始まりと終わりは常に一対の事象として存在している。そして常に、ソレの後に産出された意思や結果を引き継ぐ存在が居る。人間の一生で言えばソレは子孫であり、某社の製品であれば、ソレのデータを下に精製された二次的製品だ。――では、この世や宇宙といった、私達にとっての絶対的な存在の終焉の後、一体何がソレを引き継ぐと言うのだろう?

人間は「嘘」によって他人を欺く事を罪とし、古くからその行為を嫌い罰してきた。――けれどもしかし、人は常に、何らかの形で自分を欺き生きている。果たしてソレは、罪と言えるのだろうか?
世の中は常に変化し、ソレに釣られ私達人間の置かれる環境は日々流れている。人は時にその流れに乗ろうと躍起に成る事が在るが、その流れに乗れずその場に取り残される物や、其処に踏み止まろうと必死に成っている物が在る事を忘れてはならない。――何故なら、人の本質は常に其処に在るのだから。
人間は結局の所、この世界に生れ落ちて死ぬまで、一人ぼっちだ。――けれども、だからこそ他人を思い遣りながら、接していかなければならない。
「失敗」とは、その選択に成功して初めて、意味の有る行動と成る。選択に分別を付けず、只ひたすらに猛進する人間は、結局の所、「取り返しの付かない失敗」を知らない愚か者でしか無い。人は時にそうなる様他人に諭し、そして時にはソレにより成功する事もまま在るが、しかしソレは、人を破滅へと導く悪魔の囁きでも有るのだ。

人は何かを発見し、ソレに必要性を後付する事で今日までの異常な進歩を遂げる事に成功した。そして何時しか、人間と言う種はその中でしか生きる事が不可能な生き物へと変質する。

多くの人間が存在して然るべきと妄信する「信頼」、ソレは結局自身が他人を利用していると言う事実から目を背ける為に作り出された虚像でしかない。――若しくは、ソレこそが「信頼」なのか?

「神」とは私達人間一人一人の「自分」と言う属性の対極に居る存在だ。――では、「神」と言う存在がもし実在するならば、彼にとっての「神」とは一体何だと言うのだろう?

私達は皆須らく「闇」の中で生まれ、生き、そして死んでいく。――それ故に、私達は永遠に「闇」と言う束縛から逃れる事は出来ない。

如何すれば人に「優しく」成れるのか?――ソレは全く持って簡単だ、相手の事をまるきり何も知らなければ良い、只それだけの話だ。