「民話と文学の会」の1986年の会報に、当時から約20年前の怪談として「赤いはんてん」というものが報告されている。ある中学校で、女生徒がトイレで用を足していると、「赤いはんてん着せましょか」と声が聞こえてきた。怖くなった女生徒が後で学校の教師に相談すると、教師も同様の体験をしたと発覚。学校側の依頼により警察の捜査が入り、婦人警官が問題のトイレのに入った。件の声に対して婦警が「着せてみなよ!」とすごむと、次の瞬間には婦警の悲鳴が響いた。他の警官たちが駆けつけると、婦警は血まみれの姿で倒れており、壁に飛び散った血痕が斑点(はんてん)模様になっていた……という話である。この類話として、女子大のトイレで同様の怪異があり、トイレに入った婦警が同様に凄みを利かせると、トイレからナイフを持った手が飛び出して婦警の胸を突き刺した、という話もある。
稲川淳二の怪談にも同様に「赤い半纏」というものがあり、舞台は終戦直後の学校とされ、怪異の起きたトイレでは「あかーい半纏着せましょか♪」と歌が聞こえていたという。稲川が後に明かした裏話によれば、この話の元は、稲川がパーソナリティを務めたラジオ番組の怪談特集に際し、年配の女性リスナーから寄せられた自らの体験談だという。稲川が後に独自に調査してみると、この学校は、戦時中は神風特攻隊隊員の寮として使われていたらしい。終戦後、ここへ特攻隊員の母親が訪れた。トイレへ行ってみると、そこには、出撃直前に隊員たちが記念に書き残した自分の名前がたくさんあった。その中に自分の息子の名を見つけた母親は、その場で自ら命を絶ったという。その母親の怨念が、「赤い半纏」の声の正体ではないかというのが稲川の見解である。
ラジオに寄せられた体験談はハガキで寄せられたものであるため、「あかーい半纏着せましょか♪」のメロディは稲川のオリジナルである,バーキン。しかし稲川による歌声があまりに強烈なインパクトを持っていたためか、後にこの話が広まってテレビでも語られた際、歌の部分は稲川の考えたメロディそのままであったため、たまたまその番組を観ていた稲川を驚かせた。
稲川淳二の怪談にも同様に「赤い半纏」というものがあり、舞台は終戦直後の学校とされ、怪異の起きたトイレでは「あかーい半纏着せましょか♪」と歌が聞こえていたという。稲川が後に明かした裏話によれば、この話の元は、稲川がパーソナリティを務めたラジオ番組の怪談特集に際し、年配の女性リスナーから寄せられた自らの体験談だという。稲川が後に独自に調査してみると、この学校は、戦時中は神風特攻隊隊員の寮として使われていたらしい。終戦後、ここへ特攻隊員の母親が訪れた。トイレへ行ってみると、そこには、出撃直前に隊員たちが記念に書き残した自分の名前がたくさんあった。その中に自分の息子の名を見つけた母親は、その場で自ら命を絶ったという。その母親の怨念が、「赤い半纏」の声の正体ではないかというのが稲川の見解である。
ラジオに寄せられた体験談はハガキで寄せられたものであるため、「あかーい半纏着せましょか♪」のメロディは稲川のオリジナルである,バーキン。しかし稲川による歌声があまりに強烈なインパクトを持っていたためか、後にこの話が広まってテレビでも語られた際、歌の部分は稲川の考えたメロディそのままであったため、たまたまその番組を観ていた稲川を驚かせた。