舞ちゃんの空気を読まない具ログ -2ページ目

舞ちゃんの空気を読まない具ログ

ここでは空気とか関係なくのびのびコメントします

小学校の参観日がありました。我が家は子供が3人います。一人で3人を見るのは大変なので、主人にも来てもらいました。
1年生は親子レクリエーションでした。体育館に親子そろって集合して、親子がペアになってボール運びをしました。この親子レクリエーションは、親の参加率が高くほぼ全員来ます。学校も来るのが当然のように思っています。我が家では、主人に一緒に参加してもらいました。親が来れなかった子は、先生がペアになっていました。家庭の事情で来れないところもあるので、もう少し配慮が必要だと思います。
3年生は、社会科見学に行ったことについても発表でした。思ったことや感じたことをどんどん発表していきました。発表の内容を先生が、黒板に書いていきます。私が見ていただけでも娘は3回は発表していました。いろいろ勉強になったようです。社会科見学は、サニーへスーパーの秘密について勉強に行きました。普段は入れないバックヤードに入って、楽しかったようです。
6年生は、参観日が終わった後に、修学旅行の説明会がありました。行先は長崎です。平和学習と雲仙普賢岳に行きます。子供たちにとっては勉強ですが、小学校生活の最大の行事です。楽しんできてほしいです。最近の修学旅行のホテルでの食事は、バイキングです。アレルギーのことも配慮されているようです。幸い、上の子は何も心配がないので安心して送り出すことができます。来月の修学旅行が楽しみです。
 

私の部屋にはTVがありません。なのでTVを見たい時はスマホからTVを見ているのですがスマホ事態が電波を拾っているせいかTVを見ていてもたまに電波が切れていいところで映像が乱れたり音が途切れたりするのでそれが残念です。ただTVを置くようなスペースもないので仕方ありません。調子のいい時はずっと途切れずに見る事ができるのですがこの差は一体何なのだろうといつも思います。アンテナの角度もスマホを置いてある位置も同じなのに何故かなと考えても機械には疎いのでまったく分かりません。それでいてチャンネルを変えるとハッキリ見れたりするので本当にわけが分かりません。でもスマホは画面もそれなりに大きいしじっくりTVを見るのでなければ十分です。大体TVを見る時はパソコンを弄っていたり本を読んでいたりする時なので音さえ途切れずに聞こえていれば大丈夫な人なのですが、その音もしょっちゅう途切れるので困ったものです。それでも無音では捗らないので仕方ありません。何かの音が聞こえていた方が手が動くのは不思議です、集中できないと思うのですが何気なく音が聞こえていた方が捗るのも不思議な事です。なのでTVの音は必須です。音楽ではダメです、それもどうしてなのかまったく分かりませんが、多分子供の頃勉強していた部屋に常にTVがあって家族が見ていた影響もあるのかもしれません。まぁ、ガラケーの時は電話をしている最中に電源が落ちたりした事があったのでそれに比べたらマシになりました。電波が悪いのは我が家の周辺には高いビルが多かったり病院があるせいかなとも考えていますがスマホの電波が悪いというだけで引っ越す事もできないしこれは運命としてこの場所でなるべく電波のいい場所を見付けて過ごすしかないかなと考えています。でもTVを見ている時は電波が途切れない事を祈るのみです。
 

秋植えのトマトとキュウリの苗を購入したら苗の入っていた段ボールの中に「年内どりエンドウ」というチラシがいっしょに入っていました。秋に植えて年内に収穫できるのならいいな、欲しいなと思ったのですが、これが苗なのか種なのか、また値段はいくらなのか、一切書いてないのです。お店のホームページに行って「エンドウ」とか「年内どり」、とか「秋撒き」とかそれらしいキーワードで検索しても一向に引っかかってきません。というか、数がありすぎて全部見るのはもう嫌になって途中で辞めてしまいました。
そこで今度はアマゾンで同じようなキーワードで検索してみたら秋撒きで「30日絹さや」というのが出てきました!種でした。30日で出来ちゃうのかしら?早速ポチッと注文。
郵送だったので届くまで結構日数がかかりました。その間、どのプランターに植えようかな?とかプランターをどこに置こうかな?とかいろいろ算段していました。
さて、届いた郵便物は茶封筒でした。封筒を開けてみると、中に入っていたのは種の入った袋と納品書のみ。説明書のようなものは入っていません。そこで、種の袋の裏側に書いてある説明を見たのですが…。よくよく読むと、秋撒きには違いないのですが、収穫は翌春だというのです!!そ、そんなあ。「30日絹さや」ってどういう意味?
来年採れるんじゃあ、わざわざ郵送で取り寄せた意味なしです!超ガッカリです。でも、このままにしておいてももったいないので一応植えてみますけど。
 

先日、部屋の掃除をしていたら娘の小さい頃を撮影したDVDが出てきました。
最近のものは写真データと一緒に保管してあったのですが、娘が2歳の頃を撮影した昔の動画なので、
棚の奥の方に仕舞い込んだままになっていた様です。
夫にDVDを見せるとすぐに見たいと言ったので、夕食後に家族で見てみる事にしました。
動画は娘が2歳の頃初めて家族で行った水族館の様子を記録したもので、テレビ画面で見てみるとあまりの娘の幼さに思わず笑い転げてしまいました。
早いもので娘も今年小学一年生になり生意気な口を聞くようになってきたので、こんな純粋無垢な時もあったのかと改めて驚きました。
娘は自分の小さい頃の映像がとても照れくさく恥ずかしかった様で、その反動からか映像を見ている間、
終始文句を言ったり怒ってみたりと忙しい様子でした。
2歳の頃の娘はまだ上手く言葉をしゃべる事が出来ない様で、一生懸命隣にいる私に何かを伝えている感じだったのですが、
映像を見ている私には娘が何を言いたいのかいまいちわかりませんでした。
しかし若い頃の私は2歳の娘の声に耳を傾け、何か理解したかのように娘に話しかけていたのです。
この場面を見て今の私は娘と話をする事が出来るのに、娘の事を十分分かろうとしていない事が多いのではないかなと気付きました。
もしかするとあの頃の私は、言葉がまだ話せない小さな娘と今以上にわかり合えていたのかもしれません。
最近の私は娘の反抗期にやや手を焼き気味で、叱る事が多かった為この頃の二人を見て少々反省しました。
不意に幼い頃の娘と対面する事が出来、あの頃と全く変わらない娘の笑顔を今はとても愛おしいと思っています。