新年明けましておめでとうございます。

いつもSCCRの働きのためにお祈りくださり感謝します。

 

昨年もコロナ過の中で、世界中のさまざまな活動が制限を受け、学校閉鎖や在宅勤務また個人レベルでも外出自粛が要請され、教会もまた集会の自粛や休止を余儀なくされました。ご多分に漏れず、SCCRのリトリートも従来のように会場に集まってリトリートを開催することが出来ず、二年続けてオンラインでのリトリートが持たれました。

 

その経験を通して思わされたことが三つあります。

 

① どんな状況下においても教会は存続し、主の働きは止むことがなく、暫定的であっても、オンラインによる礼拝が持たれ、多岐にわたる方法で教会員同士のコミュニケーションがなされている現実を見るときに、信仰の共同体としての教会は如何なる状況下でも無くなるものではないということ。

② 毎週の礼拝を中心に集まることによって活動を続けてきた教会にとって、改めて「教会とは何か」というエクレーシア(召された者たちの集まり)の本質、また信仰の共同体の本来の在り方を見つめ直す必要があるということ。

 

③ 聖書の終末預言にある「時のしるし」とその兆候が実際に見られるようになった今日、主イエス・キリストを信じる私たちが改めて確認しなければならないことは、主に仕えるとはどういうことかということ。

 

主に仕えるとは、神様のために何かをすることではなく、神様が私たちを通して何かをなさることです。同様に、伝道とは私たちが神様について語ることではなく、神様が私たちを通して語られることです。隣人を愛するとは、私たちを通して神様が隣人を愛されることです。その意味において、私たちは神様の祝福を持ち運ぶ器です。人に水を与えるときには、コップが必要です。入れ物なしで水を与えることはできません。私たちはいわばコップです。水は神様の働きです。神様は入れ物を必要としておられるのです。

 

5000人の給食の話にもあるように、イエス様はわずかなもの、小さなものを用いて、人々の考えも及ばないことをされました。それは、今日も同じです。イエス様は、あなたを通して素晴らしい御業をなそうとしておられます。イエス様は、あなたを祝福の運び手として用いようとしておられます。

 

「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」という声を聞いたイザヤは、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」と言いました。(イザヤ6:8) 

 

あなたはこの主の声を聞いて何と答えられますか?

 

今年も北米のみならず、祖国日本、また欧州、アジア、南米など、世界中の日本語理解者の救いのために主に仕えていきたいと願っています。そのために主はあなたを必要とされています。ぜひ、あなたも主の祝福を持ち運ぶ器になってください。そして、あなたの思われるところを何でも皆さんに分かち合ってください。互いに励まし合いながら主に仕えさせていただきましょう。

 

皆様の祝福をお祈りします。

 

鶴田健次

SCCR主事