統合失調症になった時、人はどう思うか -5ページ目

ケイちゃんという心の支え

10月12日(土)
今日は、スペシャルオリンピックでボランティアへ入ってきました。
ケイちゃんの方は、何をしていましたか。
ぼくは、1-Cの男の子3人と一緒に、知的障害者の子どもから大人たちが、ゼッケンをつけて力いっぱい走ってきた後、そのゼッケンを外す役目をしました。
他の13人の女の子は、受け付け係・記録係・コーラ配りをしていました。
昼は食堂で、1-Cの女の子3人と一緒に食べました。
それからこの日に、阪神百貨店で買い物をしたけど、人々の雑踏にまぎれて少し疲れたけど、その後に入った大阪ターミナル内の、BeC_Deという喫茶店は、なかなか落ち着いた雰囲気で良かったです。
今、晩飯を食べた後です。タバコを吸いながらのんびりとこの日記を書いています。

○ぼくのこれまでの過去を清算しなければならない。過去のこれまでの関係を全部捨て去らなくてはならない。
価値観が一変したのだ。
新しい世界への見方について言えば、その対応の仕方についてはまだ子どものように未熟だ。子どもが健全な生活の中で、いろいろ学んでいくように、今のぼくの状態は、嫌な思い出を捨て去り、ようやく得られた健全な考え方と生活の中で、未熟な子どものようにたくさんのことを学んでゆかなければならない。そして、健全な考え方と生活のために、どうしてもケイちゃんが必要なのだ。

10月13日(日)
今日もスペシャルオリンピックのボランティアで、昨日と同じゼッケンを外す役目でした。
何というか、精一杯走ってきた人たちに「どうだった?」と笑顔で聞くと、「頑張った」と言いながらメダルを見せてくれたり、ほんの一瞬で、ほんのささいなふれあいだったけれど、貴重な一時でした。
それと、ボランティアもみんなでひとつのことをやった後というのは、これも2日間だけの関係だったけど、やって良かったなあと思いました。
でも、2日連続で疲れたよ。
ケイちゃん、ぼくはケイちゃんからいろいろ学んで行きたい。

○この世では運命というものがある。動かしえぬひとつの大きな力が働いている。そこでは特別と言うことは有り得ない。すべてが決められた方向に基づいて、しかも当たり前に動いている。運命は特別なものではない。すべてが定められた通りに、人々の喜びや悲しみなどの感動の背後で、無表情・無感動な黙々とした営みが永遠に続けられている。人は運命に服従しなければならない。人はそれぞれに与えられた役割の中で、それにふさわしい演技をしているだけにすぎない。

10月17日(木)
手話講習会はつまらなかった、その後の喫茶店交流は楽しかったですねえ。
今まで話したことはない人と楽しく話しができるということは楽しいことです。いろんな話を聞くことができるからね。こういうのを交流と言うのでしょうね。これからもどんどん交流を深めていきたいものです。

突然ですが、そのためには、ぼくにはケイちゃんがどうしても必要なんです。
分かってもらえますか?。
今の自分の気持ちとしては、ケイちゃんという心の支えがあるからこそ、いろんなことにチャレンジしようと思えることができるのです。やっぱり人間には、心を支えているものが必要なのです。
それにしてもケイちゃんのおじさんが障害者だったなんて、初めて聞いてびっくりしてしまいました。

○ぼくは今、いろんなことをしたいと思っている。これまでの人生の貧しい生活という過去を清算する。
ぼくは変わってきた。新しいものをどんどん取り入れたい。時々、なぜここまでしなくてはと思うこともあるけど。
ぼくは、イライラする。少しでもうまくいかないとイライラする。
ぼくは新しい生活をして行きたい。新しい音楽を聴いて、新しい洋服を着て。
でも、それはケイちゃんを失うと、とたんにしぼんでしまうような気がする。だからぼくにとってはケイちゃんは、なくてはならない心の支えなんだ。

11月2日(土) 
病気のため、しばらく手紙をお休みしましたが、落ち着いたので書きます。
25日(金)、久保さんの家に行く前に、天王寺の駅の中でケイちゃんに待ってもらって天王寺のマクドナルドに面接に行く途中、急に咳き込んで、息を大きく吸うと、胸のあたりが苦しい。変だなと思いながら、その後、ケイちゃんと一緒に久保さんの家へ生活史作りの打ち合わせをして、それが終わった頃、どうも悪寒がして体がだるい。もしかしたらもしかしたらで、やっぱり熱がありました。 その日の夜は、37.5Cくらいありました。
次の日(26日、土)ケイちゃんがテニスを終えて、ぼくのところへお見舞いに来てくれたときも、それくらいありました。
27日(日)、久保さんの家で学習会をした日も37度以上ありましたが、なんとかうまくいったので、良かったと思いました。
ケイちゃんを京都まで送って、それからアパートに帰ってから、ケイちゃんに電話した時、37・5度ありました。
28日(付き)の朝になってもそのままの調子で、仕方なく学校を休んで、病院へ行きました。しかし熱は一向に下がらず、29日(火)の夜中には、これまでの最高で39度ありました。寒くてフトンな中でガタガタふるえてました。
それで30日(水)の朝、また病院へ行ってみると、風邪かどうかよく分からないと言われ、レントゲンを撮りました。
31日(木)は、精密検査を受けるため、血液を抜き取られ、5千円払いました。夕方の手話講習会の時も、喫茶交流の時も、ずっと微熱がありました。
ところで、26日(土)と30日(水)と、それから昨日(11月1日、金)、おかゆさんを作ってくれて、どうもありがとう。
今朝も少し熱があります。とにかくこれからまた病院へ行ってきます。