写真は ダイアデム 幅の広いリボン 女王を象徴する
アレクサンドリアにクレオパトラの墓があるかも、または尊敬しているアルシノエ二世の墓のそばに葬られたのかもしれない。アレクサンドリアは エーゲ海の津波によって水没し、 アレクサンドリアの灯台も海の藻屑と消えたという。幼少期学んだアレクサンドリア図書館は長い時間クレオパトラが過ごした場所だった。エジプトカイロ沖の海底には 女性的
頭部の彫像が沈んでいるのをテレビ世界遺産で見たことがあり、アトランティスの書物もあったかもしれない。世界の国の膨大な資料があり、クレオパトラはここから9カ国後を学び 国としてのあり方や 政治 軍事 処世術を学びながら 女王としての帝王哲学を深めていったのではないかと。女王としての造形美の一端は アルシノエ二世の頭のリボンが 特徴的で プトレマイオス朝最初のファラオの娘であったアルシノエ二世が自らエジプトを政治的 軍事的にも 女王として 率いた行動力を尊敬し、いろいろな困難にも立ち向かったアルシノエ二世に憧れてのクレオパトラの行動であったと想像される。カエサルシーザーと同盟を組み カエサリオンを生み、最後のプトレマイオス朝の女王として生き抜いて自ら 毒物に詳しいクレオパトラは 毒蛇によって息絶えたという。クレオパトラは ギリシャ人でありプトレマイオス王朝最後の女王であった。クレオパトラは卑弥呼のように国々をまとめた。
アレクサンドリア西方のタップオシリスマグナ神殿跡からプトレマイオス朝時代の墓が発見され、クレオパトラを示すイシス神 アントニウスを示すオシリス神の礼拝堂が発見された。この二柱の偉大な神はエジプトの神話に登場する夫婦であることから クレオパトラとアントニウスは埋葬場所として選んだのではないかとのこと。
エーゲ海の津波は アフリカプレート ユーラシアプレート アナトリアプレート アラビアプレートなどの影響を受けトルコ西部沖が震源地となった。エーゲ海プレート(ギリシャプレート) は 地中海東の トルコ西部から ギリシャ南部にかけて存在する。プレートの南端にはクレタ島があり アフリカプレート(ヌビアプレート)が エーゲ海プレートの下に沈んでいる。エーゲ海プレートの北端には;コリンテイアコス湾があり、ユーラシアプレートとの境界になっている。
イスタンブール近くには北アナトリア断層があり 地震の多い環境下にあって 日本と地震の環境が似ている。アレクサンドリアの水没も エーゲ海の地震によるものであり クレオパトラの歴史的遺産も エジプトカイロ沖に眠る。
今回の地震は海溝型地震と見られ 余震によって津波が きているという。