おおしゃもじを持って授業に現れるのは
強面のオヤジ
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《マイストーリー》 25
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《マイストーリー》 26
中学生 謡を始めるの巻
いきなりですが、謡(うたい)ってご存知ですか?
ご存知ない方に少しだけ説明。
世界最古の演劇、能はご存知ですか?
見たことはなくても、想像はできますか?
大抵主役はお面を付けているので、仮面劇でもあります。
画像お借りしました。
1枚目の写真をご覧頂いたらわかるように、この松の木の描かれた舞台(能楽堂)で唄う、能のバックコーラスが、謡なんです。
では、なぜ私がそんな謡を始めたかなのですが。
元々、わたしの祖母が大阪市内の公民館で習っていたのですが、あまりに娘婿が無趣味なので、何か趣味を持たせた方がいいのではないかと考えたとらしいのです。
娘婿が、外で遊ばないようにという狙いもあったようです😅
確かに父は、小さい頃から生活を支えるために働きづめで、遊ぶことを知りませんでした。
だから、とても楽しかったのか、熱心に休むことなく謡の練習をしていました。
仕事も忙しくなり、祖母の住む大阪市内までお稽古にいくのも難しくなり、先生に自宅に来てもらうことになりました。
せっかく来られるのだから、家族みんなで習おうということで、父の他に、母と私も習うことになったのだそうです。
まだ、全く能に興味のない私にとっては「なんでやねん」の世界でしたが、大声で歌えることが楽しくはありました。
譜面はこのとおり、字も読みづらければ、楽譜も読めない。
今改めて見てみたら、なんのことだかよく覚えていないのですが、これで音程が決まっているのですよ。
当時の私はそのシステムを覚えようとはせず、耳で聞いたまま、最高に音が上がるところは、◎とか、ガクンと下がるところを矢印を直角に書いたり、して唄っていました。
当時は本にいっぱい書き込んでいました。
さぞや古典の成績が良かっただろうと思いませんか?
ハ、ハ、ハ、💦
全くでしたよ
でもね、大きな声で唄うのは結構気持ちが良かったんです。
おかげで、今も声が大きく通ると言われています。
謡の発表会も年に夏と冬二回ありました。
当時謡を習っている方は祖母と同じくらいの年代の方がほとんど。
私が謡を習っていると、いいなぁいいなぁ、親子三代でいいなぁと、しきりに褒めて下さいます。
普通の和室で、振袖を着ての発表会です。
私の前を見ていただいたらお分かりのように、隣の父(はい、父です)は、前に本を置いていますが、私はないでしょう?
無本なんです。
実は、暗記してるんですよ。
すごいでしょ😅
なんちゃって!!
実は、夢に出てくる子供の亡霊役なので、ほんの2.3行を歌うだけだから、無本で頑張りました。
それでも心臓がバクバク踊るというのはこういうことかと思ってる、すこし青ざめたような表情ですよね。
今の私は、大勢の人の前でしゃべることは、そこまで怖いことではないのですが、それはきっとこういう発表会を何度も繰り返し経験しているからなのかなと思います。
両親が私にさせてくれたいろんな経験は、ここでもとても私の性格形成に良い影響を与えてくれています。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
しぐさ美人メソッド 公認講師
大阪紬 稲田 康子