人の命が地球より重いとは思わない。
人の命はお金で買える。でなければ医療は成り立たない。
命をつなげるために病院に行き、医師による診察、看護師による看護、薬剤投与、場合によっては手術といった医療サービスの対価として金銭を支払う行為はお金で命をつないでいる行為に他ならない。
人に値段はつけられないとは思わない。
皆、その人の能力、産み出すであろう利益、資格やそれに伴う権限を総合的に顧みて、賃金を貰ってそれを日々の糧としている。
能力や資格に応じて賃金に差が出るのは当たり前のことである。そしてそれはその人の値段に他ならない。
さて人身売買は悪だろうか?児童買春は悪であろうか?臓器売買は悪だろうか?
職業選択の自由があるだけで、現在も平然と人身売買は行われている。なにかしらのところから賃金を享受していない人間などいない。つまり人々はそれを意識せずとも、自分につけられた値段を貰って生活している。
売春は最も古い職業であると言われる。女性の身体はそれだけで値段がつけられ続けてきた。
現在の世の中にも身体を売らなければ生活できない人間はいる。単純に知能指数を比較してみても、IQが平均以下の人間のなんとも多いことか!とてもではないが、単純作業さえこなせない人間がこの世の中にはあふれている。自分の能力を基準として考えてはいけない。自分は普通だと思っていても、実は普通ではない人間はたくさんいる。
子供だから許されない?確かに幼少期の性的体験が成人してからの人格形成に悪影響を及ぼすことはいわれている。しかしそれはあくまで先進国、豊かな国での言い分である。豊かな国に生まれ、その国の水準でものを語るのであれば、確かにその国の水準として妥当な生育環境が整えられて然るべきである。しかし、豊かではない国の人間は?その親は?その子供らは?自分の子供に身体を売らせなければ生きていけない人間も確かに存在するのである。その人たちが自らの命を食いつなぐために自分の子供を商品として売ったとして誰が責められようか?
最も原始的な話をしよう。私たち人間はいわずと知れたこの地球という惑星で、自然界の食物連鎖の頂点に立つ存在である。このことはつまり我々は日々何かしらの命を奪って、自らの命を食いつないでいるのである。それを我々は忘れてはならない。
自分の命を食いつなぐためにみんな必死で生きている。それは貧富の差、国境、人種、肌の色、どれをとっても変わりはない。命とは利己的なものである。自分の命を食いつなぐので精一杯なのである。
ここにきて豊かさが生まれ余裕が生まれた。それゆえに他者をいたわる道徳心が生まれた。しかしそれはあくまで余裕の産物であり、生命本来の姿ではない。
自らの命を食いつなぐために自分の身体を売る、臓器を売る、子供を売る。そうしなければ生きていけないからそうしている。豊かで余裕のある人間の文脈でこれらの事象を語ってはならない。正しい、正しくないではないのだ。生きるために必要だからやっているのだ。それしか方法がないからそうしているのだ。
ではみんなが豊かで余裕のある環境になればいいのか?果たしてそれは可能なのか?おそらくこの点は数多くの識者をマルクスがいまだに引きつける所以であろう。
しかし私は思う。私よりも明らかに能力の低い人間が、私と同等の賃金をもらえる世の中を私は正しいとは思えない。もちろん私より明らかに能力が高い人間と私が同等の賃金をもらえる世の中であれば、私はこの世の中をありがたいと思うだろう。
私もただ一つの生命。食いつなぐために必死なのだ。