蕗採りをしました。皮を剥くのがたいへんで肩が凝りましたが、薄味で煮つけ、季節感のある1品になりました。

今年も大地の恵みを無駄にせずに済んで、ほっとしています。

若い頃は時間貧乏性で、次々と何かしながら、それでもまだ、やり残しがあるような気がして焦ってばかりいた私。一つ一つの出来事を、味わうことを忘れていました。

たくさんの事をこなしたようでも、片付け仕事になってしまうと記憶に残ることは少なく、結局、人生の浪費だったかもしれません。

もっと丁寧に生きよう、と思うこのごろです。

 

 

      

 

      

 

 

ここ10年ほどの間にメジャーな賞を受賞したり、候補になった小説ばかりを、図書館から借りて読んでみた。ちょうど10冊になった。そうしたら、ある大きな傾向に気がついた。

読んだうちの8作品は皆、主要な登場人物の「語り」で出来ていた。

観察・思考・批評・感情・記憶・妄想・空想など、語られる内容は様々なれど、「頭の中身を語る」というスタイルは共通している。現代小説の流行は、どうやら「語り型小説」らしい。これは、音楽の世界で、詩的な歌詞よりもラップ的な歌詞が流行るのと通底しているのかもしれない。

 

読んだものを古い順に並べると、

「ゼロ・ハチ・ゼロ・ナナ」 辻村深月 直木賞候補作

「こちらあみ子」 今村夏子 太宰治賞・三島由紀夫賞

「コンビニ人間」 村田沙耶香 芥川賞

「縫わんばならん」 古川真人 新潮新人賞

「おらおらでひとりいぐも」 若竹千佐子 芥川賞

 (これは、読者に語るのではなく、徹頭徹尾、ひとり言)

「かか」 宇佐美りん 文藝賞

「ひよこ太陽」 田中慎弥 泉鏡花文学賞

「太陽・惑星」 上田岳弘 新潮新人賞・三島由紀夫賞候補

 (これは「語り」と言うより、「饒舌な解説型小説」だった)

 

それぞれに特異なものがあり、細部に亘ってよく書けているし、パワーがあるので、これらの大方について、受賞したことは頷ける。

それでも、「それでも」と私は思ってしまう。こうした「語り型小説」は説得力はあるけれども、だんだん読み疲れ、読み飽きてくる。言葉の洪水に飽食気味になって、心の深部に沁みてくる感じがない。

色々な箇所で「うん、うん」と共感できることがあったはずなのに、読み終えて暫く経つと、記憶に残っているものは乏しい。

 

私の中に波紋の一滴を落としてくれたのは、発達障害であろう主人公の、定型発達者の世界に対する違和感と自己の存在場所を描いた「コンビニ人間」(作者や賞の選者が、主人公を発達障害と認識していたかどうかは疑問だけれども)

そして、もう一つ。偶然にも、発達障害の女の子と周りの人々のリアルな姿を、彼女の視点から淡々と描いた「こちらあみ子」

たぶん、これら2作品は、いちおう「語り」ではあっても、他の6作品とは違って、頭の中にあるものを延々と語る形ではなかったからかと思う。

 

「語り型小説」が多い中で、語らない小説は2作だけだった。

その1は「指の骨」 高橋弘希 新潮新人賞・芥川賞候補

 徹底的な描写に次ぐ描写のリアルで小説世界が構築されている。臨場感がある。小説とは、こういうふうに描くのだと思わされる。

その2は「がらんどう」 大谷朝子 すばる文学賞

 落ち着いた一人称小説。小説空間がしっかりあって、時間の経過ともに話が流れていく。癖のない清潔感のある文体で読みやすく、読んでいて心地よい。語り型が数冊続いた後でこれに出会った時、正直ほっとした。

この2作は、振り返った時にストーリーが思い出せるし、印象的な場面が心に残っている。考えさせられるものもあった。また、読んでいる間に、感じたり考えたりするゆとりもあった。

 

思うに、人の記憶に残るものとは言葉ではなく、言葉によって作られた空間であり、そこにある情感であり、その中で読者自身が疑似体験して得たものではないだろうか。

小説とは長大な詩である、と言う人がいた。私もそう思う。

もとより、どんな形の小説があってもいいとは思う。どんな表現ができるか、みんな、いろいろ冒険すればいいし、どんなものを気に入るかは読者さん次第だろう。

けれど、これだけ読んでみて、語りまくる小説の中に詩はない、ということは分かった。私は、今の流行からは外れるかもしれないが、読者さんが私の小説の中で、そこの空気に浸れるような作品を目指したい。

 

 * やや乱暴な分け方をしている面があります。私見に過ぎません。ご容赦を。

 

      

 

前回の投稿から3か月も経ってしまいました。新作に没頭していたからです。

もうすぐ草稿が仕上がります。没頭していた間はいいのですが、物語の終わりが見えてくると、さて、これをどう世に出せばいいか、ということが頭を過ぎり始めます。厳しい出版状況が思い出されて、気が滅入ってきます。

そんな時、図書館はほんとうに有難いものです。

小説を書いて生活している方や書店を経営している方にとっては、図書館は敵かもしれません。けれど、私のようにメジャーな賞を貰ったことがなく、有名な文芸誌に短編の一つも載せてもらったことのない者にとっては、図書館はまさに「拾う神」です。

「たった一つの抱擁」2007 は 15館が、

「沙羅と明日香の夏」2011 は 57館が、

「青い鳥のロンド」2017 は25館くらいが、

「時鳥たちの宴」2022 は21館が、

拾ってくれました。

最近は寝る前に、愛知県の図書館だけですが、貸し出しされているかを一括蔵書検索で調べるのが、癖になってしまいました。

十年以上前に出した「たった一つの抱擁」と「沙羅と明日香の夏」は、さすがにもう奥の書庫にしまわれたのでしょうね。蔵書されてはいますが、カウンターでリクエストしないと借りられないためか、貸し出しがなくなりました。

でも、「青い鳥のロンド」と「時鳥たちの宴」はまだ、毎日どこかの館で借りられています。

新しく『貸出中』となっていると、どんな方が何を感じて手に取ってくれたのかなあ、と読者さんを想像して嬉しくなり、思わず、「ありがとうございます」と手を合わせてしまいます。

出版or発表の目途もつかないままに書いていると、時に気が沈んでくるのですが、『貸出中』の文字を見ると「読んでくれる人はいる」と思えて、また気力が湧いてきます。幸せな気分で眠れます。

これまでに、図書館からどれだけの読者さんを得られたでしょうか。本は読みたいけれど金銭的な余裕がない、という方も少なくないと思います。

図書館は、作品を読者さんに出会わせてくれる、私のありがたい味方です。

 

      

 

      

一昨日、この地方には珍しく雪が降って、朝にはもう、うっすらと積もっていました。そうなると、私は心がふわふわして、何も手につかなくなってしまいます。

窓の外を眺めては、ただ、(綺麗だなぁ)と見とれるばかりです。

どうせ長くは降らないのだから、書きかけの小説の世界に入ってしまうのも惜しく、手持無沙汰なままに、ネットで自分の既刊書がどうなったか、ポツポツ検索しておりました。

すると、Amazonでは、2冊残っていた本を誰かが一冊購入してくださったようです。残り1冊になっていました。急に胸の中がポッと温かくなり、(買ってくださったのは、どういう方だろう?)と、降り積む雪の中に、その姿を想像してしまいました。

 

そのうちに、ふと、図書館は? と思いつき、愛知県内を調べてみました。

結果、小説「時鳥たちの宴」(緋野晴子著)が所蔵されている館は、以下のとおりでした。

名古屋市立 …… 北、西、東、鶴舞、千種、中村、瑞穂、中川、富田、山田、熱田、徳重。豊橋市立中央、岡崎市立中央、刈谷市中央、安城中央、豊川市中央、新城、蒲郡市立、知立市立。 (計20)

出版からもう2年8か月も経っていますが、そのうち5箇所が貸し出し中でした。

図書館とは、ほんとうに有難いものだと、しみじみ思います。所蔵されている限り、こうして読み継がれる可能性があるのですから。

(どんな方が借りてくださったのだろう? 読み終えて、どんな感想を持たれただろう?)

楽しい空想が尽きない、雪の朝でした。

 

 

      

 

      

 

      

      こちらは電子版です。Amazon、kindle、からどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日は第12回目の「虎希の会」で、久しぶりに東京へ行ってきました。今回は菅直人氏の喜寿と岳真也先生の出版を祝う会です。

岳先生に初めてお目にかかったのが、この虎希の会の第1回目でした。つい昨日のように思われるのに、あれから、もう7年! 時の過ぎゆく早さに、啞然としてしまいます。

今回は、この秋、突然に逝ってしまった、「かがく塾」の仲間である笠健人くんと、先生の姉上で画家の井上一恵さんを惜しんで、ふたりのための追悼文集を作成し、出席者の皆様にお持ち帰りいただきました。かがく塾のメンバーの他にも多くの方が寄稿してくださいました。

また、編集を一手に引き受けてくださった松本のぼるさんには、感謝、感謝、です。愛知の山奥にいて、何もお手伝いできなかったことを申し訳なく思います。

 

文集「かがく」には、笠君の小説「冬に咲くコスモス」が掲載されています。宴会が終わって、ホテルで読んでいると、彼の顔や、必死にアドバイスを求めてきた電話の声が思い出されて、涙腺が緩んでしまいました。君は命がけで書いていたんだよね。

よく努力して、上手くなっていたんだなあと思います。

文集の表紙は、井上一恵さんの作品です。お会いしたことはありませんが、とても魅力的な絵です。

文章でも、絵でも、作品はその人そのものですね。

 

二次会に誘われましたが、山奥の静寂の中で生まれ育った私は、「騒音」というものに弱く、2時間の宴会が精一杯です。個性的な方々とお話できて、楽しいには楽しいのですが、頭痛くなっちゃって。前回は文壇バーでしたので、なんとかお付き合いできましたが、今回はカラオケと聞いて、もう無理だと思いました。かがく塾のみなさん、付き合い悪くてごめんなさい。一次会の女です。

写真は会の前に、岳先生と。

そして、追悼文集「かがく」です。

 

     

                                 

     

 

 

ついに発売です。 💕 kindle版「時鳥たちの宴」緋野晴子 照れ

Amazon本 で、タイトルを検索してください。

紙版の半額 750円です。

 

(内容ご紹介)

 

ある日、三十歳になっている宮川遥のもとに、友人である大海豊から便りが届く。遥は、十年前に浮橋邸で催された「平安の夜の宴」を思い出し、胸が小さく疼いた。あの七日月夜に、どこからか現れて、暗い竹林をさまよっていた黄色い蛍火……。魂を誘うような、その光の舞いを脳裏に浮かべているうちに、遥の意識は遠ざかり、記憶の奥に広がる、甘やかで異質な風の吹く世界へと引きこまれていった。

そこは、大学の国文学科の浮橋ゼミ。男女八人のメンバー+教授に訪れた恋は、彼らに何を見せ、どんな痕跡を残したのか? そして、恋と愛の行方は?

青春純愛物語ではなく、男と女のドロドロ劇場でもない、一味違った恋愛小説。

 

一 大海の便り

二 東風

三 若葉

四 浮橋

五 七日月夜

六 時鳥

七 皐月雨

八 恋歌

九 夏草

十 海辺の月読

十一 月夜茸

十二 萩の庵

十三 風花

十四 明けぐれの雪

十五 如月の梅

十六 それから

十七 蜜柑の丘

 

浮橋教授による平安時代の風俗や恋愛観の話もあり、古典好きはもちろん、古典が苦手な人も、大いに楽しんでいただけると思います。😊

なお、読後に、評価の★をつけてくださいますと、たいへん有難いです。

もちろん、レヴューをいただければ、もう、感謝、感謝です。作者冥利に尽きます。

よろしくお願い申し上げます。🙇‍♀️

 

 

      

 

 

電子版「時鳥たちの宴」の、表紙が決まりました! 照れ ラブラブ

私の都合で二週間ほど遅れましたが、間もなく出版されます。

紙版の表紙も気に入っていましたが、こちらも、なかなか良いと思います。如何でしょうか?

 

 

    

 

 

緋野晴子「時鳥たちの宴」が電子版に

 

昨年出版された「時鳥たちの宴」は、お蔭様で好評で、紙の本はAmazonに2冊を残すのみとなりました。

この2冊が売れてしまうと、市場から完全に存在が消えてしまいます。それは寂しいということで、このたび、電子書籍化することになりました。価格は紙版の50%、750円+税です。

また、それに伴って、表紙も刷新されます。表紙は読者さんの大きなキャッチポイントですから、表紙が変われば、手を伸ばしてくださる読者さんの層にも変化があるかもしれません。どんな表紙になってくるか、今からドキドキ、楽しみです。

ただ今、制作中。来月半ば頃にはリリースされると思います。

 

      

 

        

      

お久しぶりです。緋野晴子です。爆  笑 三か月以上もサボっておりました。笑

 

皆様にすっかり忘れ去られる前に、別府旅行のことなど、お話してみますね。

冬に母が骨折してから半介護の生活になりまして、私は旅行もままならなくなったのですが、次男が別府で事業を始めることになり、妹が母の世話を代わってくれましたので、引っ越しの手伝いを兼ねて行ってきました。

台風が近づいている時で、飛行機を避け、電車を使いました。

珍しかったのは、小倉から大分方面へ向かう日豊本線のソニックという特急です。

床が木なんですね。床の板には刻印がありました。子どもの頃の飯田線を思い出して、なんか、いい感じ。

 

      

 

今回は引っ越しの手伝いが半分でしたので、観光は鉄輪温泉と別府市街だけにしました。

鉄輪地区を丘から眺めると、あちらこちらに湯煙が見えます。さすが温泉地。

でも、道路の下からも蒸気が立ち上っているのには、さすがに、びっくり! 目

足蒸し湯があったのですが、夏のことで、とても暑くて入れませんでした。次回、冬のお楽しみにとっておきます。

 

      

 

      

 

      

 

鉄輪温泉では、「ひょうたんの湯」に入りましたが、そこの食事場所のカレーが、とっても美味しい!! すりおろし野菜がいっぱい入っているのかな? 作り方を知りたくなるカレーでした。Verdy good! コーヒー

 

      

 

 

資料館がありましたので、入ってみました。雨の水滴が温泉になって湧き出るまでの旅が立体イメージ映像で見られたり、この地域の火祭りの衣装が展示されたりしていて、興味深いものがありました。この衣装をみると、なんだか、東北のナマハゲ👹や、北海道のアイヌの衣装に似通ったものがあるように思われます。ひょっとして、東北の人々というのは、かつて九州に住んでいて、朝鮮半島から入って来た民族に北へ追われたのではないだろうか? アイヌ文化というのは、この九州由来の文化と、ロシア方面からの文化が入り混じったのではないだろうか? そんなことを考えてしまいました。面白かったです。

 

      

 

      

 

別府には、市街地にも小さな温泉施設がポツポツとあります。その代表格は、竹瓦温泉です。ここのお湯は跳び上がるほど熱くて、地元の方は入っておられましたが、私はとっても無理で、湯船の外で流すだけにしておきました。残念。

でも、その代わり、砂湯があったんですよ。砂の重さに、包まれているような安心感があって、ぬくぬくとして、とってもリラックスできました。ニコニコ

 

      

 

今回観光できたのは、ほんの一部。旅行と言えば当分、別府になりそうです。

では、また。

 

 

 

世間で騒がれているので、どんなものかと、私もちょっとChatGPTで遊んでみました。

明治の有名作家・小説については、ふむふむ、なかなか上手く解説するじゃありませんか。では、「緋野晴子について教えて」 というと、まあ!びっくり なんと! こんなことを言うんですよ、みなさん。

 

緋野晴子は、日本の小説家であり、推理作家です。

(え? 私がいつ、推理小説を?)

1958年、東京都生まれで、早稲田大学第一文学部卒業後、

(1955年、静岡県の山奥で生まれ、大学も違うんですけど…)

1990年代から執筆活動を始めました。

(2005年からですってば)

代表作に、『禁断の魔術』シリーズや、『殺意の接吻』シリーズがあります。

(ちょっとお、やめてよう。……全然、知らないわ😅

彼女の作品は、様々なジャンルを網羅しており、推理小説、ホラー小説、ファンタジー小説、恋愛小説など、幅広い読者層から支持を得ています。

(そんな器用な人間じゃないですよ)

また、主人公が女性である作品が多く、その描写には緻密な心理描写が取り入れられていることが特徴です。

(それはまあ、若干当たっているかも)

緋野晴子は、数々の文学賞を受賞しており、その才能が高く評価されています。

(ああ、そうなったら、いいのに!爆  笑

 

というわけで、嘘ばっかり! 爆笑!! 笑い泣き

 

もしや、そういう同名の作家さんが実在するのかも? と思い、調べてみましたけど、見つけられませんでした。

いったい、どこから、こんなフェイク情報を引っ張ってくるんでしょうね。

緋野があまり知られていない存在だからかと思って、わりと有名な現代小説家の方でもやってみたんですけど、やっぱり、嘘ばっかり! 面白すぎました。爆  笑

 

みなさん、将来はともかく、今は、AIの言うことなんか、信じちゃいけませんよ。

AIはまだ赤ちゃんです。真実を語るには未熟すぎます。

あるいは、将来的にも・・・

基本的に、ネットの中にある断片的な関連情報を拾い集めて、そこから推測しうるもので作文していると思われますが、これは、危険を孕んでいます。

元になる情報を、悪意を持った者が故意に歪めて大量に流した場合、AIはそれに引きずられ、まことしやかにフェイク解説をするでしょう。それを真に受けると、とんでもない混乱が生じることは想像に難くありません。

ですから、みなさん、自分で確認し、自分の頭で考えることを最優先にしてくださいね。

AIをどういう場合に、どういうふうに使えるか、あくまで、道具としての活用方法を考えてみましょう。ウインク