1991年の東西統一直後から、Wartburgと対にして折々に訪れて来ましたが、今回は約3年振りでした。収集保存されている鍵盤古楽器の解説・デモ演奏も、短い時間ながら毎回楽しめます。1990年代は謹厳実直で風貌がどことなくPeter Cushing風の方が担当していましたが、その後は今の方に替わっています。雰囲気は異なっていても、訪問者が当時の音楽やBachについてより理解できるようにとのご両人の気組みは同じです。展示資料とヘッドフォンによる解説も一層充実してきています。以前からあったようですが今回気付いて面白いと思ったのは、私自身もテナーパートでの経験がある”Nun komm der Heidenheiland(いざ来ませ、異邦人の救い主よ 、BWV 61)”のイントロ部分の聴き比べでした。「Bach音楽の演奏に”こうあらねばならぬ”という奏法はない」との解説の左方にオーディオ装置があります。並ぶ演奏家は左から①Karl Richter、②Helmut Rilling、③Hans-Joachim Rotzsch、次にドイツ外演奏として④Nikolaus HarnoncourtやらTon Koopman・・・最後に我が国の鈴木雅明氏も入っています。聴いてゆくと、①厳粛→②丁寧ゆっくり→③実直的躍動・・・ときて、④”あのNikolaus Harnoncourt”では「非ドイツ的がどうのこうの」といったレベルの話ではない、「異次元」に突入致します。私は思わず、「これマジ~???」と吹き出し、音楽家の家人は「ギャー、やっぱり」と悲鳴を上げました。何しろ、楽曲と歌詞内容の合一調和などすっ飛んでいて、リズムの運びやら西洋式コブシの効かせ方が、「空手の拳突き練習のBGMとしてピッタリくる代物」だったからです。