジすることをやめて考えたときに

ただ、ある出来事があって
 
 
それを経験した人間がいて
 
 
その人間の経験が増えた
 
 
そしてその出来事を経験した前後で
 
 
その人間に何かしらの変化が起こる
 
 
変化しない人間はいない

だって、経験、という
新たな要素が
その人の中に加わったのだから
 
 
例えば
A+B=C
となるように。
 
A+B≠A
であるように。
 
 

数学って真理をあらわしているな~と感心(笑)
 

事実を羅列すると

ただそれだけのこと

「乗り越えられる困難しか来ない」

は、すなわち
困難と判断するのは自分、または他人
乗り越えたと判断するのは自分、または他人であって

すべて人間の判断
 

これを

視点を変えてみてみると
ただ起こった事実のみを眺めてみると

ある出来事が過ぎ去ったあとに
ある人に変化が起こった
というだけのこと
ごく当たり前のこと
 
「困難な状況が来たときは、一つ上のステージに上がるお試し」

これも
困難、一つ上のステージ、お試し
って解釈するのは人であって

自然の流れ
 
宇宙の流れ
 
生命の流れ
 
という大きな視点から見ると
 
 
 
 
ある出来事が起こっているというだけのこと
 
成長することは良いこと、
成長しないことは悪いこと

みたいなジャッジがあるけれど
 

この世界の中で
変化しないものは一つとしてないのだから

その変化を成長と呼ぶのか、成長ではなく悪化と呼ぶのか
決めているのは人なんだよね。

成長することが何か
特別なものとしてとらえられている気がして
 
そしてそれはいいこと
 
 
成長しないのは良くないこと
 
みたいな風潮があって
 
なんとなく違和感があったけれど
 
 

そして
人生のステージ
魂のレベルという表現も
なんとなく違和感があったけれど

その原因も、
ある本を読んで解決!!
これはまた別の機会に書きます。
 
 

成長する
という言葉一つとってみても
人それぞれ
持つイメージが違う

その人の宇宙の中の成長という言葉の意味と
私の宇宙の中の成長という言葉の意味は
一部かぶっているけれど完全には一致しない
これはどんなことにも言えることで会って
一人一宇宙の考え方は
とってもしっくりきます。

もちろん成長するってことは素晴らしいことだと思ってます。
 
 
 
ただ生命のプログラムには成長するということは
ごく必然的なこととして組み込まれています。
そのようにできているのだということなのです。

「困難な状況があなたを成長させる」
これも同じように
ある出来事が過ぎ去った後にあなたは変化した
ということを
人の翻訳機を通すとこういう表現になるという感じ。

「答えのない問題はない」
「どんな問題にも一つは答えがある」

これはある問題が起きたときに、自分が選んだ選択肢を
答え、と呼べば

真実となる。
こじつけ的な意味合いではなくて
自分で選択できるということ
クリエイトできるということです。
 
 
結局なにがいいたいのかというと

いつもこの結論になりますが

結局は自分次第で
物事のとらえ方はどうにでもなる
ならば
自分にとって好ましいものを選んでいきたい
 
それが自分の人生を自分で創造するということ
デザインするということ
 
自分の宇宙を創っていくのは自分だということ
 
冒頭にあげた言葉たちによって
勇気づけられたり
前に進む意欲が湧いたり
希望を持てたりするならば

その言葉を大切に
共に歩んでいけばいいと思う
重荷になるなら採用しなければいいと思う

それも自分の選択

あ、あと

乗り越えるというのは
決していい形での解決でなくてもよくて
グダグダの展開でもなんでもよくて
それは流れなのだということ

その変化の後の自分を成長した自分と呼ぶかどうか
それも自分の選択なんです
 
ただ事実だけを見つめると
自分の人生で起こるすべてのことは
必然だということも

必然と捉えるのは自分

大きな視点で見れば
ごく自然で当たり前のことなのかもしれない

晴天の日もあれば雨の日もある
風の日もあれば曇りの日もある
雪の日もある
日々天気が変わるように
一日の中でも刻々と天気が変わるように

すべてはとどまることなく
流れている
私たちの人生も自然の流れの中にいて
一秒たりともとどまることなく流れている

その大きな流れの視点から
日々の出来事を見てみると
私は
どっしりとした安心感を得ます。

私は何者でもない
けれど唯一の存在である
 
自然の一部であり
自分の宇宙の創造者でもある

この両者のバランスをうまくとりながら
生きていきたいなって思いました^^