③   癌を克服した三つの記録

 

 

 

○ 癌が消える話

 

 

つづき

 

 

私は、晩婚でございまして、父と母が次々と中風にかかりまして看病しております中に、だんだんと婚期が送れたのでございます。

 

二十七歳の時に、十五歳年上の主人との話が出ましたけれども、なんとなく気乗りが致しませんで、そのままにしておきまして二十八歳を迎えたわけでございます。そして、夏近いある朝に、ふと真白い象に乗っている夢を見たのでございます。夢の中でも、なんとなく不思議で、醒(さ)めてからも、ますます神秘的なものを感じまして、母にそのことを申しましたら、母は大変喜んでくれまして、

 

 

 

貴女は本当にいい夢を見た、吉兆だと、これからあんたは、きっと幸せになる!私のことは心配しないでお嫁に行ってくれ・・・」と申しますし、私も二十八歳を半ば過ぎようとしておりまして、そろそろ年貢の納めどきかと思いまして、結婚に踏み切りましたその時に、夢に見た象なのでございます。

 

 

さて私は、二十八歳の夏に結婚致しまして翌年から次々と五人の子供に恵まれまして傍目(はため)からは“大変に幸せだ。晩婚でも何と幸せだ!”と思われて来ましたが、内面的には、なんとなくちぐはぐで、〝これは私が晩婚だからだ。年があんまり違うからだ〟と思って一人決めておりました。

 

そして、よく主人は、「お前は、子供らにとっては真にいいお母さんだな・・・」という不満のような声もよく聞いたものでございます。やがて終戦となり、軍需産業で栄えておりました主人の工場も駄目になりまして、私らは新しい活路を求めて、石川県の七尾に参り、七尾ホテルという旅館を経営したわけでございます。その時初めて、総裁先生の御講話を承りまして、「今を生きる」というお話で真に感銘をうけました。

 

 

そして、四年目にはぽっくり主人が脳出血で亡くなったのでございます。それから、五人の子供をかかえての終戦後の生活は、真に苦しく、時には早く亡くなった主人を羨ましいと思うこともございました。また時には、十五年間の結婚生活で、なんとちぐはぐな生活だったろう、あれはきっと私が至らなかったな!と反省することもありまして、その“浄心行”中に過去の十五年間の夫婦生活の闇のひとこまひとこまが思い出されまして、その時はっと気がつきました。

 

 

〝私は、主人に愛を求めてばかりおったんだ。私は、愛を与えることなしに求めてばかりおったんだ〟とそう思いました時に、堰を切ったように涙が溢れてまいりました。私は心から、霊界の主人に謝りました。心から、主人に感謝致しました。 

 

 

そして、本当に素直な気持で、こんなにも謝ることの出来た私を、自分ながら嬉しいと思ったのでございます。その中に〝浄心行〟を終りまして、皆さんと一緒に下の部屋に戻りまして、長い間坐っておりまして痺(しび)れた足を摩(さす)っていました時に、左の膝の瘤が消えていることに気がついたのです。

 

 

あんまり不思議で、いくらそれを曲げてみても伸ばしてみても、瘤はどこにもございませんでした。あまりの不思議さに、嬉しさに私は飛んで行って、小林先生にお見せしたのです。浄心行に、瘤のことはみじをも考えておりませんでした。

 

 

霊界の主人に対し、ただ感謝し、ただ懺悔したのでございます。(拍手)真にも、懺悔と共に消えた瘤でございました。これからも、ますます御教えを行じて、精進致したいと思っております。

有難うございます。(拍手) 



以上は、本田コトさんの左足の瘤が消えた實例でありますが、瘤は、癌のような悪性の腫瘍ではありませんが、「心の固まり」が肉體に象徴的にあらわれたものだという点に於いて、同ー系統の肉體象徴と見てよろしいのであります。

 

 

 

それは左の脚に出来た瘤でありますから、〝左〟は男性象徴であり夫をあらわし、瘤は「ふくれているもの」でありますから、夫に対する不満足、不平の思いが肉體に具体化したものであります。本人はその不平不満足を「何となくチグハグな感じ」というように表現しておられます。

 

 

その夫婦生活十五年間に積り積った不平不満足の「思いの固まり」が瘤となって肉體にその象徴をあらわしていた。ところが“浄心行”のときに「私は、主人に愛を求めてばかりおった。愛を与えることなしに求めてばかりおったんだ」と気がついて、堰を切ったように懺悔の涙が流れて来て、心から霊界の主人にお詫びして感謝をした。そしたら不平不満足の思いが消えた途端に、その思いの象徴的具象化である瘤が消えた訳である

次のような體験があります。

 

 

 

つづく

 

 

 

谷口雅春著「人間無病の原理」

 

 

 

 

☆ 上記の解説です。

 

その“浄心行”中に過去の十五年間の夫婦生活の闇のひとこまひとこまが思い出されまして、その時はっと気がつきました。

 

★ 上の通りですね!火鉢を囲み自分の思いを書いた浄心行の用紙が燃えていくのを見ながら祈っていますとこのようなことがあります。

 

私は、主人に愛を求めてばかりおったんだ。私は、愛を与えることなしに求めてばかりおったんだ〟

 

 

★ 皆んなここで失敗をするんですね!笑!笑ってすいません、医学博士の徳久克巳先生は講話でよく、食事を我慢する事とトイレを我慢する事とどちらが難しいですか?「そうです!トイレです」と言って笑わせました。人間は出すように出来ているのです。愛は出さなければなりません!皆んな出さないから出てこないのです。「与えよさらば与えられん」これが繁栄の法則です。健康も同じです。自分にできる仕事をしてハタをラクにする(働)く

 


堰を切ったように涙が溢れてまいりました。私は心から、霊界の主人に謝りました。心から、主人に感謝致しました。 

 

 

懺悔と感謝ができた瞬間です。これができた時問題は解決します。 

 

 

痺(しび)れた足を摩(さす)っていました時に、左の膝の瘤が消えていることに気がついたのです。

 

★ 瘤を治そうとは思っておられませんでした!

 

 

〝左〟は男性象徴であり夫をあらわし、瘤は「ふくれているもの」でありますから、夫に対する不満足、不平の思いが肉體に具体化したものであります。

 

★ 肺や卵巣みたいに二つあるものはそのどちらか?右は女性の象徴、左は男性の象徴として見ます。

 

 

ふと真白い象に乗っている夢を見たのでございます

 

 

★ 瘤が治ったのもありがたいですが、生長の家の御教えに触れて真理を知り、病気や問題が起こっても、心の法則で何処が間違っていたかがわかり、心を変えることにより自分で治せるという事です。「人生何があっても大丈夫」これが真白い象だと私は思います。

 

 

★ 最後に親にハイ「拝」ですね!

 

貴女は本当にいい夢を見た、吉兆だと、これからあんたは、きっと幸せになる!私のことは心配しないでお嫁に行ってくれ・・・」